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リーガル・レジスタンス 〜法治国家を目指して〜  作者: ムササビ-モマ
第3章『秩序の崩壊』
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第1話 『情交奉仕者制度』

1 深夜の黒書庫(ヒルデガードの探求)


 深夜二時。

 王宮が深い眠りに沈む頃、第一側妃ヒルデガードは、誰にも告げず私室を抜け出していた。

 黄金の燭台を片手に、影を長く引き連れて向かった先は、王宮の最深部に位置する「黒書庫」。歴代の王とごく一部の特権階級にしか閲覧を許されない、歴史の汚濁が沈殿する場所である。

 重厚な扉を開くと、カビと古い羊皮紙の匂いが、冷たい空気と共に肺を刺した。ヒルデガードの翠の瞳が、暗がりの中で爛々と輝く。


『……あるはずよ。あの毒蜘蛛のような先代の女官長が、死の間際に震えながら私に耳打ちした、あの禁忌が』

 かつて、ヒルデガードは女官長から「王家の純血を守るための、最も醜悪で最も確実なシステム」の存在を聞かされていた。それは公式の史書には決して記されず、代々の王が自らの手で書き継ぐ秘録にのみ、その運用ルールが封印されているという。


『甘い罠、血統の汚染、そして――それを防ぐための「生贄」。あの時、女官長は確かに言ったわ。「禁忌の棚の、獅子の刻印の裏」だと』

 ヒルデガードは、自らの記憶という糸を辿るように、整然と並ぶ書棚の奥へと進む。燭台の炎が壁を舐め、歪な影を躍らせる。


 書庫の最奥、厚い埃に覆われた「禁忌の棚」の前に立った彼女は、棚の装飾である獅子の頭のレリーフを見つけ出すと、その顎の裏側に指を潜り込ませた。


 カチリ、と小さな金属音が響く。

 獅子の口が開くと同時に、隠された鍵穴が姿を現した。ヒルデガードは、亡き女官長から奪い取った古びた鍵を、躊躇いなく差し込んだ。


『これよ。この鍵が開くのは、王宮のただの扉ではない。ローゼンタリア王家の、絶対的な「狂気」の蓋よ』

 錠が開く音と共に引き抜かれたのは、分厚く、禍々しいまでの存在感を放つ羊皮紙の巻物だった。

 表面の革には、現国王と同じ名を持つ『血統秘録 第十七代ゼノン王親筆』という金文字が、蝋燭の灯りに浮かび上がる。

 ヒルデガードはその巻物を机の上に置き、震える指先で封を解いた。


『さあ、見せてちょうだい。王家の品位という名のメッキの下に隠された、剥き出しのシステムを。……私の愛しいグラクトを救い、あの目障りな帝国の女を地獄へ叩き落とす、完璧な「論理」を!』

 巻物を広げると、そこには端正な、しかし狂気を孕んだ筆致で、王家の『情交奉仕者制度』の全貌が、逃げ場のない数式のように記されていた。


 ヒルデガードは、その生々しい黒歴史を一行ずつ貪るように読み始めた。




2 歴史の語り部(制度成立の全貌と王家の狂気)


 黄金の燭台を傍らに置き、ヒルデガードは『血統秘録』の紐解かれたページに視線を落とした。

 そこに記されていたのは、王国の栄華の裏に隠された生々しい黒歴史の発端だった。

 かつて「地図を睨む王」が王立学園を設立し、貴族の牙を抜いて飼いならすシステムを完成させた数代後。権力を渇望する地方貴族たちは、学園に通ううら若き王族たちに巧妙な「甘い肉体の罠」を仕掛けるようになったとある。


『……当然の帰結ね。武力という牙を完全に抜かれた狼たちは、生き残るために次なる盤面として「学園」を選んだ。閉鎖された王宮から初めて外に出た、純粋で無防備な王子たち。彼らに劣等な血を持つ娘を抱かせ、外堀から王家の血統そのものを乗っ取る……極めて合理的で、反論の隙を与えない卑劣な侵略だわ』

 ヒルデガードは冷たい笑みを浮かべ、さらに文字を追う。


 記録によれば、うっかり罠に落ち、平民や下位貴族の娘に種を蒔いてしまった王子たちは「血統汚染」の大罪に問われ、次々と王位継承権を剥奪されていった。王家が絶対視する純血主義が、逆に王家自身の首を絞めるという致命的な事態に陥ったのだ。


『王家の「品位」と「純血」という絶対のルールが、皮肉にも王家最大の致命的な欠陥になったのね。過ちを犯した王子を厳罰に処せば処すほど、王家は自らの手で正統な後継者を間引き、貴族たちの思惑通りに自滅していく。人間の根源的な欲望を、法と品位だけで統制しきれなかった……これが人治国家の限界点というわけね』

 彼女の翠の瞳が、その危機的状況を打破するために当時の王――現国王と同じ名を持つ第十七代ゼノン王が創設したという項で止まった。


 それが『情交奉仕者制度』である。

 王子が学園に入学する十五歳までの間、最も身元が確かで裏切りの危険がない「王宮内部の女性」をあてがい、王子の性教育と欲求不満の処理を完全に管理させるというシステム。


『……なるほど。外で毒の入った餌を食うくらいなら、安全な檻の中で、毒見の済んだ肉を与えて完全に飼い慣らせばいいということ。欲望を自制させるのではなく、欲求そのものを宮廷内という密室で完結・枯渇させる。倫理など完全に度外視した、王家の血と権力を守るためだけの異常な最適解だわ』

 秘録には、その厳格な運用ルールが冷徹な言葉で連ねられていた。


 【担当者の条件】本来は「王妃の産んだ子」に対し、序列の高い側妃が務める。しかし、王妃に子がいない場合は「王子と血の繋がらない側妃」が後宮の序列順に選ばれる。


 【処置】王族の純血を乱さぬよう、奉仕者に選ばれた側妃には「機関限定の確実な避妊処置」が施される。


『……完璧だわ。実力主義を掲げる女の尊厳を奪い、ただの「処理用の器」とする。肉体も、精神も、内側から完全に粉砕する最高の一手になる』

 最後に記されていたのは、この制度の装飾と隠蔽についてだった。


 王国において、これは「王妃に次ぐ最高の名誉」とされる。王子が成人した後も「準王妃待遇」として生涯の地位と莫大な財産が保証される。しかし、担当者は王家外部には絶対の極秘。漏らした者は「王族の私生活暴露」の重罪で即座に一族党類が粛清される。


『尊厳を徹底的に蹂躙しながら、それを「最高の名誉」という美しい言葉で縛り付ける。逆らえば王家への反逆となり、外部に助けを求めれば一族ごと処刑される。完全な密室の出来事……。王家のシステムとは、かくも冷酷で、美しく機能するものなのね』

 ヒルデガードは巻物を強く握りしめた。彼女の頭の中で、完璧なシナリオが組み上がりつつあった。




3 ヒルデガードの暗い歓喜と「標的」の選定


 そもそも、ヒルデガードがなぜこの深夜に、禁忌の扉を開いてまで黒書庫を訪れたのか。

 その発端は、わずか数時間前の出来事だった。グラクトに仕える専属侍女が、第一側妃の私室へ青ざめた顔で駆け込み、息を殺して極秘の報告をもたらしたのだ。


『第一王子殿下が……初めて、大人の階段を登られました』

『……あの報告を受けた瞬間、私の直感は正しかった。王子の身体的な成熟は、単なる成長の証ではない。この王宮という盤面において、新たな政争を引き起こす最大の引き金になるのだと』

 ヒルデガードは黄金の燭台の炎を揺らしながら、再び巻物の文面に翠の瞳を滑らせた。


『グラクトが「男」になった以上、この情交奉仕者制度は即座に発動されなければならない。王家の血統と品位を守るという大義名分のもと、最も確実に機能する防波堤として』

 彼女の視線が、奉仕者の選定条件を規定した一文をゆっくりと、獲物を舐め回すようになぞる。


「王妃に子がいない場合、血の繋がらない側妃が序列順に選ばれる」

『現在の後宮の力学に当てはめれば、解は明白。正妃であるマルガレーテには子がない。そして、第一王子グラクトの生母は他ならぬ私、ヒルデガード。王の種を宿すべき私が、実の息子の相手を務めることは血統のルールが許さない』

 ヒルデガードの頭脳は、冷徹な論理のパズルを一つずつ嵌め込んでいく。


『つまり、私は自動的にこの役目から除外される。では、残された「血の繋がらない側妃」の中で、最も序列が高いのは誰か。第三側妃のソフィアか? いいえ、彼女よりも上位に座る目障りな異物が一人いるではないか』

 ヒルデガードの艶やかな唇が、暗闇の中でゆっくりと、残酷な三日月の形に歪んだ。


『第二側妃、ルナリア・ネイア・ローゼンタリア。……そう、王家の絶対的なルールが、あの女を最高の「生贄」として指名しているのよ』

 大国ファブリス帝国の公爵令嬢という圧倒的な出自を持ち、実力主義の矜持を胸に、決してローゼンタリアの「品位」という名の虚飾に屈しない誇り高き女。


 ヒルデガードの胸の奥で、長年溜め込んでいた嫉妬と憎悪が、暗い歓喜となって爆発した。


『グラクト……私の愛しい光。貴方には、私が「最高の教師」をあてがってあげますわ。あの尊大な帝国の女が、貴方の夜の欲求を満たすためだけの処理道具として這いつくばるのよ。どれほど実力があろうと、王国のルールには逆らえない』

 彼女は、この策がもたらす連鎖的な破壊効果を冷酷に弾き出す。


『これは単なる屈辱ではない。避妊処置という名目で、あの女の心には修復不能なダメージが合法的に刻み込まれる。帝国の誇りも完全に蹂躙される。そして、母親が兄の慰み者に成り下がる姿を見せつけられれば、あの生意気で不気味な黒髪赤眼のリュートも、精神を病んで王宮の最底辺へと失墜するはず……!』

 誰の手も下さず、毒も刃も使わない。ただ王国の歴史あるシステムを厳格に順守するだけで、最大の政敵を社会的・肉体的・精神的に完全抹殺できる。


 それは、武門のゼノビア侯爵家に連なるヒルデガードにとって、これ以上ないほど緻密で、論理的に研ぎ澄まされた完璧な謀略の完成であった。




4 終幕の決意


 ヒルデガードは暗い愉悦を胸の奥底に沈めながら、分厚い巻物を丁寧に巻き直した。


『盤面の確認は終わった。論理的な破綻も、あの女が逃げ込める例外規定も一切存在しない。王家が数百年かけて構築した「純血を守るための防衛システム」そのものが、今や私の握る最も鋭利な刃となったわ』

 王家の狂気を記した歴史の闇を元の禁忌の棚へと戻し、隠し鍵で厳重な錠を冷たい金属音とともに掛け直す。


『この絶対的なルールは、罠が作動するその瞬間まで再び深い闇底に沈めておかねばならない。この策の真の美しさは、最高権力者である王妃の口から、誰も逆らえない「名誉の授与」として突然に執行される点にあるのだから』


「これは王国が定める最高の『名誉』……。実力主義を誇る帝国の女が、王家の品位という名の愛の鞭にどう鳴き声を上げるか……見ものですわね」


『肉体的な尊厳を徹底的に破壊しながら、それを「至高の誉れ」として押し付ける。この醜悪な矛盾を前に、彼女の誇り高き理性がどう崩壊していくのか。想像するだけで胸がすく思いだわ』

 独りごちたその呟きは、甘美な猛毒となって黒書庫の淀んだ空気に溶け込んでいった。


 彼女が黒書庫を出ると、重厚な鉄の扉が音もなく閉ざされ、王宮の最深部は再び底知れぬ沈黙へと沈んだ。

 自室へと続く白薔薇の間を通り抜ける際、ヒルデガードは手にしていた黄金の燭台の炎を、細い吐息でフッと吹き消した。途端に、豪奢な空間は完全な暗闇に包み込まれる。


『明日の午後、王家の中枢のみを集めた「選定会議」を開かせよう。王妃マルガレーテは極めて合理的で、王家の血統と安定を何よりも優先する冷徹な女。私がこの歴史的特例を「グラクトの純血と未来を守るための正当な儀式」として提示すれば、彼女は一切の躊躇なく、システムに従ってルナリアを生贄に選ぶはずよ』

 盤面を決定づける巨大な歯車は、すでに彼女の手によって回された。


 ルナリアを合法的に抹殺し、自らの陣営の権力を盤石にするという残酷で完璧なシナリオ。それを完遂する決意を固めた第一側妃のヒールの足音だけが、冷たい石造りの回廊に、明日へのカウントダウンのようにどこまでも響き渡っていた。

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