表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
祖父の遺言で崖っぷちの私。クールな年下後輩と契約結婚したら、実は彼の方が私にぞっこんでした。  作者: 久遠翠


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/12

第1話「氷の王子からのプロポーズ」

登場人物紹介


葉月はづき 美桜みお

本作の主人公。28歳。広告代理店『アーク・クリエイト』で働くキャリアウーマン。仕事に情熱を燃やすあまり、恋愛は後回しにしてきた。実家は老舗和菓子店『花月庵』。祖父の遺言により、結婚相手を探すことになる。真面目で少しお人好しな性格。


一条いちじょう れん

美桜の会社の後輩。25歳。誰もが見惚れる美貌と、完璧な仕事ぶりから『氷の王子』と呼ばれている。感情を表に出すことが少なく、プライベートは謎に包まれている。親からの干渉を避けるため、美桜に契約結婚を持ちかける。


たちばな 圭一けいいち

美桜の大学時代の先輩で、初恋の相手。海外赴任から帰国し、美桜の前に再び現れる。爽やかで社交的な性格で、美桜に積極的にアプローチする。


相川あいかわ 志穂しほ

蓮の大学時代の元恋人。プライドが高く、蓮との復縁を望んでいる。美桜と蓮の関係をかき乱す存在。

 初夏の西日がオフィスビルの窓をオレンジ色に染めていた。

 キーボードを叩く音だけが規則正しく響くフロアで、私はディスプレイの企画書から顔を上げる。葉月美桜、二十八歳。広告代理店『アーク・クリエイト』でプランナーとして働き、気づけば六年目になる。恋愛よりも仕事。それが私のポリシーだった。

『美桜、おじい様の遺言のこと、忘れてないでしょうね』

 スマートフォンの画面に浮かんだ母からのメッセージに、私は深いため息を漏らした。忘れるわけがない。

 実家は創業百年の老舗和菓子店『花月庵』。三ヶ月前に他界した祖父の遺言には、こう記されていた。『三十歳の誕生日までに美桜が結婚しない場合、店の経営権は叔父夫婦に譲る』と。

 私の三十歳の誕生日まで、あと一年半を切っている。

『わかってる。でも、相手がいないんだから仕方ないでしょ』

 そう返信しながらも、心は焦りでさざ波を立てていた。店を継ぐ気はないけれど、両親が慈しんできた場所が人手に渡るのは耐えられない。


「葉月さん、お疲れ様です。こちらの資料、確認お願いできますか」


 不意に声をかけられ顔を上げると、デスクの前に一条蓮くんが立っていた。

 すっと通った鼻筋に、涼やかな目元。色素の薄い髪が窓からの光を浴びてきらめいている。入社三年目の彼は、その完璧な容姿と非の打ちどころのない仕事ぶりから、社内で『氷の王子』と呼ばれていた。


「あ、うん。ありがとう。そこに置いといて」


 私は慌ててスマホを伏せ、彼から資料を受け取る。触れた指先は、彼の異名にふさわしくひんやりとしているように感じた。

 感情をどこかに置き忘れてきたかのように、彼は常に無表情だ。雑談には乗らず、飲み会にも参加しない。けれど仕事は誰よりも速く、正確だった。

『完璧すぎて、人間味がないよな』

 同期がそう評するのを聞いたことがある。確かに、彼のプライベートは誰も知らなかった。


「……何かありましたか」


 私がぼんやりと考えていると、彼が不思議そうに首を傾げた。整った顔を間近で見つめられ、心臓が小さく跳ねる。


「ううん、何でもない。資料、ありがとうね」

「いえ」


 彼は小さくうなずき、静かに自分の席へ戻っていった。その後ろ姿を見送りながら、またため息がこぼれる。あんなに綺麗な人と結婚できるのは、どんな人なのだろう。私とは住む世界が違う。


 その日の帰り道、私は母に勧められたお見合いを断るため、実家に電話をかけていた。


「だから、お見合いなんて急に言われても困るって!」


 駅前の雑踏の中、声が少し大きくなってしまう。

「でも、このままじゃお店が……」

「わかってる! わかってるけど、誰でもいいわけじゃないでしょ!」

 思わず声を荒らげたところで、背後の気配に振り返った。そこにいたのは、同じ方向に帰る途中だったらしい一条くんだった。イヤホンを片方外した彼が、静かな瞳でこちらを見ている。

(まずい、聞かれた……?)

 気まずさに顔が熱くなる。彼は私の視線に気づくと軽く会釈だけして、何も言わずに隣を通り過ぎていった。

 最悪だ。会社の後輩に、結婚に焦る女だと思われたに違いない。私はその場でうなだれた。


 翌日、重い足取りで出社すると、一条くんとはなるべく顔を合わせたくないと思っていたのに、昼休み、給湯室で二人きりになってしまった。

 気まずい沈黙が流れる。何か話すべきか悩んでいると、先に口を開いたのは彼の方だった。


「葉月さん」

「は、はい!」


 裏返った声が出てしまい、恥ずかしさがこみ上げる。彼はそんな私を意に介さず、淡々とした口調で続けた。


「昨日、お話の途中でしたので。失礼かと思いましたが」

「あ、ううん。気にしないで。ちょっと、家のことで……」


 ごまかすように笑う私に、彼はまっすぐな視線を向ける。その瞳は、まるで私の心まで見透かしているかのようだ。


「結婚、お困りなんですか」


 単刀直入な言葉に、息を呑む。やっぱり聞かれていたんだ。私は観念して、正直にうなずいた。


「……まあ、ちょっとね。いろいろと事情があって」

「そうですか」


 彼はそれ以上何も聞いてこなかった。ただ、カップに注いだコーヒーを静かに見つめている。これで話は終わりだろう。そう思った、その時だった。


「もし、よろしければ」


 彼は顔を上げ、私を真正面から見据えた。


「僕と、契約結婚しませんか」

「…………え?」


 時が止まった、と思った。

 給湯室の換気扇の音だけが、やけに大きく響く。私は彼の言葉の意味が理解できず、ただ瞬きを繰り返した。

 今、この氷の王子様は、何と言った? 契約結婚?

 目の前の彼は、冗談を言っているようには到底見えなかった。その真剣な表情に、私の頭は完全にフリーズしてしまう。


「あの、一条くん……?」

「詳しい話は、改めて。今日の終業後、お時間いただけますか」


 彼はそれだけ言うと、コーヒーカップを手に颯爽と給湯室を出ていった。

 一人残された私は、呆然とその場に立ち尽くす。

 頬をつねってみた。痛い。夢じゃない。

 仕事一筋だった私の日常に、とんでもない嵐が吹き荒れようとしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ