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リーガル・レジスタンス 〜法治国家を目指して〜  作者: ムササビ-モマ
第4章『破壊から創設』
36/54

第6話 『玉座の司法取引』

1 召喚と、背中を守る盾


 リュートに課せられていた三日間の謹慎が明けた、冷たい朝。

 本宮の玉座の間へと続く控え室では、第二王子を召喚する直前の最終的な「想定問答シナリオ」のすり合わせが、国王と王妃の間で密かに行われていた。


「陛下。間もなくリュート殿下が参ります。……決して、『父親』としての情を見せてはなりません」

 マルガレーテは、憔悴しきったゼノンへ向けて、氷の刃のような声で釘を刺した。


 国王ゼノンは、「神の子」として周囲から無条件の称賛を浴びて純粋培養されてきた男だ。王としての威厳を取り繕うことはできても、その精神構造は帝国基準で見ればあまりにも脆く、本質的には身内への情が深い「優しい」人物であった。


 彼にとって、北の武闘派であるアイギス公爵家出身の王妃マルガレーテは、王宮の管理者としては全幅の信頼を置く「戦友」であり「優秀な同僚」であったが、そこに家族としての安らぎや愛情は皆無だった。常に大局と論理で盤面を支配する彼女を、ゼノンは内心でひどく恐れていた。二人の間に、ついに子供が恵まれなかったのも必然の理と言えた。


 だからこそ、ゼノンはルナリアを大切にしたのである。冷徹な戦友(王妃)の管理下で密かに離宮へと通い、彼女との穏やかな時間にだけ、王としての重圧から解放される真の安らぎを見出していた。


 そして、黒髪赤眼の息子リュートに対しても、決して愛情がなかったわけではない。ただ、彼が万が一にも玉座への野心を抱き、結果として血みどろの粛清を受けることがないよう、幼い頃からあえて徹底的に冷遇し、突き放す『演技』を王妃から強いられていたのだ。ルナリアもまた、リュートが自らの身を守れるだけの実力をつけるまでは、その異常な知性をゼノンに一切明かしていなかった。


「分かっている……。だが、リュートの悲しみと怒りは正当だ。ヒルデガードやグラクトが直接命じずとも、あの狂犬セオリスの鎖を外し、きっかけを与えたのは奴らだろう。余は、ルナリアを奪ったセオリスを絶対に許さん」

 ギリッと拳を握りしめるゼノン。彼自身、事件の決定的な原因はセオリスの暴走だと確信しつつも、第一側妃陣営の関与を疑い、激しい怒りを抱えていた。


 だが、マルガレーテはその王の個人的な怒りすらも、冷徹な国家運営のロジックで絡め取る。


「ええ。ですから、その陛下ご自身の『怒り』と、リュート殿下の『怒り』の落としどころとして、妥協案を用意したのです。……セオリスは、ゼノビア侯爵家自身の手で秘密裏に極刑とする。これが王家の裁定です」


「……」

「第一王子殿下の関与という疑惑を王家の品位という壁で完全に弾き返しつつ、実質的な報復の果実(セオリスの死)を密かに与える。これで、彼ら母子に何の救いも与えられなかったという陛下の胸の痛みも、少しは和らぐでしょう。……いかに彼が聡明であろうと、この司法取引を吞むしかありません」

 ゼノンは、己の無力さと悲しみを王の仮面の下に隠し、重々しく頷いた。


   ◇


 同時刻、離宮。

 本宮からの正式な召喚状を受け取ったリュートは、喪に服すような漆黒の正装に身を包み、鏡の前で自らの表情筋を完全に殺す作業を終えていた。


 母を惨殺された悲しみも、狂いそうなほどの憎悪も、今はすべて奥底へ封じ込める。浮かび上がったのは、復讐に狂う子供の顔ではなく、冷徹な交渉人(政治家)としての完成された仮面であった。


「お兄様、どうかご無事で……。吉報をお待ちしております」

 あの惨劇の夜から離宮に留まり続けているリーゼロッテに短く頷き、部屋を出ようとしたリュートの背後に、音もなく一つの影が寄り添った。


 ルリカであった。だが、その出で立ちはいつもの質素な侍女服ではない。急所を覆う軽量の防具を纏い、帝国式の暗殺剣を腰に帯びた、完全なる戦闘武装状態だった。


「……ルリカ。本宮には近衛騎士たちがいる。武装した君が同行すれば、無用の警戒と反発を招くぞ」

 リュートが静かに問うと、彼女はかつての主命に縛られた「影」としてではなく、自らの明確な意志を持った一人の人間として、真っ直ぐに彼の赤い瞳を見返した。


「本宮の近衛など、信用に値しません。……国王陛下がどれほどルナリア様を思い、密かに離宮へ足を運んでおられたか、私は知っています。ですが、陛下のその『個人的な優しさ』では、ルナリア様を守ることはできなかった」

 ルリカは剣の柄にそっと手を添え、静かに、しかし絶対の熱量を持って言い放った。


「王の威光にも、近衛の盾にも、もう私の主君の命は預けられない。……リュート様の背中を守るのは、彼らではなく私の役目です」

 それは、ルナリアから自由な選択を与えられ、血の繋がりを超えた「新しい家族」としての縁を結んだ彼女の、確固たる意志表示だった。体制の庇護を捨て、自らの力でリュートの絶対の「盾」となるという気高い覚悟。


 リュートはその灰色の瞳に宿る決意の重さを受け止め、ふっと口元を和らげた。

「……分かった。背中は頼むよ、ルリカ」


「はい」 

 主従の鎖を断ち切り、共に修羅の道を歩むと誓った二人。

 優しくも無力な王と、冷徹な王妃が「目先の復讐」で丸め込もうと待ち構える玉座の間へ向けて、彼らは新秩序を創設するための劇薬を胸に秘め、静かに離宮の扉を開いた。




2 謁見と、王家の裁定(トカゲの尻尾切り)


 玉座の間に足を踏み入れた瞬間、リュートはその異様な静けさに即座に本宮の「意図」を悟った。

 広大な空間に立ち並ぶべき重臣たちの姿はなく、上座に座すのは国王ゼノンと王妃マルガレーテの二人のみ。それは、側妃の不審死という国家を揺るがす大事件を、王家内部の「秘密裏の処理」として穏便に片付けようとする明白な意思表示であった。


 背後に控えるルリカの静かなる殺気を背中で感じながら、リュートは完璧な臣下の礼をとって深々と頭を下げる。

 重苦しい沈黙の中、最初に口を開いたのは国王ゼノンであった。


「リュートよ……。ルナリアの死は、余にとっても青天の霹靂であった。惜しい女を亡くした……」

 ゼノンの声は、為政者としての冷徹な威厳を保とうと必死に抑制されていた。王妃から「決して情を見せるな」と厳命されている以上、彼は公の場でリュートに寄り添うような発言をすることは許されない。だが、密かに愛していた女を理不尽に奪われた悲痛な面持ちまでは、その表情の奥に完全に隠し切れてはいなかった。


 しかし、そのわずかな感情の揺らぎすら、王妃マルガレーテは決して見逃さない。

 ルナリアという後ろ盾を失ったリュートに対し、国王が同情を見せて新たな『政治的庇護者』になり得るような隙を作ることは、第一王子陣営の絶対優位を揺るがす致命的なエラーだからだ。


「――陛下。王家の貴重な財産を失ったお痛ましさは理解いたしますが、今は公式な裁定を伝える場にございます」

 マルガレーテは氷のような声でゼノンの感傷を強制的に断ち切り、感情の一切を排した鋭い視線をリュートに突きつけた。


「第二王子殿下。先日、貴方が提出した弾劾状に基づき、王家として厳正なる調査を行いました。その結果、本件はセオリスの事実誤認による『単独の暴走』と断定されました」

「単独の暴走、ですか」


「ええ。第一側妃殿下および第一王子殿下が、あのような凶行を命じたという証拠は一切確認できませんでした。よって、天の光たる第一王子殿下への不敬な疑惑は、これをもって完全に払拭されます」

 それは、第一王子陣営を王家の威光という絶対の防波堤で完全に保護するという冷酷な宣言だった。そしてマルガレーテは、母を失った少年の怒りを手っ取り早く宥めるための「妥協案」を提示する。


「しかし、セオリスの罪が万死に値することは揺るぎない事実です。実行犯たる彼については、監督責任を問われたゼノビア侯爵家が、王家の品位を保つため……自らの手で秘密裏に、かつ厳重に『処断』するとの誓約を得ています」

 これこそが、体制が用意した巨大なトカゲの尻尾切りであった。


 王家の品位を無傷で保つため、武門の忠義を利用して実行犯を一族内で密かに始末させ、すべての醜聞に蓋をする。それでいて、遺族であるリュートには「犯人の死」という実質的な報復の成果を確実に与える。


 いかに聡明な子供であろうと、この巨大な体制の壁を前にしてこれ以上の譲歩を引き出すことは不可能であり、犯人の命という果実を与えられれば矛を収めるしかない。


 王妃が構築した、逃げ道のない完璧な司法取引。ゼノンは妻の隣で、ただ苦渋に満ちた沈黙を保つことしかできなかった。


『……見事な手だ。母上の命を秘密裏の処刑一つで安く買い叩き、王家の暗部を完全に闇に葬るつもりか』

 リュートは、提示された冷酷な条件を前にしても、怒りや絶望を一切顔に出さなかった。


 彼はゆっくりと顔を上げる。その端正な顔にあるのは、復讐に狂う子供の感情ではなく、修羅の知性を極限まで研ぎ澄ませた、冷徹な交渉人としての仮面だけであった。




3 修羅の反証と、第一の条件(公開法廷)


「……単独の暴走。なるほど、王家としての『品位ある回答』に感謝いたします」

 リュートは、母の命を秘密裏の処刑一つで握り潰そうとする冷酷な裁定に対し、静かに、そして恭しく頭を下げた。


 彼の中の「子」としての激しい憎悪は、すでに極限の理知の奥底に封印されている。今この玉座の間に立っているのは、復讐に駆られた少年ではなく、盤上の血肉を交渉のチップとして冷徹に切る「政治家」であった。


「ですが、王妃様。もし王宮の警備を担う近衛の凶行を、その生家内で密かに処理してしまえば、どうなるか。……王家は自らの庭で起きた反逆すら自らの手で裁けない、脆弱な存在であると内外に錯覚させかねません」

 リュートは顔を上げ、氷の仮面を被った王妃の目を真っ直ぐに射抜いた。


「王家が提示した『公式な真実』を受け入れる代わりとして、僕から三つの条件を提示させていただきます」

「……条件、ですか」

 マルガレーテが扇の奥で目を細める。リュートは一切の躊躇なく、第一の要求を突きつけた。


「一つ目。セオリスを秘密裏に処断するのではなく、王家の最高法廷で裁くこと。被告人はセオリスとし、同時に、監督責任としてゼノビア侯爵本人にも法廷へ出廷していただきます。そして、この裁判は王族および貴族の傍聴を許した公開法廷とすること」


「――却下します」

 リュートの言葉が終わるか終わらないかのうちに、マルガレーテが鋭く切り捨てた。

 王妃の脳裏で、凄まじい速度の計算が走る。


 法廷という公式の場で、セオリスが自己弁護のために「これはグラクト殿下の品位を守るためだった」と喚き散らせばどうなるか。その内容が下位の貴族たちにまで筒抜けになれば、第一王子陣営への致命的な醜聞となる。


「法廷で事の全容が不必要に晒されれば、王家の、ひいては第一王子殿下の品位失墜に繫がる恐れがあります。大衆の好奇心に王家の暗部を晒すなど、言語道断」

 マルガレーテは即座に防衛線を張り、厳しい条件(制限)を突き返した。


「法廷を開くこと自体は許可します。ですが、傍聴が許されるのは王族と、任意による各公爵・侯爵の『当主本人』までに限定します。それ以下の貴族や関係者の立ち入りは一切禁じる。……また、判決結果の公表についても、民衆には単なる『王宮近衛の暴走とその処断』としてのみ布告します。これでよろしいですね」

 それは、被害者側への凄まじい情報統制の強要だった。


 だが、リュートは一切反発せず、「……承知いたしました」とあっさりと引き下がった。

 その瞬間、マルガレーテの背筋に微かな悪寒が走った。


『……この少年、最初からそれが狙いか!』

 王妃は、リュートの要求の真の恐ろしさに気づき、息を呑んだ。


 リュートは、第一側妃ヒルデガードの首を直接狙うような無謀な真似はしていない。彼が要求したのは、「ゼノビア侯爵本人を法廷の場に引き摺り出し、王国最高位の貴族たち(公爵・侯爵)の面前で、監督責任という名目で徹底的に糾弾し、恥をかかせること」だ。


 下位貴族や民衆に事実が漏れなくとも、上位の権力者たちに「ゼノビア公爵家は王宮で暴走し、第一側妃の足を引っ張った愚かな一族」という烙印を押せれば、それで十分なのだ。第一側妃陣営の最大の武力的な後ろ盾を、政治的・社会的に完全に殺すための、完璧に計算された盤面構築。


『弱冠十三歳にして、復讐の感情を完全に殺し、王宮の勢力図を的確に削り取る法理の刃を振るうというのか。……なんという恐ろしい怪物』

 マルガレーテの中で、リュートに対する評価が「危険な少年」から、「王家の脅威となる完成された政敵」へと完全に書き換わった。


「……よろしい」

 王妃が警戒レベルを最大に引き上げて同意した直後、リュートは逃げ道を塞ぐように静かに言葉を継いだ。


「では、もう一つ確認させてください。単なる王宮近衛の暴走として公表されるとのことですが、王家への反逆者は『公開処刑』となるのがこの国の法のはずです。……それでよろしいですよね?」

 法理の矛盾を突く鋭い念押し。セオリスを公に裁く以上、その首は民衆の面前で刎ね飛ばされなければ筋が通らない。

 だが、マルガレーテは即座に牽制を放ち、その刃を弾き返した。


「勘違いなきよう。この国の司法権の長は陛下です。裁判長は陛下ご自身が務められます。法廷の場を用意したからといって、必ずしも貴方の望む結末(公開処刑)になるとは限りませんよ」

 判決の決定権はあくまでこちら側(王家)にあるという、司法権を盾にした絶対の防衛線。しかし、リュートは平然と頷いた。


「当然です。法の理に則り、客観的事実のみで厳正に裁いていただきましょう。……では、続けて二つ目の条件です」

 王家の防波堤に最初の大穴(ゼノビア公爵の失脚)を空けることを確定させたリュートは、いよいよ本命たる最大の劇薬――第一王子の王位継承権に絡む要求へと、冷徹に踏み込んでいった。




4 第二の条件(王位継承権の白紙化)


 公開法廷の開催という第一の条件を突きつけたリュートは、間髪入れずに本命の劇薬を投下した。


「二つ目。実行犯であるセオリスの凶行を未然に防げなかった第一王子殿下の監督責任を問い、殿下の王位継承順位を一旦『白紙』に戻すこと。次期国王の決定は、王立学園卒業時の評価まで凍結していただきます」

 その言葉が玉座の間に響いた瞬間、空気が凍りついた。


「――正気ですか、リュート殿下!」

 これまでいかなる盤面でも冷静さを保っていた王妃マルガレーテが、初めて声を荒らげた。


「次期国王の座を白紙にするなど、絶対に認められません! 王位継承者の空白が、どれほど王国の屋台骨を揺るがし、貴族間の派閥争い(内乱)を誘発するか、理解できないのですか!」


「そうだ、リュート! 余も御家騒動など望んではおらん。ルナリアも、そのような国を割る悲劇を望むはずがない!」

 国王ゼノンも、悲痛な面持ちで王妃に同調する。彼らにとって王位継承権の不可侵性こそが国家安寧の要であり、それを脅かすことは帝国の介入すら招きかねない最悪の愚行であった。


 激しい反発と拒絶。だが、リュートの表情には微塵の焦りもなかった。彼はここで、前世の法廷で培った最大の武器――『相手のロジックを利用した演技』を起動させる。


「御家騒動、ですか。……陛下、王妃様。それは大きな誤解です」

 リュートは、さも心外であるかのように首を振り、深く、憂いを帯びた声で語り始めた。


「僕は、兄上から王座を奪いたいわけではありません。むしろ逆です。……天の光を宿す『神の子』であらせられる兄上が、このまま王座に就くことの危険性を憂慮しているのです」

「どういう意味ですか」


「今の兄上は、側近一人の狂気すら察知して御すことができなかった。もしこの凄惨な事件を経てもなお、王家が無条件で兄上の継承権を確定させれば、上位貴族たちはどう見るでしょうか。『第一王子は、第一側妃殿下と侯爵家に守られているだけの、無力な神輿に過ぎない』と侮るはずです」

 マルガレーテの眉がピクリと動く。それは、王家の威光の根幹を突く痛烈な正論だった。


「兄上には、上に立つ者としての強烈な危機感を持って成長していただきたい。王立学園という公の場で、自らの実力で『神の子』たる価値を証明していただきたいのです。継承権の凍結は、兄上を貶めるものではなく、真の王となるための『教育的試練』に他なりません」

 兄を心から案じる忠弟の、悲痛な進言。


 さらにリュートは、王妃が抱く最大の懸念――「リュート自身が王座を狙い、御家騒動を起こすのではないか」という警戒を解くため、自らの頭を指差した。


「それに、考えてもみてください。忌み子たるこの『黒髪赤眼』の僕が王位を主張したところで、血統と品位を重んじるこの国の民や貴族たちが、僕を玉座に据えることを許すはずがありません」

 それは、この国の絶対的なルール(宮廷正典)そのものだった。金髪金眼を欠く者は、あくまで相対的な「影」であり、王統の頂点には立てない。


「僕には強力な母国の後ろ盾もなく、今や母上すら失い、完全に孤立無援です。僕に王座を狙う野心も、それを実現する力もないことは、王妃様が一番よくお分かりのはずです」

 僕が玉座に就けない以上、対抗馬は存在せず、御家騒動など起こり得ない。だからこれは、あくまで「唯一の次期国王への試練」なのだ、と。


 自らの「弱者としての立場」と「国のルール」を完璧に利用した理論武装。

 マルガレーテは沈黙し、凄まじい速度で盤面を再計算した。


 確かに、黒髪赤眼のリュートが王座に就くことは、宮廷正典上あり得ない。対抗馬にならない彼が「兄の成長のための試練」として継承権の凍結を求めるのであれば、派閥争い(御家騒動)には発展しない。


 むしろ、「王家は身内(第一王子)の監督責任に対してもこれほど厳格な処置をとるのだ」と、王家の公正さを対外的にアピールする絶好の材料になり得る。


『……この十三歳の少年は、自らの血統の不利すらも交渉のカードとして切り、第一王子を試練という名の崖っぷちに立たせた。なんという恐ろしい知性と胆力』

 マルガレーテは、リュートの「忠弟の演技」の奥底にある冷酷な計算を完全に理解したわけではなかった。彼女は、リュートが「グラクトを精神的に追い詰めること」自体を目的としていると錯覚させられたのだ。彼が真に狙う「体制そのものの破壊」に気づくには、彼女はあまりにも「血統と品位のルール」に縛られすぎていた。


「……陛下。第二王子殿下の進言には、一理あります」

 ついに、マルガレーテが陥落した。

 彼女はゼノンへ向き直り、冷徹な為政者の声で告げた。


「第一王子殿下の『教育的試練』として、王立学園卒業時の評価まで次期国王の指名を保留する。……王家の公正さを示すためにも、これが最善の落としどころかと存じます」

 王妃の言葉に、ゼノンは苦渋の表情を浮かべながらも、重々しく頷くしかなかった。


 玉座の間で、十三歳の「影」が、国家のルールと王妃の理知すらも盤上の駒として操り、王家の防波堤に致命的な時限爆弾を仕掛けた瞬間であった。




5 第三の条件(人事権)と、司法取引の成立


 第一王子の継承権白紙化という本命の劇薬を、論理と「忠弟の演技」で王家に飲ませたリュートは、間髪入れずに最後の要求を突きつけた。


「三つ目。僕の離宮住まいの継続と、離宮における『完全な人事権』を認めること。……あのような惨劇を許す杜撰な近衛騎士たちには、二度と身を任せられません」

 それは、王宮という巨大なシステムの中に、王家の監視が及ばない「リュートの独立国家(不可侵領域)」を作るという宣言に等しかった。


 王妃マルガレーテは、即座に正論をもってその盾を弾きにかかる。


「王宮の敷地内に、身元不確かな者を勝手に入れることは認められません。それは国家の中枢における安全保障上の重大な瑕疵となります」

 王妃の冷徹な眼差しを受けながら、リュートは一歩も引かなかった。


「身元が不確かとは? それは概念の問題です」

「概念、ですか」


「はい。貴族籍の有無や王宮の推薦状が、忠誠と安全を担保するわけではないことは、今回のセオリスの件で証明されています。重要なのは『誰の責任の下で管理されているか』という所属の明確化です。僕が責任を持って雇用し、身元を保証する以上、彼らは不確かな存在ではありません」

 前世の法知識に基づく、既存の身分制度の欠陥を突いた鋭い概念勝負。


 マルガレーテは反論を組み立てながら、眼前の少年に対する自らの評価基準を完全に書き換えていた。


『……十三歳という年齢の枠でこの者を測るのは、為政者として致命的な見誤りね』

 彼女の脳裏に、王家の正典に記された過去の歴史が過る。幼少期より他国の地図を睨み、大人たちを凌駕する戦略で領土を拡大したと伝わる『地図を睨む王』など、王族の歴史には数世紀に一度、規格外の早熟な天才が生まれることがある。


 リュートはその系譜なのだ。年齢という枠組みを捨て去れば、彼はすでに完成された知性と牙を持つ、極めて危険な一個の政治的脅威に他ならない。


『ルナリア……。貴女はあの離宮で、この怪物が実力をつけるまで、その異常な知性を完璧に隠し通していたのね』

 亡き側妃の執念と、目の前の少年の底知れぬ実力に戦慄を覚えつつも、マルガレーテは国家の防衛者として妥協点を探る。完全な自由を与えれば、離宮が本物の軍事拠点になりかねない。


「……貴族籍以外の者を雇う場合は、必ず陛下および私の『承認』を必須とすること。それならば許可しましょう」

 王妃が提示した、実質的な監視の担保。


 リュートはそれが交渉の限界点であることを正確に見極め、「承知いたしました。名簿は必ず提出いたします」と、あっさりとその妥協点に着地した。


 だが、リュートの交渉はここでは終わらない。彼は盤面を完全に固定するため、最後に重い「脅し」と「甘い果実」を玉座に置いた。


「もしこれらの条件が一つでも反故にされるようなことがあれば……僕は自らの身の安全のため、母上の祖国である帝国へ走ることも考えねばなりません」


「……っ!」

 ゼノンとマルガレーテの顔色が変わる。王国の血を引く王子が、不当な扱いを理由に帝国へ亡命すれば、それを大義名分として帝国軍が国境を越えてくる最悪の事態(開戦)を招く。


「ですが、王家がこの約定を違えぬ限り、僕は王国に留まります。そして……僕が掌握している『東部海運組合』からの莫大な利益は、今後も変わらず王家へ上納し続けることをお約束します」

 国家の経済を潤す莫大な利権の担保。

 帝国という強大な「鞭(恐怖)」と、海運組合の利益という抗いがたい「飴(実利)」。


 ゼノンは、もはや十三歳の息子ではなく、一人の冷徹な君主と対峙しているような錯覚に陥っていた。王の個人的な優しさなど入り込む余地のない、純粋な法と利益による暴力。


「……よかろう」

 重苦しい沈黙の果てに、国王ゼノンが深く頷いた。

 王妃マルガレーテもまた、防波堤を維持しつつ御家騒動を回避するための「最善の取引」として、無言のまま同意の視線を送る。


「第一王子殿下の継承権は一旦白紙とし、学園卒業時の評価まで凍結する。ゼノビア侯爵家には法廷への出廷を命じ、離宮の人事権は一定の条件付きでそなたに委ねる。……これで、よいな」

「はい。寛大なる王家の裁定に、深く感謝いたします」

 リュートは、完璧な臣下の礼をとって深々と頭を下げた。


 ここに、王家の思惑(トカゲの尻尾切り)と、リュートの思惑(グラクト陣営への精神的破壊と離宮の独立)が複雑に絡み合った、極限の『極秘の司法取引』が成立した。




6 離宮への帰還と、真の狙い(新秩序の礎)


 本宮での極限の司法取引を終え、リュートとルリカが離宮へ帰還したのは、太陽が中天に差し掛かる頃であった。

 重厚な扉が閉ざされた書斎には、彼らの帰りを待ちわびていたリーゼロッテと、離宮警備隊長であるカイルが控えていた。


「お兄様……!」

「概ね、満足のいく結果だ。法廷の準備は整った」

 駆け寄るリーゼロッテに対し、リュートは淡々と本宮での成果を報告する。


 第一王子陣営の武力的な後ろ盾(ゼノビア侯爵家)を公開法廷に引き摺り出すこと。そして「兄の成長を願う忠弟」という完璧な演技によって、グラクトの王位継承権を白紙化(凍結)させたこと。


 その恐るべき交渉の結果を聞き、カイルは息を呑み、リーゼロッテは「お兄様、本当に王位を諦めたわけではないのですよね?」と、その真意を問うた。


「当然だ。当面は忠弟を偽装するが、王座に就くことすら、この国の腐った体制を破壊するための手段の一つに過ぎない。僕の真の目的は、王権すらも縛る人治ではない法治の創設だ」

 リュートは冷たく、しかし知的な笑みを浮かべ、カイルの方へと視線を向けた。


「その新秩序を創設するためには、避けては通れない重大な課題がある。……圧倒的な『人材不足』だ」

「人材、でございますか?」

 怪訝な顔をするカイルに対し、リュートは極めて現実的な国家運営のロジックを語り始めた。


「血統による人治国家を破壊し、成文法に基づく組織的な国家を創れば、法を解釈し、書類を処理し、実務を回すための大量の『中級・下級役人』が必要になる。だが、現在の王宮は特権意識に塗れた貴族ばかりで、泥臭い実務を正確にこなせる人材が致命的に足りていない。……だから、僕たちの手で一から育てる」

 リュートは、本宮から勝ち取ったばかりの『離宮の人事権』という手札を盤面に置いた。


「カイル。君が育った王都の孤児院から、人材を徴用する」

「……っ! 私の、孤児院からですか」


「そうだ。年齢や性別は問わない。少女たちは離宮の侍女として雇い入れ、ルリカの麾下で徹底的な教育を施す。若者や少年たちは新兵として、カイル、君の警備隊で鍛え上げろ」

 孤児院という、身分制度の最底辺に置かれた無垢な資源。貴族の悪習に染まっていない彼らこそが、新しい法治国家を支える手足となる。


「そして、ここからが本題だ。……リーゼ、君にはカイルを護衛として伴い、その孤児院へ定期的に通ってもらいたい」

「私が、ですか?」


「ああ。表向きの理由は『王家の人気取りのための慈善慰問』だ。第一側妃の娘である君が孤児院を援助する姿は、王家の慈悲と品位をアピールする絶好の隠れ蓑になる。本宮の連中も、それを疑うことはないだろう」

 リュートは地図の上に駒を置くように、冷徹な視線で次なる指示を出す。


「だが、真の目的は違う。カイルと共に孤児院の内部を極秘に『教育機関化』してほしい。僕と共に王宮の書庫で学んできた、君のその優秀な知性で……孤児たちに読み書きと計算、そして基礎的な法理を徹底的に叩き込むんだ」


「……孤児院を、学校に」

 リーゼロッテがその壮大な計画に目を丸くする中、リュートは具体的な出口戦略パイプラインを提示した。


「そこで教育を施し、極めて優秀な知性を見せた者は、特待生としてか、漏れても何名かは海運組合の利益を使って王立学園へ送り込む。そしてそれ以外の者たちは、王都に進出させるアイリスの『海運組合の王都本部』へ預ける」


「アイリス様の組合へ……なるほど。本部での事務方や計算係ですね」

 臣下として控えていたルリカが即座に意図を理解し、頷いた。


「その通りだ。これから莫大に拡大していく海運組合の王都本部には、実務を正確にこなせる人材が大量に必要になる。孤児院で教育した者を組合で実務経験させ、安定した生活基盤を与えつつ、数年後の『新体制(国家創設)』における実務官僚の予備軍としてプールしておくんだ」

 それは、単なる慈善事業ではない。


 特権階級の目を欺きながら、孤児たちを「新しい国家の歯車」として練り上げる、極めて冷酷で、同時にこれ以上ないほど希望に満ちた救済のシステムであった。


「……リュート殿下」

 カイルの声が震えていた。

 身分もなく、その日を生きるだけで精一杯だった故郷の孤児たちに、学問を与え、仕事を与え、あまつさえ未来の国家を支える役人への道まで拓こうというのだ。私怨による復讐だけでなく、見捨てられた弱者たちを組み込んで国を創り直そうとする主君の途方もない器に、実直な武人は深く頭を下げた。


「大賛成でございます。私めが責任を持って、リーゼロッテ殿下の護衛と、新兵たちの教育を全ういたしましょう!」

「リュート様。離宮に迎え入れる孤児の少女たちについては、私が責任を持って徹底的に鍛え上げ、貴方の手足となる忠実な侍女に育ててみせます」


「慈善慰問の偽装も、孤児院での教育も、私にお任せください。お兄様が目指す新しい秩序のため、必ずやり遂げてみせますわ」

 カイルの熱のこもった忠誠に続き、ルリカは厳格な臣下としての誓いを立て、リーゼロッテも力強く承諾の意を示した。


 王宮の中枢に突きつけられた法廷闘争という表の刃。

 そして、孤児院を拠点として密かに進められる、実務官僚育成という裏の刃。

 血統と品位に縛られた旧き体制を根本から覆すための両輪が、離宮という小さな城から、確かな熱量を持って動き始めようとしていた。


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