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リーガル・レジスタンス 〜法治国家を目指して〜  作者: ムササビ-モマ
第2章『人知の世』
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第3話  『迷宮の密約』

1 オルディナ公爵の歴史と令嬢の現状


 離宮の一室、リュートの隠れ家となっている書斎。

 窓の外はすでに夕闇が迫り、今夜の「戦場」である夜会の時刻が近づいていた。


 リュートは、机の上に広げていた分厚い古書――『王国貴族興亡史』をパタンと閉じた。埃っぽい匂いが舞う中、彼は部屋の隅で武具の手入れをしていたカイルに背を向けたまま、静かに語り出した。


「……カイル。なぜ東のオルディナ公爵家が『臆病』と呼ばれるか、その理由が分かったよ」

 カイルは手を止めず、布で剣を磨きながら答えた。


「先代の失敗、というやつですか?」

「ああ。五十年前の『白銀の破産』だ」

 リュートは指で革表紙をなぞった。


「かつてのオルディナ家は、果敢な冒険商人だったらしい。だが、全財産を投じて建造した大船団が、海竜の巣に突っ込んで全滅した。積荷も、船も、有能な船乗りたちも、一夜にして海の藻屑となった」

 それが、東の公爵家のトラウマだ。


 莫大な借金を背負い、領民は飢え、家は取り潰し寸前まで追い込まれた。現在の当主である公爵は、幼少期にその地獄を見ている。借金取りに追われ、父が頭を下げて回る姿を、脳裏に焼き付けて育ったのだ。


「だから、現当主は『冒険恐怖症』になった。彼にとって新しい挑戦とは、すなわち『破滅』への入り口だ。石橋を叩いて、叩いて、結局渡らない。現状維持こそが最大の防御だと信じて疑わない……それが、あの『臆病公爵』の正体だ」

 リュートは立ち上がり、窓の外を見た。王都の向こう、東の空を睨む。


「彼は無能じゃない。家を守る『守備の人』としては優秀だ。だが……時代が悪かった」

 王国の腐敗が進み、理不尽な税と賄賂が横行する現代。「現状維持」はもはや「緩やかな衰退(死)」でしかない。茹でガエルだ。水温が上がっていることに気づかず、公爵家は静かに窒息しようとしている。


「だが……長女のアイリスだけは気づいている」

 リュートの声に、熱が帯びた。

 市場で手に入れた、あの『貨物引換証』。あれは、ただの便利な紙切れではない。沈みゆく船の中で、必死に水を掻き出そうとする悲痛な叫びだ。


「彼女は知っているんだ。『何もしないことが、最大のリスクだ』と。公爵家という巨船が、このままでは座礁することを誰よりも理解し、恐怖している。だからこそ、父の臆病な方針の間隙を縫ってまで、あんな際どい疑似紙幣のシステムを作らざるを得なかった」

 リュートは振り返り、カイルを見た。


「カイル、彼女は今、溺れかけている。周囲は誰も危機の正体に気づいていない。孤独な海の中で、呼吸をするために必死でもがいている」

 リュートは漆黒の礼服の袖を直し、不敵に笑った。


「必要なのは、彼女が掴まれる『手』と、海を渡る『船』だ。王家の理不尽から身を守るための『根拠』。そして、物理的に海竜を回避して利益を生む『魔導船』」

 その二つを持っているのは、この世界でリュートだけだ。


「……行くぞ、カイル。溺れているお姫様に、蜘蛛の糸を垂らしにいく」

 カイルは磨き上げた剣を鞘に収め、ニヤリと笑った。


「……まるで悪魔の勧誘ですな」

「否定はしないさ。……彼女を救うためなら、僕は喜んで悪魔になろう」

 リュートは部屋を出た。


 孤独な天才少女を「共犯者」にするために。

 夜会の幕が、上がろうとしていた。




2 夜会の招待状:接触のフック


 東のオルディナ公爵邸の夜会会場は、眩いばかりの光に包まれていた。

 天井を埋め尽くすほどのクリスタルシャンデリアが輝き、楽団の奏でる優雅なワルツが響く。色とりどりのドレスを纏った貴族の令嬢たちが、扇を片手に談笑し、紳士たちがグラスを片手に政治を語る。


 そこは王国の富と権力が集まる、華やかで、そして空虚な戦場だった。

 だが、その空気は一人の少年の登場によって一変した。


「……あら、あの方は?」

「まさか、噂の第二王子……?」

「なんて不吉な黒髪……。でも、あの瞳、吸い込まれそうだわ」

 ざわめきが波紋のように広がる中、リュートは会場の入り口に姿を現した。


 漆黒のベルベットに銀糸の刺繍が施された礼服。その姿は、パステルカラーや金銀の装飾が溢れる会場において、異質な存在感を放っていた。まるで、真昼の太陽の中に現れた「夜の支配者」のように。


 リュートは周囲の好奇と嘲笑の視線を完全に無視し、優雅な足取りで会場を進んだ。その傍らには、護衛のカイルが油断なく周囲を警戒している。


(……見つけた)

 リュートの赤い瞳が、会場の隅にあるバルコニー近くを捉えた。

 壁の花となって佇む、一人の少女。


 透き通るような銀髪に、知性を湛えたアメジストの瞳。その身なりは公爵令嬢として完璧だが、どこか退屈そうで、周囲の会話に加わろうとしない。


 アイリス・ルーナ・オルディナ。

「臆病公爵」の娘にして、あの高度な引換証システムを構築した天才少女。


 彼女の周りには取り巻きがいない。それは彼女の人気がないからではなく、彼女の放つ冷徹な知性が、凡庸な貴族たちを寄せ付けないからだ。


(……予想通りだ。彼女は退屈している。この『品位』だけの世界に)

 リュートは躊躇なく彼女に近づいた。周囲の令嬢たちが息を呑む。不吉な第二王子が、東の大公女に接触しようとしているのだ。


「……ごきげんよう、アイリス嬢」

 リュートは彼女の前で立ち止まり、流れるような所作で一礼した。アイリスは驚いたように顔を上げたが、すぐに完璧な令嬢の微笑みを作った。


「ごきげんよう、リュート殿下。……まさか、このような場所にいらっしゃるとは」

 その声は鈴のように美しいが、どこか事務的で、壁を作っている。


「ダンスを一曲、いかがかな?」

 リュートは手を差し出した。

 アイリスは一瞬ためらったが、断れば王族への不敬になる。彼女は小さくため息をつくのを堪え、その手を取った。


「……喜んで」

 二人はフロアの中央へと進み出た。音楽に合わせてステップを踏む。リュートのリードは完璧だった。母ルナリア仕込みの帝国のステップは、王国のそれよりも鋭く、情熱的だ。


「……お上手ですね、殿下」

 アイリスが少し驚いたように囁く。


「離宮に閉じ込められていると伺っていましたが」

「暇を持て余していたのでね。……ところで、君の『引換証』は見事だ」

 ピクリ、とアイリスの足が止まりかけた。リュートは強引に、しかし自然に彼女の腰を引き寄せ、回転させた。


 周囲には優雅なダンスに見えているが、二人の間には張り詰めた緊張が走る。


「……何のお話でしょう?」

 アイリスの声が低くなり、笑顔が消えた。リュートは彼女の耳元に唇を寄せ、誰にも聞こえない声で囁いた。


「とぼけなくていい。あの透かし技術、そして『領内限定・譲渡無効』という朱印。王家の通貨発行権を侵害しないギリギリのラインを攻めた、見事な法的防壁だ」

 アイリスの瞳が大きく見開かれた。誰にも気づかれていないはずの、彼女だけの秘密。それを、この不吉な少年は一目で見抜いたのだ。


「……ですが、あの朱印は頂けないな。あれでは領内の『内需』しか回せない。外の世界……王都の関所を越えて、王の喉元まで届く『本当の武器』にはなり得ない」

 リュートは彼女を見つめ、ニヤリと笑った。

「続きが聞きたければ、迷宮庭園の奥へ。……誰にも聞かれない場所で、『数字』の話をしよう」

 アイリスは息を呑んだ。


 その提案はあまりにも危険で、しかし、彼女がずっと求めていた「理解者」の言葉だった。彼女はリュートの手を強く握り返し、覚悟を決めた瞳で見上げた。


「……参りましょう。殿下」

 ダンスが終わると同時に、二人は人目を避けるように会場を後にした。

 華やかな夜会の裏側で、国を揺るがす密談が始まろうとしていた。




3 第二王子との秘密:迷宮庭園の論戦


 夜会の喧騒が遠ざかる、オルディナ公爵邸の迷宮庭園。

 高く刈り込まれた生垣が作り出す闇の迷路を抜け、リュートとアイリスは人目のつかない奥まった東屋へと辿り着いた。月光だけが二人を照らす、完璧な密室。


 アイリスは扇を閉じ、先ほどまでの「退屈な令嬢」の仮面を脱ぎ捨てた。その瞳には、獲物を値踏みするような冷徹な知性の光が宿っている。


「……さて、殿下。誰も見ていませんわ。『数字』の話をしましょうか。あの引換証の欠陥と、王の喉元に届く方法について」

 リュートは東屋の柱に背を預け、単刀直入に切り出した。


「君の悩みはシンプルだ。東の公爵領は……いや、王国の海は『海竜』という物理的な壁と、『王都の関所』という政治的な壁に挟まれて窒息しかけている。引換証というローカル通貨で領内の血行を良くしても、外から栄養が入ってこなければ、いずれ衰退死する」

「……ええ、その通りです。父は現状維持で満足していますが、私は座して死を待つ気はありません」

 アイリスは認め、鋭く問い返した。


「ですが、どうしようもありませんわ。海には魔物が、陸には王家の搾取があるのですから」

「だから、海を行く」

 リュートは懐から一枚の羊皮紙を取り出し、テーブルに広げた。


 それは、かつて泉で実験した「水中翼船ハイドロフォイル」の設計図だった。

「僕には『魔導船』の構想がある。既存の船とは違い、水面から浮上して滑走する船だ。これなら海竜が感知して襲ってくる前に海域を突破できる。……君の家の『海運』を復活させ、王都を通さずに帝国と直接交易を行い、莫大な利益を生むことができる」

 アイリスは図面を覗き込み、瞬時にその革新性を理解した。


「……水面から浮く? 摩擦抵抗をゼロにする……理論上は可能ですわね。これがあれば、物理的な壁は壊せる」

 しかし、彼女はすぐに顔を上げ、冷ややかに首を横に振った。


「……ですが、お断りします。技術的に可能でも、政治的に不可能です」

「なぜ?」

「殿下は、この国の法律をご存知ないのですか? いえ、この国に法などないことを」

 アイリスは自嘲気味に笑った。


「王家が支配するこの国で、一介の貴族が物流を独占し、莫大な利益を上げればどうなるか? 『王家の権益を侵した』『身分不相応だ』と難癖をつけられ、事業ごと没収されて終わりです。父が恐れているのはそれです。成功すればするほど、王に首を狩られる。……それがこの国の『ことわり』でしょう?」

 彼女の言葉は、諦めに満ちていた。


 いかに優れた技術があろうと、王という絶対権力者が「よこせ」と言えば逆らえない。それが人治国家の限界だった。

 リュートは静かに頷いた。


「その通りだ。だから、王の許可を取る。僕が陛下から直接、この事業の独占権と免税権を認める『特権状ロイヤル・チャーター』をもらってくる。これがあれば大義名分は立つ」

「……特権状?」

 アイリスは失笑した。扇で口元を隠し、憐れむような目でリュートを見る。


「……悪い冗談ですわ。紙切れ一枚に、何の価値があるのです? 『仮に』特権状が取れたとしましょう。ですが、王の気分が法の国ですよ? 事業が成功し、金が動き始めた時、陛下が『気が変わった』と言って特権状を破り捨てたらどうするのです? その時、私たちの手元には何の価値もない紙屑が残るだけ。……王権という暴力の前で、紙切れ一枚に何ができますの?」

 絶対的な「王の品位」の前では、契約など無意味。それが、彼女が突き当たっていた絶望の壁だった。


 だが、リュートは笑っていた。

「ああ、王は約束を破るだろうね。……だから、罠を仕掛けるんだ」

 リュートは図面の上に指を置き、二本、三本と増やしていった。


「特権状を『ただの紙』では終わらせない。ここで考えるべきは、『なぜ事業の没収が許されるのか』だ。それは、事業が没収されて利益や利権を得る貴族が他にいるからだ。自身に関係のないことなら、彼らは王家の機嫌をとった方が後々利益になるという計算が働く。他人の不利益になるだけなら、彼らはこう言うだろうね。『陛下、それは王家の品位を損ないます。没収が妥当です』と」

 リュートは図面をコンと叩いた。


「ここが肝だ。僕たちが作る海運組合の出資比率を細分化し、有象無象の貴族たちに『権利証』として広く資本を募るんだ。前世の言葉で言うなら、株式会社のシステムだ」

「……権利証?」

 聞き慣れない概念に、アイリスが眉を寄せる。


「事業の所有権を僕たちだけで独占しない。細かく切り分けて、その『権利者』として、王宮の有力貴族、軍部の将軍、大商人たちを片っ端から巻き込む。さらに『海上保険』という名の利益分配構造を作り、彼ら全員を『利害関係者ステークホルダー』にする」

 リュートの赤い瞳が、夜闇の中で妖しく光った。


「いいかい、アイリス。もし王が、成功した僕たちの特権状を破り捨て、事業を没収しようとすればどうなる? それは、僕たち二人だけでなく、権利者である貴族や将軍たち全員の資産(配当)を、王が略奪することを意味する」

 アイリスの目が大きく見開かれた。


「……っ!」

「王といえど、自分の座を支える柱である貴族や軍部を、自ら敵に回すことはできない。もしそんなことをすれば、王家の『信用(品位)』は崩壊し、支持基盤を失った国は立ち行かなくなる。……王は、自分の手足を切り落とさない限り、この特権状には手を出せなくなるんだ」

 リュートは一歩踏み出し、アイリスの目の前で囁いた。


「王の『強欲』と、貴族たちの『欲望』を人質に取る。彼ら全員を共犯者にすることで、王を自らの『品位』という檻に閉じ込めるんだ。……どうだ、これなら君の計算も合うだろう?」

「相互確証破壊」の論理。王が約束を破れば、王自身が破滅する。

 この国に「憲法」はない。だが、「破れば自分が損をする」という構造システムを作り上げれば、王は不本意でもルールを守らざるを得なくなる。王の「善意」ではなく「損得」を縛ることで、実質的な「ルールによる支配」を強制する――それが、リュートの描く盤面だった。


 アイリスは扇を下げ、呆然とリュートを見つめた。

 その構想は、一介の貴族令嬢の想像を遥かに超えた、国そのものを盤面にする悪魔的な発想だった。


「……恐ろしい方。貴方は、国を裏から支配するおつもりですか」

 震える声。だが、その瞳には恐怖以上の「熱」が灯っていた。彼女はずっと探していたのだ。この閉塞した世界を、暴力ではなく「知恵」でぶち壊せる共犯者を。

 アイリスはゆっくりと、妖艶な笑みを浮かべた。


「一応、理屈は通っています。ですが、それも全ては『特権状』という種火があってこそ。……まずはその毒杯を、陛下から本当に取ってきてください」

 彼女はリュートの胸元に指を這わせ、挑発的に囁いた。


「もし取れたら……その時は、『お付き合い』(事業提携)させていただきましょう」

「交渉成立だ」

 リュートは彼女の手を取り、恭しく口づけを落とした。


「僕が特権状を持ってきたら、君の父上(公爵)との面会をセッティングしてくれ。……そこからが、本当の始まりだ」

「いいでしょう。……楽しみにしていますわ、私の共犯者様」

 月光の下、二人の天才は密約を交わした。それは愛の告白よりも深く、重い、国を揺るがす共謀の契約だった。リュートは確信した。この少女とならば、世界を変えられると。


「……行くぞ、カイル。次は王宮だ。陛下から『最強の盾』を毟り取りに行く」

 リュートは迷宮庭園を後にした。その足取りは軽く、しかし確かな勝算に満ちていた。




4 王妃マルガレーテの「品位」論争


 翌日。リュートは王宮の謁見室――ただし、公式な大広間ではなく、王族のみが使用する私的なサロンに通されていた。

 豪奢な猫足のソファには、国王ゼノンと、その隣に正妃マルガレーテが座っている。


「……ほう。水の上を飛ぶ船、とな?」

 国王ゼノンは、リュートが差し出した羊皮紙(設計図というよりは、子供が描いた夢の絵に近いもの)を手に取り、退屈そうに欠伸をした。


「相変わらず、お前の考える遊びは奇妙だな。……で? 余にこの『特権状』とやらにサインしろと言うのか?」

「はい、父上!」

 リュートは目を輝かせ、無邪気な子供の声を張り上げた。


「僕、この船を作って遠くの海で遊んでみたいんです。でも、もし商売みたいになっちゃったら、『王子が金儲けなんて』って怒られちゃうでしょ? だから、『これは王家の公認だけど、あくまで王子の道楽ですよ』っていうお墨付きが欲しいんです!」

 ゼノンは面倒くさそうに頰杖をついた。


「ふむ。まあ、お前が離宮で大人しくしている分には構わんが……」

 王が羽ペンを手に取ろうとした、その時だった。


「――お待ちください、陛下」

 凛とした、氷のような声が響いた。

 王妃マルガレーテだ。北の武門・アイギス公爵家出身の彼女は、扇を閉じてリュートを冷ややかに見下ろした。その眼差しは、鋭い刃物のように「王族としての覚悟」を問うていた。


「リュート。貴方、この特権状の文言……『王家は事業の損失に対し、一切の責任を負わない』とは何ですか?」

 王妃は羊皮紙を指先で弾いた。


「王族が事業に関わりながら『責任は負わない』など、武門の恥です。王家とは、国の全ての責任を負うからこそ尊いのです。失敗した時に泥を被る覚悟がないなら、最初から手を出すな。それは『王家の品位』を貶める商人の浅知恵です」

 正論だった。


『ノブレス・オブリージュ(高貴なる者の義務)』。無限責任こそが王族の誠意。もしここでリュートが「損をしたくないから」と答えれば、彼女は「覚悟のない者は王族にあらず」と即座に却下するだろう。

 リュートは一瞬、怯えたような顔を見せた。だが、その内側では冷静に計算していた。


(……来たな。想定通りの『品位』攻撃だ。これをまともに受ければ負ける。……だから、受け流して『父上』を味方につける)

 リュートは慌てて首を横に振った。


「ち、違います王妃様! 僕は責任から逃げたいわけじゃありません! ただ……もし僕が失敗した時、父上の『お昼寝』を邪魔したくないだけなんです!」

「……は?」

 王妃が眉をひそめる。リュートは身を乗り出し、必死に訴えた。


「だって、考えてみてください。もしこの特権状(責任の切り離し)がなくて、僕の船が沈んで借金ができたらどうなりますか? 『王子の借金は王家の借金』です。そうなれば、父上のところに魚屋さんや材木屋さんが『金返せー!』って怒鳴り込んでくるんですよ?」

 リュートはゼノンの方を向き、大げさにジェスチャーを交えた。


「父上が、たかだか金貨数枚のために、市場のおじさんたちと泥の中で言い争いをしなきゃいけないんです。……それって、すっごく『品位を欠く』じゃないですか?」

 ゼノンがピクリと反応した。「泥沼の言い争い」と聞いて、露骨に嫌な顔をする。

 リュートは畳み掛ける。


「王妃様のおっしゃる『無限責任』は立派です。でも、王家がすべての責任を負うってことは、下々のトラブルの泥を全部かぶるってことですよね? そんなことになったら、王家の権威はボロボロになっちゃいます!」

「そ、それは……極論ですが、一理あります」

 王妃が言葉に詰まる。


 リュートはすかさず、用意していた「殺し文句」を放った。

「だから、この特権状は『壁』なんです。王家の金庫と、下々の商売を切り離すための『防壁』なんです」

 リュートはニッコリと笑った。あくまで「父上のため」という善意を装って。


「この紙があれば、父上は商売の汚れには一切触れず、安全な天上の座から『税金(利益)』だけを受け取れます。もし僕が失敗しても、父上は『知らぬ。勝手に子供がやったことだ』って切り捨てられる。王家が出したのは許可であって、責任をとるものではないと。……これこそが、王妃様が何よりも大切にしている『王家の安定』と『絶対的な品位』を守るための、最強の盾じゃないですか?」

 謁見室に沈黙が流れた。


「責任逃れ」だと断じたものが、逆に「王権の聖域(品位)を守る盾」であると論理をひっくり返されたのだ。

 王妃は扇で口元を隠し、リュートをじっと見つめた。


(……この子。単なる責任逃れの臆病者かと思ったけれど……随分と『小賢しい』知恵が回るわね)

 彼女はリュートの中に「王の器」は見なかった。見出だしたのは、叱られないために理屈を捏ねる商人のような浅ましさと、それゆえに利用価値のある「便利屋」の姿だ。


(まあいいわ。グラクトの影として生きるなら、これくらいの悪知恵があった方が、汚れ役には向いているでしょう)

 王妃はふぅ、と小さく息を吐き、視線を外した。


「……詭弁ね。ですが、王家の『汚れ』を防ぐ盾としては機能するでしょう。ゼノン様。よろしいのではありませんか? 貴方様の安眠を妨げないための、子供の配慮のようですし」

「おお、そうか! マルガレーテが良いと言うなら構わん」

 ゼノンは待ってましたとばかりに羽ペンを走らせ、羊皮紙にサラサラとサインをした。


「ほれ、持って行け。その『防壁』とやらで、余の昼寝を邪魔しないように上手くやれよ」

「ありがとうございます、父上! 王妃様!」

 リュートは満面の笑みで羊皮紙を受け取り、深々と頭を下げた。


 その顔は、新しいおもちゃを買ってもらった子供そのものだった。だが、その手には、王国の法を無効化し、未来の経済を支配するための「最強のジョーカー」が握られていた。


(……勝った)

 リュートは心の中で小さくガッツポーズをした。

 王妃の警戒レベルは「小賢しい子供」止まり。ルナリアに怒られるライン(王位を狙う野心家と思われること)は回避した。

 リュートは羊皮紙を胸に抱き、スキップするような足取りで謁見室を後にした。


 背後で王妃が、「まったく、商人のように卑しい。誰に似たのかしら……」と呆れる声を聞きながら。

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