第9話 ラブコメの神、また来やがった。
焚き火のはぜる音が、静かな夜の森にやさしく染みこんでいく。
ラザンは黙って矢羽根の手入れをしていた。いつも通りの、職人めいた集中力で。私はといえば、火の傍らで小さくなって、紅茶のカップを両手で抱えていた。
この世界に来てからというもの、まともな“くつろぎの時間”なんてものは、ほとんど無かった。けれど、今日だけは違っていた。
いや、違っていた……というより、「何かがおかしかった」のである。
(……なんで、こんなに距離が近いの……)
気づけば、ラザンとの間にあったはずの“安全距離”が、なんか、妙に縮まっていた。距離的にも、心情的にも。
さっきからラザンは、まるで“何か”を言いたそうに口を開いては、閉じてを繰り返している。
そして私はというと――顔が熱い。
まさかとは思うけど、これもラブコメの神が言ってた、“好感度上昇バフ”ってやつのせい?
「……さっきから、顔が赤いぞ。風邪か?」
「ひっ」
ラザンの低い声が、またも私の動揺を直撃する。
「いや、なんでもないです!!」
私は勢いよく立ち上がって、空の紅茶のカップを頭上に掲げた。
「ちょっとおかわりを淹れてきます!!」
「……座っていろ。俺が淹れる」
「い、いえいえいえ! だ、大丈夫ですから!」
(だめだ……距離が近い……。このままだと変なフラグが立っちゃう……!!)
顔を真っ赤にしたまま焚き火から離れようとした、そのとき――
ピンポーン♪
――どこからともなく、ファンシーな電子音が響いた。
「……えっ?」
見回しても、もちろんスピーカーもスマホもない。
この音を私は、忘れていなかった。
これは――なぐもんの登場SE。
「またかよ!!」
私がツッコむより早く、空間がもやもやとピンク色に歪みはじめる。
そしてその中心から、ド派手なハート型の魔法陣が出現し、その中から……
「再臨ッ!! ラブコメ神・なぐもん、ふたたび登場ーー!!」
「だから帰れ!!」
◇
ラザンが驚いたように立ち上がる。
けれど、その場にいたのは私だけ。なぜか、なぐもんの姿はラザンには見えていないようだった。
その理由を説明するより早く、ラブコメ神は腰に手を当てて高らかに宣言する。
「どうやら、先ほどの加護、ちょっと調整不足だったようでな。誠に申し訳ない。我ながら少々暴走しすぎた」
「え、いや、そこ謝るんですね?」
「なので、今回はフォローアップイベントに参上したというわけだ!」
「余計なお世話だよ!!」
「よろしい!」
人の話を聞け。
なぐもんはふわりと浮かぶと、手にしていた“初恋の書”を広げた。
「では、今回のイベントは“深まる夜の距離感”と“勘違いから始まる二人の試練”の二本立てだ!」
「勝手にシナリオ組むなぁぁぁ!」
◇
なぐもんの魔法陣が、再び私の足元で回転を始めた。
そこから溢れ出すのは、やっぱりピンク色の輝き。
さっきと違うのは――今回は“ハートの矢”みたいなものが飛んでくるという点である。
「いやいやいや、危ない危ない危ない!!」
私は慌ててしゃがみ込み、矢を回避する。
だが、その矢はするりと曲がって、くるくると空中を飛び回り――
ラザンの背中に突き刺さった。
「!? ぎゃああああああああ!!?」
違う意味で私が叫んだ。
ちなみに、ラザンはまったく反応していない。どうやら見えもしなければ、刺さったことにも気づいていないらしい。
(これ、絶対なにかのフラグが立った!!)
恐る恐る彼の様子を伺うと、ラザンは弓を置き、こちらをじっと見ていた。
その表情は、いつもより、少しだけ優しげで――
「何か、言いたいことがあるなら、言ってみろ」
「えっ……!?」
さっきまであれだけ黙ってたのに、どうしてこのタイミングで!? いや、絶対、なぐもんの矢のせいで“好感度が強制上昇”してる!!
「な……なにもありませんから!!」
私は真っ赤になりながら、焚き火に戻る。
ラザンも、すっと隣に座った。
……距離が、やっぱり、近い。
◇
(……やばい……)
なぐもんは、相変わらず私の背後に浮かびながら、満足げに頷いていた。
「うむ、見よ、この距離感。青春だなあ。苦難の中に芽吹く恋、これぞ異世界ラブコメの王道!」
「勝手に王道にすんな!!」
「だが、まだこれで終わりではない!」
また何かやる気か。
なぐもんはページをめくり、ピンクの羽ペンでしるしをつけた。
「さあ、次のイベントは“温度差すれ違い編”!」
「タイトルが不穏なんですが!?」
「イベント開始まで、カウントダウンッ!」
「やめろおおおおお!!」