表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/13

第5話 神様、なんでそれを今くれるの!?

 おにぎりが、弧を描いて飛んでいく。

 ツナマヨの包みが、空中でカサリと音を立てた。


 それを、魔物の一匹が見逃さなかった。


 着地した瞬間、黒い影が素早くそれに駆け寄り――


「えっ、食べるの!? ほんとに!?」


 わたしの声も虚しく、そいつはごく自然に鼻先でおにぎりの匂いを嗅ぎ、そして――

 紙ごと噛みついた。


 ぐしゃっという音とともに、中の米がはみ出す。

 人間用の包装なんて、魔物の歯には無意味だった。


 その匂いに、他の魔物たちも反応を示した。

 獣たちは、次々に“何か美味そうなものがある”と気づき、においを追っておにぎりに群がり始める。


「……マジで? ツナマヨって、そんなに……?」


 狼型魔物の嗅覚は鋭い。

 ツナとマヨネーズの脂の匂い、米の甘さ、焼き海苔の香ばしさ――

 人間の食欲をそそるそれは、どうやら“異世界の獣”にとっても抗いがたいものだったらしい。


 それはもう、見事な群がりっぷりだった。


 一匹が食べ始めた途端、残りも一斉に押し寄せる。

 さっきまでラザンを囲んでいた魔物たちは、興味の対象を完全に“食べ物”に移していた。


「……今だ、走れ!」


 ラザンが短く叫んだ。


 わたしは頷く暇もなく、その腕を掴まれて走り出した。

 足元の草を踏みしめ、根をよけて、木々の間を縫うように駆け抜ける。


 背後からは、ぐしゃぐしゃとおにぎりを喰らう音と、争うような唸り声。


 食べ物の匂いが強くて、いまのところ追ってくる気配はなかった。


「ラザン! こっちで合ってるの!?」


「ああ……北の崖だ。そこまで抜ければ、あとは――!」


 わたしたちは全力で走った。

 息が上がって、肺が焼けるように苦しくて、それでも――


 生きていた。



 崖の下、岩陰。


 わたしたちは、やっと立ち止まった。


 木の根元に背中を預け、肩で息をして、胸が上下しているのを感じる。


 ラザンも、疲弊はしていたが、大きな怪我はなさそうだった。

 腕の傷も、布で手早く巻いている。


「……助かったな」


「……ツナマヨで……」


 わたしは呆然と呟いた。


 さっき投げたおにぎり。

 投げたときは正直、もう“やけくそ”だった。


 なのに、それで命が助かった。


 馬鹿みたいな展開。

 おにぎり一個でピンチ脱出。

 だけど――それが、現実だった。


 わたしは、手元に残っていたペットボトルの紅茶を見下ろす。


 ラベルの端には、小さな文字で「香ばしい香り」と書いてあった。

 間違いなく、あの日コンビニで買った、あの紅茶と同じもの。


(神様たちが……くれたんだ)


 軽いようで、重たいようで――それでも。


「ありがとう……」


 わたしは、そっとそう呟いた。


 空はまだ木々に隠れて見えない。

 でも、誰かが見ている気がした。


(きっと、また笑ってるんでしょ?)


 ツナマヨで魔物を釣って逃げる、そんな滑稽な光景。


 でも――それでも。


「ありがとう。ほんとに、助かったから」


◇ ◇ ◇


 その夜。


 ラザンとわたしは、岩陰の焚き火を囲んで、久しぶりにまともな休息を取っていた。


 火は小さく、それでも温かく、

 わたしはさっき残していた紅茶をちびちびと飲んでいた。


 ペットボトルを指先でくるりと回しながら、ぽつりと口を開く。


「……ねえ、ラザン」


「……あ?」


「もし、ぜんぜん別の世界から……突然、知らない場所に投げ出されたら――どうする?」


 質問というより、呟きだった。

 けれどラザンは、すぐには答えなかった。

 焚き火の火を見つめながら、静かに聞く姿勢だけは崩さずにいてくれた。


「……わたしね。ほんとうは、この世界の人間じゃないの」


 そう言うと、自分でも少しおかしな気がした。

 でも、もう誰かに言いたかった。

 この世界で、自分が“ここにいないはずの存在”だってことを、誰かに。


「別の世界にいたの。普通の、なんの力もない、ただの高校生だった。

 家族がいて、学校があって、コンビニに行って……ただ、それだけの毎日だったのに」


 指先に残った紅茶のぬくもりが、かすかに揺れる。


「ある日、突然、空間が白くなって。

 “神様”を名乗る女の人に会って、“面白そうだから”って言われて……」


 そこまで話して、息を吐いた。


「……それだけで、気づいたら、森の中だったの。

 何も持ってない状態で、いきなり……」


 声がかすかに震えていた。

 でも、それを隠す必要もないと思えた。


 ラザンは、黙って火を見ていた。

 けれど、その沈黙が不思議と、怖くはなかった。


「信じなくてもいいよ。こんな話、普通は信じられないだろうし……」


「信じる」


 短く、しかしはっきりと返ってきた言葉に、わたしは目を見開いた。


「え……?」


 ラザンは焚き火の奥を見つめたまま、言葉を続ける。


「この世界には、“異界”から来た者が存在する。

 わずかだが、伝承にも残ってる。……選ばれた者、贄、あるいは……遊び道具」


 “遊び道具”。


 その言葉が、妙に胸に刺さった。


「……君も、そのひとりなんだろう」


 言い切るような口調ではなかったけれど、拒絶も、疑念もなかった。


 わたしは、ペットボトルを少しだけ傾けて、もうひと口だけ紅茶を飲んだ。


「……ありがとう、話を聞いてくれて」


「別に、聞いたつもりはない。……話したいから話したんだろう」


「……うん」


 その言葉もまた、わたしの中で静かに響いた。



「……この力、何の役に立つんだろうって思ったけど……」


 少し黙ったあと、ペットボトルを見つめながら、わたしはぽつりと呟いた。


「……使い方次第だな」


 ラザンが、ぼそりと呟いた。


 彼の顔は焚き火に照らされていて、その影が揺れている。


「たとえば、餌、囮、取引、補給。……案外、応用は利く」


「……ツナマヨ万能説……?」


 冗談めかして言うと、ラザンはふっと鼻で笑った。


 その笑い声に、わたしもつられて小さく笑った。


 笑ったのなんて、いつぶりだろう。



 空を見上げると、星が瞬いていた。


 今日も、二つの月が空に浮かんでいる。

 あの女神は、どこかでまたわたしを見ているのかもしれない。


 そして――その向こうで、たくさんの“誰か”が、

 この先のわたしの運命を、静かに見守っている。


(次は……どんな選択を、見せられるんだろう)


 わたしは、まだ何も持っていない。


 でも、こうして生きている。


 ツナマヨと紅茶で、命をつないだ。

 それが、今のわたしのすべてだった。


 だから――


「……次も、生きてやる」


 誰にでもなく、静かにそう誓った。



 ――その夜、世界のどこかで、神々(読者)のまなざしが、再び彼女に向けられた。


 それは、次なる選択の兆し。

 加護か、試練か、導きか。

 いま、ひとつの運命が、静かに揺らぎ始めている。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ