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4. 幽玄 ー清涼ー

《あっさりとした書き方をしていますが、この短編には、子どもが吐いてしまう場面と、飼っていた兎が息絶えていたという場面が含まれているため、苦手な方はご注意ください》

 ぜったいに生かす。

 それが、子供心に、桔梗(キキョウ)に対して誓ったことだった。

 だって、こんなことではこの世からいなくなってしまうと思った。

 まるで傷を負った小さな動物のように。



「桔梗が吐いた!」

 夕食の席で、一人の子供が叫んだ。

 驚いて振り向くと、椅子の下に座り込んでいる桔梗が見える。

 神官見習いの(カナデ)が素早く動き、僧医の玄奥(ゲンオウ)も立ち上がったのを見て、

「ぞうきん取ってくる!」

 一言叫んで、僕は裏口の井戸の方に向かった。


 十一歳のとき。

 神殿で、学習のために飼っていて皆でかわいがっていた兎が、息絶えていたことがあった。


 玄奥に教えられ、皆で神殿の中庭の外れに亡骸を埋めた。

 大半の子供たちは涙ぐんだり、明らかに泣いたりしていたが、感情表現が薄い桔梗はいつも通り、涙も見せず、淡々と埋葬作業を手伝っていた。



 数ヶ月経ったある日、夕飯に煮込みが供された。

「今日の肉は兎だ。狩りに行った数人が持って帰ってきてな」

 それまでも、時々、兎の肉は食事に出てくることがあり、皆、そうなんだ、と頷きながら食べ始めていた。桔梗が戻したのは、その数分後のことだった。


「治療室に連れて行くから、すまないが奏と清涼、床を綺麗にしておいてくれるか?」

 僕と奏は頷き、他の子供たちも台を拭いたりして、その内、日常の夕食風景に戻って行った。


 食べ終えて食器を皆で洗った後、通常は自分の部屋に戻る。

 僕は桔梗のことが少し気になって、治療室を覗いてみることにした。




 ここは風雅の国。

 僕は八歳の頃に戦で両親が亡くなって、神殿に引き取られた。そこで十人くらいの似たような境遇だったり、神官や巫女見習いの子供たちと一緒に寝起きしていた。


 二年くらい経った十歳の春の日。やはり戦で亡くなった軍人の三男坊であるという桔梗が、神殿の"学び舎"で勉強をはじめるには家が遠いからと、神殿暮らしを始めるようになった。


「清涼、この子の名前は桔梗、新入りだ。隣部屋だし、十歳で同い年だ。色々教えてやってくれ」


 神殿で僕らを育ててくれているうちの一人、僧医の玄奥が、隣部屋に僕を案内してそう言った。そこには、朱色の着物を着て、まっすぐな茶色の髪を長く伸ばした子がぽつんと座っていた。……綺麗な女の子に、見えた。


 三男坊という話じゃなかったか?


「……女の子?」

 おそるおそる、僕が玄奥に尋ねていると、その子供は傍目にもめんどくさいな、と言うような表情をして、玄奥の代わりに僕に答えた。


「女みたいな色の着物を着ているけど、私は男です。よろしくお願いします」

 その声も目も、静かな、晴れた日の湖の水面みたいに凪いでいる。

 冷静な性格なのかな。ひどく淡々としたその言い方に、僕は一言で興味を惹かれた。


「……男なのに、私って言うんだね」

 そう言うと、桔梗という名のその子は首をかしげて僕を見る。

「おかしいですか?」

「いや……大人は、男の人でも私って言うこともあるから、別にいいけど」

「いいけど、何?」


 綺麗で静かな見た目だけど、意外と負けん気が強いのかな。疑問はすぐに聞いてくる。僕はその見た目と対照的な問いに、なんだかおかしくなって少し笑って、言った。


「僕の周りに、男で私って言う子供は今までいなかったから、新鮮だったんだ。

 面白いな、桔梗は」

「よくわからないな……初めて面白いと言われました」

 素直なのかな。思ったことはそのまま言ってくる印象だ。


 僕はなぜだか楽しくなってきていた。

「桔梗みたいな子は初めてだ。神殿の中案内してあげるよ。ついてきて」

 歩き出す僕の後に、桔梗は続いた。疑問は聞いてくるけど、行動はひよこみたいだった。

 僕は更に興味を惹かれた。




 桔梗は、ほとんど笑わない。怒ったところも見たことがない。いつも無表情で、淡々と勉強にも剣術稽古にも励んでいた印象だった。


 あるとき、将来のことを考えても意味がない、みたいなことを言う桔梗が面白くて、じゃあ、生きている間は目標や少し楽しむっていうのはどうかと提案したら、桔梗はふわりと笑った。


 後から思えば、僕はその笑顔が忘れられず……また見たいと思ったまま、桔梗は再び無表情に戻り、一年くらいが経過していたのだった。



 桔梗が兎の煮込みを戻してしまってしばらくして。

 僕は気になって治療室にそっと入る。

 すると、寝台の上で、眠らずに目をぱちりと開けたまま……ただ黙って、桔梗が寝転んでいた。


「……だいじょうぶ?」

 そっと聞くと、桔梗は視線を僕に向け、僕の名前を呼んだ。

「清涼」

 そして、起き上がろうとする。


「気持ち悪いだろ? まだ寝てていいよ」

 僕の言葉に、少し首をかしげて。


「……気持ち悪いとか、わからないけど……口の中は、苦い味がします」


「あー……口ゆすいだらいい。ちょっとまって」

 寝台の脇の水差しから水を湯飲みに注ぎ、傍に置いてあった木桶も渡す。僧医になろうと思っていた僕は、その頃から少しずつ、玄奥に簡単な手当の仕方を習いつつあった。


「口ぶくぶくってして、この木桶にぺって吐いて」

 桔梗は言われた通りにした後、寝台から降りようとして、ふらっと僕の方によろめいた。

 回復できてないんだな、と僕は判断する。


「まだ調子悪いんだろ。僕が捨ててきてやる。寝てていいよ」

 やさしくそう言うと、桔梗はぼんやりと頷いて再び寝台に横になった。

 それを見て、ひとまず厠に水を捨てに行き、戻ると……やはり桔梗が目を開けたまま、天井を見つめている。


 その、開けてはいるが何も写していないような瞳の色に何か異様なもの……寂しい? 悲しい? けして前向きな気持ちではない何かを感じて、なんか傍にいた方が良さそうだなと、僕は脇にある椅子に黙って座った。


「……清涼は、部屋にもどっていいよ」

 桔梗は誰に対しても丁寧な言葉遣いで話すけれど、隣部屋で同い年の僕だけには、くだけた言葉遣いになりつつあった。そのことも、僕が桔梗のことを面白いと思っていた一因だった。


「いや、部屋に帰っても寝るだけだし。しばらくいるよ。……具合わるかったのか?」

 僕の問いに桔梗は首をかしげる。

「……わからないけど……兎って言われて、気がついたら、ああなってたんだ……」



 あれ。



 僕はその時、ほとんど初めて、はたと気付いた。


 無表情な桔梗。

 他の子供みたいに、笑うことも泣くこともほとんどない。

 気持ちが悪いとかわからない、とさっき言ってた。

 そして、具合が悪いかどうかもわからない?


 僕は静かに聞いてみた。

「ちょっと前に、皆で風邪引いたことあったろ?」

 桔梗、うん、と頷く。


「あのとき、たしか、桔梗が先に熱出して、僕が、桔梗が熱いって言って、先に桔梗が寝て、その後、僕も時間差で熱出たんだけど……」

 それはほんの二週間くらい前のことで、なんとなくまだ記憶にあった。




 ここ最近、乗馬訓練が始まって、その日はまだ肌寒い春の日だった。

 まずは馬に乗る前に、馬の世話からはじめると玄奥が言って、馬装束の袴ではない、いつもの着物姿で馬の毛を櫛で梳いたり、飼葉をあげたりしていた。その朝は寒の戻りとでも言うのか、息が白くなるくらいには寒かったから、僕は冬の着物を着ていた。


 桔梗は、初めて会ったときに着ていた、目立つ朱色の着物を着てた。

 薄着だなあ。桔梗は寒さに強いんだろうな、とぼんやり思ったことを覚えてる。


 でも、その夜。

 夕飯の時は席は決まっていなくて、適当に座って食べる。

 その日は、僕は桔梗の右隣に座って食べ始めていた。

 何口か食べたとき、食べないのかなと思っていた桔梗が、急にふらっと僕の方に倒れてきたんだ。


「……桔梗?」

 僕は驚いて声をかけたけれど、返事はない。

 そして、僕の肩に寄りかかるように触れた桔梗の頭が、めちゃくちゃ熱かったんだ。

 熱?

 驚いた僕は、桔梗の額に手を当てた。桔梗はきつく目を閉じて何も言わない……意識がない?


「玄奥! 桔梗、熱い。すごい熱です!」


 僕は必死で叫んでた。その間にも、桔梗の身体からはずるりと力が抜け、僕が膝枕をするような格好になり……今思えば、横並びになった長椅子に座ってたからよかったんだ、すぐに玄奥が駆け寄ってきた。

 桔梗の頭が乗っていた僕の太腿も、着物を通してその頭の熱さが伝わってきた。


 怖かった。


 そして桔梗は高熱を出して寝込み……結局、隣にいた僕にも桔梗の風邪がうつったのか、翌日になって僕も寝込んだ。



 でも。

 あの、馬の世話をしていたとき。



 桔梗が、寒さを感じてなかったとしたら?





 僕は続けた。

「あのとき、夕食のときに桔梗が熱出して倒れたとき、どんな風に感じてた?」

 桔梗は再び首をかしげる。

「別に何も……。清涼が熱いと言うので、そうなのかなと」


 ああ。


 僕はぽかんと桔梗を見つめた。

 わからないって、本当に、桔梗自身が感じられていないのか。


 これは、少し、気をつけておかないといけないのかもしれない。

 びっくりして僕は聞いている。

「寒いって思ったことある?」


 桔梗は案の定、首を振った。

「皆が厚着していたら、着た方がいいのかなと羽織を着ます」

 周りを見て決めている。

 体感ではなく。


 だって、自分の身体が熱いことも、もしかしたら寒いこともわからないのだとしたら。

 それって、あの馬の世話をした日くらいの春の日なら、まだいい。

 でも、たとえば雪の日に一人で外にいたら、薄い浴衣のまま、わからずにずっといてしまうということ?


 僕は自分の気づきに呆然として、でも、あれ? と思って聞いていた。

「……兎が死んだとき、どう思った?」

 桔梗はさっきと変わらず、天井を見つめて。


「生き物は死ぬよな、と思いました」


「そのあとは?」

「……ことばで言うのはむずかしいけど……胸が、ぎゅっとなって、さっき、煮込みの肉が兎と聞いたとき、そうだったなと思い出したら、またぎゅっとなって……気がついたら、なんか、あんなふうになっていて、皆にわるかったなと……」


 ああ。

 なんだこの生き物。


 僕は言った。儚いような、かなしいような、いとおしいような、不思議な気持ちだった。

 いなきゃだめだ。僕は。


 ほっといたらどうにかなっちゃう。

(もしかしたら最悪の事態になってしまう?)

 動かなくなっていた兎の姿が頭をよぎった。

 それは恐怖に似た感情だった。


「桔梗、それ……その気持ちは、かなしい、って言うんだ」

 僕の言葉に、桔梗は天井から僕に視線を移す。

「かなしい?」

 聞き返す桔梗に、僕は頷いた。

「そう。それで、かなしいときは、がまんしないで、泣いたっていいんだ」

「……私は、泣かない子だったと母が言っていました」


 その言葉で知る。

 わからないんだ。

 かなしい、とか。気持ち悪い、とか。


 もしかしたら、うれしい、とか、楽しい、とかも?

 あれ、でも違う。

 楽しませてくださいって言われた。湖で。桔梗が初めて少し笑ったとき。


 ああ!


 僕は言った。

「楽しい、っていうのは、ちょっとわかるか?」

 桔梗は思い出すように視線をめぐらせて……そして、言った。

「前に、湖で……いつまでも生きているものではなし、ってことを言った私に、清涼が……じゃあ、生きている間は、目標とか、少し楽しくとか、少し持っておくのはどうか、みたいに言って……あれは、おもしろいなと思ったかな……」


 だから、あのとき笑った。


 それは啓示みたいな。ぴかっと頭の上で、星が光るみたいな感覚だった。

 僕は思い付いて、言ってみた。

「あのさ」

 それは、両親を亡くした僕が、苦し紛れに考え出した、おとぎ話みたいなことだったけれど。

 ちょうど、治療室の窓から、登り始めた月が見えていた、それを指して。


「死んじゃった兎は、月にいると思ってたらいいよ」


 桔梗は驚いたように、僕を見る。

「月にいるんだ。だから、もしこれから食事に兎の肉が出てきても、それはあの兎じゃないし、食べて良いんだ」

 そう思ってたら楽でしょう?

 それくらいの気持ちだったけれど。


 桔梗は呆然とした様子で、窓の外の月と、僕の顔を何度か見比べて、どこかほっとしたように頷いた。

 そして、しばらく視線を落として無表情で何か考えていて……ふっと笑った……。


 その笑顔に呑まれて……だって、桔梗は笑うと、いつもの真面目な顔の時の鋭さが薄れて、それは湖に映る月みたいに綺麗なんだ……桔梗を見つめる僕に、彼は言った。


「……そうですね。

 そう思ったら、これからまた兎が食べられそうです」

 よかった。

 僕もその言葉を聞いて、ほっとした。


 そして思ったんだ。

 守らなきゃ、このひとを。

 最初に僕の後ろをついてくる桔梗を見たとき、ひよこみたいだと思った。

 今は、この人こそが、兎みたいではないか、と思った。


 この弱い生き物を守らなければ。

 それが、桔梗に対して、最初の頃に思ったことだったんだ。






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