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リーガル・レジスタンス 〜法治国家を目指して〜  作者: ムササビ-モマ
第2章『人知の世』
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第7話  『言葉の反転』

1 四半期決算と黒白の違和感


 王都の下町、迷路のような路地の奥に、一軒の古びた古書店がある。

 看板の文字は掠れ、ウィンドウには日焼けした地図や哲学書が無造作に積まれている。一見すれば、時代に取り残された寂れた店だ。

 だが、その奥にある「従業員専用」の扉の向こうには、王都のどの貴族の館よりも濃密な「黄金」と「情報」が渦巻く密室が存在した。

 オルディナ商会が管理する、秘密の隠れ家。


 埃っぽい古紙の匂いと、微かなインクの香りが漂う薄暗い部屋で、一組の少年少女が向かい合っていた。


「……今期の純利益、目標値をさらに十五パーセント超過。ハイドロフォイルによる物流革命は、完全に東の海を制圧しましたわ」

 帳簿をめくる指先は白く、優雅だ。十二歳となり、少女から女性へと美しく変貌しつつあるアイリス・オルディナは、積み上がった金貨の山には目もくれず、数字の羅列に熱っぽい視線を注いでいた。


「王家への上納金を差し引いても、この黒字……。殿下。貴方の作った『システム』は、金のなる木そのものですわ」

 その対面に座るリュートもまた、古びたソファに深く身を沈め、静かに頷いた。彼も十二歳。無害な少年の仮面はそのままに、その瞳の奥には冷徹な光が宿っている。


「順調だね。父上(国王)も、何もしなくても懐に入ってくる莫大な税収にご満悦だ。これでしばらくは、僕たちの事業に干渉してこないだろう」

 海運組合の発足から一年。彼らの「空飛ぶ馬車」は、物理的な速度だけでなく、経済的な速度をも塗り替えた。二人はこの薄暗い部屋で、世界を動かす盤面を操作しているのだ。


 パチィン。

 乾いた音が、部屋の静寂を切り裂いた。アイリスが帳簿を閉じ、手元にあった「白と黒の石」を指先で弾いた音だった。

 最近、王都を席巻している話題の盤上遊戯――『リバーシ』だ。


「……ですが、こちらは理解に苦しみますわ」

 アイリスは盤面に並んだ石を見つめ、不敵に、しかしどこか悔しげに笑った。


「悔しいけれど、認めざるを得ません。このゲームのアルゴリズムは『美しい』わ」

 彼女は黒い石を一手打ち、白の列を一瞬にして黒へと反転させた。


「単純なルールで、無限の思考を要求する。軍人が熱狂するのも分かります。……ですが、これを発明した西のクロムハルト公爵家は、この権利を王家に投げ捨てた。私なら、この中毒性を利用して商売を独占し、数年は市場を支配してみせますわ。それを放棄するなんて……彼らの『合理性への狂気』には、私が持つ『数字への執着』とは違う、別のベクトルの天才を感じますわ」

 アイリスにとって、利益を生まない行動は「バグ」だ。だが、このリバーシには、計算高い彼女ですら魅了される「純粋な論理美」があった。

 リュートは、アイリスの手元にある盤面をじっと見つめていた。彼の視点は、アイリスのそれとは全く異なっていた。


「……アイリス。このゲームには『進化の過程』がない」

「進化、ですか?」

「ああ。僕は王宮の書庫で、この国の遊戯史を全て読んだ」

 リュートは静かに語り出した。


「あらゆるゲームには原型がある。チェスにはシャトランジ。歴史の中でルールが洗練され、形を変えていくものだ。だが、このリバーシは違う。前触れもなく、突如として『完成された形』で出現した。……この国の文化や歴史的背景とは、完全に断絶しているんだ」

 リュートは確信していた。


『……当たり前だ。これは地球の「オセロ」だ』

 偶然の一致ではない。ルール、盤面のサイズ、石の形状。その全てが、彼が前世で知っていたものと合致する。


『つまり、西の公爵家には……僕と同じ「前世のデータベース」を持つ人間がいる』

 リュートは、カイルから受け取った西の技術レポート――「規格化されたネジ」の図面を思い出した。あれもまた、この世界の発想ではない。


「……彼女ヴィオラは、この国の教育では絶対に生まれない『異質な思考回路』を積んでいる。僕が使う『特権状』の抜け穴や、『水中翼船』のアイデアが、この国の常識から外れているのと同じようにね」

 リュートの言葉に、アイリスはハッとして顔を上げた。彼女はリュートの正体(転生者)を知らない。だが、彼が時折見せる「世界の外側からの視点」と同じ匂いを、西の令嬢に感じ取ったのだ。


「……なるほど。殿下と同類の『変種モンスター』ということですね」

 アイリスの瞳が、獲物を狙う狩人の色に変わった。


「ならば尚更、確保が必要ですわ。そのような異能の持ち主が、無防備に王家の庭を歩いているなど……危険すぎます」

「ああ。同感だ」

 リュートは盤上の白い石を手に取り、ギュッと握りしめた。


「今のエンジンの限界を突破するには、彼女が持つ『〇・〇一ミリの加工技術』と『規格化の思想』が不可欠だ。放っておけば、彼女はヒルデガードに骨までしゃぶられる。……潰される前に、僕たちが確保する」

 薄暗い古書店の一室。埃とインクの匂いの中で、東の天才たちは「西の天才」を狩るための共謀を結んだ。それは恋人たちの密会のように静かで、しかし国を動かす熱を帯びていた。




2 白薔薇のサロン:完璧なプレゼン


 王宮の奥深く、男子禁制の後宮。

 王妃マルガレーテが主宰する「白薔薇のサロン」は、表の政治よりもドロドロとした情念と計算が渦巻く、女たちの戦場だ。

 上座には国王ゼノンと、正妃マルガレーテ。その下座で対峙するのは、第一側妃ヒルデガード(騎士派)と、第三側妃ソフィア(魔導派)。二人の間には、目に見えない火花が散っている。


「……陛下、王妃様。先日、西のクロムハルト家から献上された『リバーシ』の件、もう耳に入っておいででしょう?」

 ヒルデガードが、勝利を確信した笑みを浮かべて口火を切った。


「うむ。あれには驚いた。巨万の富を生む権利を、一切の対価を求めず差し出すとはな」

 国王ゼノンが頷く。


「おかげで国庫は潤ったが……あの公爵家は、よほど金に困っていないのか、あるいは……」

「あるいは、『無欲』なのですわ」

 ヒルデガードは、ヴィオラの行動を「騎士道精神」にも通じる献身として美しく脚色した。


「調べさせましたが、令嬢ヴィオラリアは、宝石やドレスにも目もくれず、ただひたすらに魔導の研究に没頭しているそうです。……自らが発明した遊戯が国中で流行しても、それを誇ることもなく、権利を王家に委ねて静かに身を引く。これほどの『謙虚さ』と『慎み』を持つ娘が、今の貴族社会にいるでしょうか?」


「ふむ……」

 王妃マルガレーテは扇で口元を隠し、冷ややかな視線を投げた。


「ですが、クロムハルト家といえば……『変わり者の技術屋』として有名ではありませんか? 噂では、屋敷中が魔力光で眩しく、当人たちも常に薬品とオゾンの匂いをさせているとか。……『神の子』グラクトの隣に立つには、いささか品位に欠けるのでは?」

 その言葉に、ヒルデガードは待っていましたとばかりに胸を張る。


「いいえ、王妃様。それは『汚れ』ではなく、『勤勉さ』の証ですわ。彼女は、魔導という王国の力の源を探求するために、身を粉にしているのです。その姿は、神に仕える修道女のように純粋で、清らかではありませんか」

 ヒルデガードの熱弁に、王妃の表情が少し揺らぐ。

 そこで――落ち着き払った、理知的な声が場に割って入った。


「……私も、ヒルデガード様の推挙には一理あると考えます」

 第三側妃ソフィアだ。


 彼女は魔導派のトップとして、常に騎士派のヒルデガードと対立している。その彼女が、優雅に紅茶を啜りながら同意を示したことに、王妃は眉を上げた。


「ソフィア? 貴女が騎士派の案に賛成するのですか?」

「ええ。ただし、理由は少し違います」

 ソフィアはカップを置き、王妃に向かって、あくまで恭しく、しかし計算高い笑みを向けた。


「王妃様。この後宮の秩序を守るためには、何よりも『調和』が必要です。もし、東のオルディナ公爵家や、南の軍閥のような『政治的野心』の強い娘がグラクト殿下の隣に立てば……彼女らは自らの実家を背景に、王妃様の定めた秩序を乱すやもしれません」

 ソフィアは言葉を選びながら、確実にヒルデガードの痛いところを突く。


「その点、クロムハルト家は生粋の『技術屋』。彼らは政治にも派閥争いにも興味がありません。ただ、言われたものを作り、王家に貢献することだけを喜びとしています。……つまり、彼女は『透明』なのです」


「透明……?」

「はい。王妃様の色を邪魔せず、決して出過ぎた真似をしない。王家の威光に従順に従い、豊かな持参金(技術と金)でグラクト殿下をお支えする。……次期王妃として、これほど『安心』できる相手はおりませんわ」

 それは、ヴィオラを「無害な存在」と定義することで王妃を安心させつつ、暗にヒルデガードに対し、『貴女たち騎士派は、政治的な後ろ盾のある有力な娘を確保できなかったのですね。だからこんな、金と技術だけの田舎娘でお茶を濁すしかありませんのね』という強烈な皮肉を含んだ賛同だった。


「……なるほど。野心を持たぬ、透明な娘ね」

 王妃マルガレーテは、ソフィアの論理に深く納得した様子で頷いた。


「確かに、小賢しい派閥意識を持ち込まれるよりは、技術一筋の純朴な娘の方が、私も可愛がってやれるかもしれませんね」

「左様でございます、王妃様」

 ソフィアは深く頭を下げた。国王ゼノンも、二人の側妃の意見が一致したことに満足げだ。


「うむ。金もあり、技術もあり、そして野心はない。ヒルデガードの推挙と、ソフィアの分析、どちらも理に適っておる。グラクトには、そのような『都合の良い妻』こそが必要だ」

「ありがとうございます、陛下」

 ヒルデガードは一礼したが、その目は、してやったりと微笑むソフィアを油断なく見返していた。


 こうして、王家の大人たちの「都合の良い解釈(聖女のような献身)」と「派閥の計算(無害な技術屋)」によって、ヴィオラの運命は決定づけられた。彼女の「ゴミ捨て」は、騎士派には「献身」と映り、魔導派には「安全牌」と映ったのだ。


 どちらにせよ、彼女を一人の人間として見ている者は、この「白薔薇のサロン」には誰一人としていなかった。




3 工房の勘違い(勅命の受領)


【西のクロムハルト公爵領・第三魔導実験室】

 王宮の奥深くで、ヴィオラの運命が勝手に決定されていた、まさにその時。当の西の公爵邸は、相変わらず駆動音と魔力の焦げる匂いに包まれていた。


「……同期、完了。排気弁の誤差修正、コンマ以下」

 ヴィオラは、唸りを上げる試作エンジンの前で、魔導液にまみれた前髪を無造作にかき上げた。その碧眼は、恋人を見つめるよりも遥かに熱っぽい視線を、目の前の鉄塊――クリムゾン・コアを心臓部に据えた新型内燃機関に注いでいる。


 リバーシの献上によって屋敷には静寂が戻り、借金も一時的とはいえ解消された。研究に没頭できる至福の時間。まさに天国だ。

 そこへ、控えめな咳払いが、エンジンの轟音の隙間を縫って響いた。


「……旦那様、お嬢様。お取り込み中、失礼いたします」

 執事が、盆に乗せた一通の書状を恭しく差し出している。その表情はいつになく硬い。

 作業台の奥で図面の山に埋もれていた公爵が、片眼鏡モノクルの位置を直しつつ、億劫そうに顔を上げた。


「なんだ、今いいところなのだがな……。請求書なら暖炉にくべておけ」

「いいえ、旦那様。王都より早馬です。……陛下より直々の『召喚状(勅命)』でございます」

 その言葉に、公爵の手が止まった。

 彼は魔導液で汚れたままの手で厚手の封筒を受け取ると、ペリペリと封蝋を砕く。中から現れたのは、王家の紋章が入った最高級の羊皮紙だ。


「……ふむ。『クロムハルト公爵、及び令嬢ヴィオラリア。次回の謁見の間に参内せよ』か」

 公爵が読み上げた内容に、ヴィオラは露骨に顔をしかめた。手に持っていたスパナを、カランと作業台に置く。


「謁見、ですか? ……正直、気が進みませんわ」

 彼女はため息混じりに肩をすくめた。


「どうせリバーシの件でしょう? 『よくやった』というお褒めの言葉なら、郵送で十分ですのに。王都までの往復で三日……その時間があれば、燃焼室の再設計ができてしまいます」

「全くだ。王家は技術者の時間単価コストというものを理解しておらん」

 公爵も深く頷き、召喚状を雑に――書き損じの図面の山の上へと放り投げた。まるで、不要な部品を捨てるかのような手つきだ。


 だが、羊皮紙が滑り落ちる直前、公爵の動きがピタリと止まった。碧い瞳の奥で、何かが計算された音がした。彼はゆっくりと、ニヤリと口角を吊り上げる。


「……待てよ、ヴィオラ。これはチャンスかもしれんぞ」

「チャンス?」

「うむ。我々はリバーシという『金の卵』を、丸ごと献上したのだ。陛下も鬼ではない。わざわざ呼び出したということは、単なる言葉以上の『実利』を用意しているはずだ」

 公爵は、まるで新しい実験のアイデアを思いついた時のように、声を弾ませた。


「そう、例えば……『特別研究予算』の増額とか。あるいは、お前が喉から手が出るほど欲しがっていた『王立魔導研究所の最新鋭旋盤』の使用許可とか」

 その言葉は、ヴィオラの脳髄に電流のように走った。

 ガタッ、と椅子が鳴る。彼女は立ち上がっていた。その反応速度は、自慢の兄にも引けを取らない。


「行きます。お父様、私、行きますわ!」

 先ほどまでの気だるさはどこへやら。彼女の瞳は、最高出力の魔力炉のように輝き始めている。


「陛下に直接プレゼンして、旋盤……いえ、予算をもぎ取ってきます!」

「その意気だ! よし、すぐに準備だ。出発は明日ぞ!」

 二人は薄汚れた作業着のまま、ハイタッチを交わした。

 実験室の空気は一変し、新たなプロジェクトへ向かう熱気に包まれる。だが、その方向性は、王宮が期待する「婚約に向けた顔合わせ」とは、絶望的なまでにズレていた。


「お嬢様、ドレスのご用意を! 今年の流行は……」

 慌てて駆け寄ってきた侍女の言葉を、ヴィオラは図面を丸めながら遮った。


「去年の社交シーズンに着た青いのがクローゼットにあるはずよ。身長も変わってないし、カビも生えてないなら、あれで十分だわ」

「えっ、で、ですが……」

「顔を洗って、髪をとかせばいいの。どうせ誰も見てないし、今回の目的は『営業』だもの」

 ヴィオラにとってドレスは単なる「正装という機能を持つ布」に過ぎない。彼女が本当に大事そうに抱えたのは、宝石箱ではなく、分厚い円筒形の図面ケースだった。


「それよりもお父様、プレゼン資料は?」

「抜かりはない!」

 公爵もまた、重そうな革袋を作業台にドスンと置いた。


「新型エンジンの設計図と、リバーシの『改良案(拡張パック)』だ! ただ褒美を待つのではない。我々の技術がいかに有用かをアピールし、来期の予算枠を拡大させるのだ!」


「了解です! 私も試作品のパーツを持っていきます!」

 彼らは目を輝かせ、まるで遠足に行く子供のように――あるいは、大口の出資者に会いに行くベンチャー企業の社長たちのように、意気揚々と準備を進めていく。


 彼らは、その優れた頭脳の片隅にも疑っていなかった。

 まさか王家が、予算ではなく「結婚指輪(首輪)」を用意して待ち構えているとは。そして、自分たちが「無欲な聖女」などという、身に覚えのない過大評価を受けていることなど、夢にも思わずに。

 馬車は翌朝、西の街道を駆け抜けるだろう。希望と野望(予算)だけを乗せて、王都という名の魔窟へと、全速力で突っ込んでいくのだ。




4 噛み合わないお茶会(謁見前の面会)


 謁見の間へと続く豪奢な控え室。

 そこには、極上の紅茶の香りと、それ以上に芳しい「勘違い」の香りが満ちていた。


 テーブルを囲むのは四名。王家側からは、第一王子グラクトと、その後見人である第一側妃ヒルデガード。公爵側からは、当主ディーゼルと、令嬢ヴィオラ。


 王家側にとって、これは「未来の王妃を定める見合いの場」。公爵側にとって、これは「予算獲得プレゼン前の接待」。

 認識のズレは、太陽と月ほど離れていたが、会話は奇妙なほどスムーズに滑り出した。


「……ヴィオラ嬢。君が考案した『リバーシ』は素晴らしい。私も騎士団の稽古の合間に楽しませてもらっているよ」

 グラクトが、黄金の瞳を真っ直ぐに向けて口を開いた。彼の声は誠実で、少し緊張を含んでいる。


「恐縮です、殿下」

 ヴィオラは教わった通りのカーテシー(礼)をしつつ、内心で冷や汗を流していた。


『やばい、話題がない。エンジンの話をしたら引かれるし、予算の話はまだ早い。……ここは当たり障りのない趣味の話で時間を稼ぐしかないわ』


「君は、普段はどのように過ごしているんだい? リバーシのような知的遊戯を好むのか、それとも……」

「……そうですね」

 ヴィオラはカップに視線を落とし、言葉を選んだ。


『正直に「鉄を削ってます」と言ったらドン引きされるわよね。……オブラートに包もう』

「私は……美しい『回転体』が、静かに、滑らかに回り続ける様を眺めている時が、一番心が安らぎます」

『超高速タービンが、摩擦係数ゼロで回転している状態のことだ。これなら無難な趣味に聞こえるだろう』と、ヴィオラは安堵した。


 一瞬の沈黙。

 ヒルデガードが、感嘆のため息をついた。


「まあ……。『回転体』……つまり、ダンス(円舞曲)ですわね?」

「へ?」

「社交界の喧騒の中で踊るのではなく、ただその円舞の美しさだけを静かに愛でる……。なんと風流で、詩的な感性でしょう」


『あ、そういう解釈? ラッキー、それで通そう』

 ヴィオラは曖昧に微笑んだ。


「ええ、まあ、そのようなものです」

 グラクトも深く頷いた。

サークルか。確かに、調和の取れた動きには無駄がない。……君は、賑やかな場所よりも、静寂を好むようだね」


「はい。余計な『摩擦フリクション』は好みません。軸がブレていなければ、ノイズはしないものですから」

『軸受けの精度が高ければ、機械は静かであるという物理の話だ』とヴィオラは思ったが、グラクトの瞳は輝きを増していた。


「……素晴らしい。摩擦を生まない生き方。そして、自らの軸(芯)をしっかり持ち、声高に主張することなく静かに在る……。まさに、王族の妻としてあるべき『調和』の精神だ」

『ん? なんか話が精神論になってない? まあいいか、褒められてるっぽいし』と、ヴィオラは首を傾げた。


 続いて、グラクトの視線はヴィオラのドレスに向けられた。それは一年前の流行遅れで、装飾も少ないシンプルな青いドレスだ。


「……君は、あまり飾り気を好まないようだね。他の令嬢たちは宝石やレースで着飾るが、君の装いはとても……シンプルだ」

 その言葉に、父ディーゼルが『しまった、予算不足がバレる!』と焦って口を挟んだ。


「ははは、殿下。お見苦しくて申し訳ありません。娘は常々、『効率』を何より重んじておりますゆえ。過剰な装飾は、本来の機能美を損なうと考えておるのです」

『単に金がないのと、フリルが機械に巻き込まれると危ないという安全管理の話だ』というディーゼルの言い訳は、ヒルデガードの脳内で「至高の賛辞」へと変換された。

『機能美……! つまり、「公務」を遂行するために、無駄な贅沢を排しているということ!』

 ヒルデガードは、扇で口元を隠しながらグラクトに耳打ちした。


「殿下、お聞きになりましたか? 『効率』とは、すなわち『質実剛健』。国母となる者が浪費家では国が傾きます。彼女のこの『慎み』こそ、今の王宮に必要なものですわ」

「ああ、その通りだ」

 グラクトは感銘を受けた様子で、ディーゼルに向き直った。王族の品位を叩き込まれてきた彼にとって、彼女の飾らない姿勢は理想的な妃の姿に映ったのだ。


「公爵。お嬢様の教育方針には感服した。外見を飾るよりも、内面の『機能(役割)』を磨くことに重きを置いているのだな」

「は、はい! その通りでございます!」


『よし! 「機能重視」の姿勢が評価された! これなら新型旋盤の導入意義も伝わるはずだ!』と、ディーゼルは勢いよく頷いた。

「娘はよく言います。『見た目よりも出力アウトプット』だと。どれほど美しくても、中身が回らなければ意味がないと!」

「出力……。そうか、家を支え、次代を育む力のことか」

 グラクトは独りごちた。


「見た目に惑わされず、実利を取る。……まさに私が求めていたパートナーだ」

『(おっ、感触がいいぞ!)』

 ディーゼルとヴィオラは顔を見合わせた。殿下は『実利』重視だ! これは予算増額、いける!

 グラクトが、穏やかな笑みで最後の確認をした。


「では、ヴィオラ嬢。君は、私の隣に立つことになったら……その『効率』と『静寂』をもって、私を支えてくれるだろうか?」

 ヴィオラは即答した。


「もちろんです、殿下! 貴方様のために、最高の『成果物プロダクト』を提供することをお約束します!」

『リバーシの利益と、新型エンジンの特許料で国を富ませます!』という決意の言葉。

「……ありがとう。君の覚悟、受け取った」

『王位継承者を産み、国を支える覚悟、しかと受け取った!』という満足の笑顔。


 場は、完璧な調和に包まれた。全員がニコニコと笑っている。誰一人として、会話のドッジボールが行われていることに気づいていない。

 ヒルデガードは満足げに頷き、立ち上がった。


「――素晴らしいお茶会でしたわ。陛下もお待ちです。さあ、参りましょう。……運命の謁見の間へ」

「はい!」

 ヴィオラと公爵は、意気揚々と立ち上がった。彼らの頭の中は、これから始まる「予算獲得プレゼン」への期待でいっぱいだった。


 扉が開く。

 その先に待つのが「国庫の鍵」ではなく、「逃れられない婚姻届」だとは、彼らはまだ、知る由もなかった。

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