6. 夏みかん ー桔梗ー
あの告白から二日。
昨日も今日も、清涼は私の執務室にお茶を飲みには来なかった。
やはり、気まずいのだろうか……。我ながら、言わなくても良いことを言ってしまったのかもしれない。
そんなことを考えながら、ここ数日はあまり忙しくなく、早めに仕事を終えた夕方四時半。
翡翠宮の廊下を歩いていたら、何かのお使いで神殿から来たらしい、巫子修行中の速水とばったり出会った。
「こんにちは、速水」
声をかけると、素直な性質の少年は、さらりと茶色の髪を揺らして、にこにこと笑った。
「桔梗さん、こんにちは」
「今日は何かのお使いで来たのですか?」
聞くと、速水は真面目な顔で頷く。
「清涼さんが風邪を引かれたのか、熱が出て寝込まれてるんです。熱冷ましの薬湯は飲んでいただいたんですが、神殿の薬草庫に在庫が少なくなっていて、朱鷺子さんに分けていただこうと思って」
なんと。
「清涼が風邪とは珍しいですね」
「はい。昨日の午後から発熱されていたみたいでした」
ああ、なるほど、と私は頷く。
来れなかったということか?
「……ちょうど、私も今日は早仕舞いだったので、後ほど見舞いに行きますね」
そう言うと、速水はぱっと華やいだ笑顔を見せた。
「そうですか! きっと清涼さん、喜ばれます!」
「だといいですが」
気持ちばかりの笑顔を作って、朱鷺子のいる治療室に向かう速水と別れる。
ちょうど昼休みに、食堂の料理長の桐矢から、たくさん仕入れたからと、きれいな夏みかんをひとついただいていた。風邪のときは柑橘の栄養素が効くと言うし、私はそれを剥いて持って行くことにした。
執務室で夏みかんの皮を剥くと、甘くて爽やかな香りが部屋を満たした。
そのかぐわしいとも言える香りだけで、感覚が薄い私でも、少し力が湧くような気がする。
少し深めの皿に入れ、布巾をかぶせて、時々街に所用で出る時に使っている山葡萄の蔓で作られた籠にそっと入れた。
少し食欲があると良いが……。
考えながら、翡翠宮の正面玄関から出ると、正門の脇からも甘い良い香りが漂ってくる。
見ると、そこに植えられていた私の背の高さと同じくらいの小ぶりの木には、純白の小さな小さな花が、枝一杯にたくさん咲きほこっていた。
「……橘か」
小さく健気な花の姿も、弱っているときに見ると少し希望的に感じられるものだろうか。
私は一枝頂戴することにして、籠にそっと入れて神殿へと向かった。
神殿に着いて裏口から入ると、私や清涼を育ててくれた僧医・玄奥とばったり会った。
何かの達人みたいな雰囲気は、昔、十歳当時に出会った頃のままだが、すっかり白髪頭になり、玄奥も歳を取ったなと思う。
「清涼の体調が悪いと速水から聞きました。治療室ですか?」
聞くと、玄奥、少し微笑んで首を振る。
「子供たちのために治療室は開けておくと言い張って、自分の部屋で寝ておるよ」
それを聞いて、思わず私の顔もほころんだ。自分よりも患者。清涼はいつでも弱い者の味方だ。
「清涼らしいですね。二階の自室ですか?」
頷く玄奥に会釈して、私は二階奥の清涼の部屋に向かった。
昔と同じ部屋でずっと寝起きしているらしい清涼は、私が部屋に入ったことにも気付かず、寝台ですやすやと眠っていた。
寝顔は子供の頃と変わらないな、とぼんやり思う。
なつかしい清涼の空間は、昔と同じで必要最低限のものしかなく、綺麗に整頓されていた。
私は籠から、剥いた夏みかんの実を入れた皿を取り出し、布巾を一度外した。
ふわりとみずみずしい香りが漂う……だが、布巾を外したままだと薄皮まで剥いてしまった実は、すぐに乾燥してしまうか……。
もう一度、軽く布巾をかぶせ、その上に橘の花枝を軽い重しのように置くことにした。
清涼は気配りに長けた男だから、目覚めたら夏みかんにも気付くだろう。
そして寝台の方を振り返り、起こさないようにそうっと、清涼の額に触れてみる。
幼い頃は、自分の熱にも他人の熱にも鈍感だった私だが、成長するにつれ、掌に集中すれば、一体、相手が平熱なのか発熱しているのかということについては知覚できるようになっていた。
少し熱いが……それほど高熱ではないようだ。
私はほっと息をつく。
風邪に必要なのは、睡眠、柑橘などに含まれる栄養素、そして水分。
水差しは枕元に置いてある。私は、清涼が起きたらすぐ飲めるよう、湯飲みに水差しから水を注いで夏みかんの皿の横に置き、そのまま黙って翡翠宮に戻ることにした。
早く元気になるといい。
そんな風に思いながら。




