第四十三食 憧れの王子様
恋は盲目だ。
どれだけ歳を重ねようと、容易く心を惑わせてしまう。
それでもいつの日か──眼前で咲き誇る恋よりも、傍にあり続けた愛を選んでくれたらと。
オラクルはそう、願い続けていた。
◆ ◆ ◇ ◇
突如辺りに響いた轟音に、アルヴィスは伏せていた目を上げた。
「……サヤ?」
音が聞こえたのは、サヤが準備のためにと向かった方角からだ。
胸騒ぎを覚えたアルヴィスが湖まで辿り着くと、そこには険しい顔をしたエルフたちが立っていた。
「そなた、何をしたか分かっておるのか? いくら長の娘であろうと、此度のことは庇いきれぬ」
転移で駆けつけたオラクルは、俯くリリウムと額を押さえる長、怒りを露わにする祭司のエルフを見て、ただごとではないと察したらしい。
何があったのか、他のエルフに問いかけている。
「リリウム様が、死の神のお気に入りを殺しちまったらしい」
「……嘘でしょ……?」
サヤは、死の神から異能を与えられた人間だ。
異能や加護は、神による恩恵の一種であり、五大神は滅多に力を授けることがない。
数十年から百年に一人現れるかどうかの存在を殺してしまったとなれば、大事になるのも仕方がないだろう。
「嫉妬のあまり、湖に沈めちまったらしいぜ。初めはセイレーンの線も疑われてたが、祭司のエルフに知恵の神からお言葉が降ったんだと。真相を知った祭司が激怒して、長と共に転移して来たってわけよ」
「知恵の神が、わざわざお言葉を……?」
オラクルの中に、猛烈な違和感が湧き上がってくる。
そもそも、神が自ら対話を望むのは珍しいことだ。
ましてや、相手が五大神ともなれば、珍しいなどというレベルではなかった。
「殺さなければ、わたしが殺されていました……!」
「黙らぬか! 元はと言えば、そなたが人のものに手を出そうとしたことが原因じゃろうて。もし死の神が手を下せば、エルフの国は一瞬で滅びることになるのじゃぞ!」
「ま、まあまあ大婆様。お気に入りを殺しちまったことは良くないが、国が滅びるってのは言いすぎですよ。ひとまず、落ち着いて話し合いましょ?」
それまで見守っていたエルフの一人が宥めにかかるも、祭司はぶるぶると身体を震わせ、余計に怒りを露わにしている。
「愚か者! あの娘は、死の神の使徒なのじゃぞ!」
静まり返った空間に、水滴の落ちる音が響いた。
オラクルの中で、点と点が繋がっていく。
使徒とは、神の寵愛を受ける存在だ。
サヤの異様な強さも、神が自ら会いたいと望む理由も、全てが解けて繋がっていく。
ようやく事態を理解したエルフたちは、真っ青な顔で口を閉じていた。
呆然と立ち尽くすリリウムを、長は悲痛な面持ちで見つめている。
絶望にも近い空気が漂う中、湖に視線を向けていたエルフが「おい、そっちに行くな!」と声を上げた。
白銀の髪と白い肌。
色違いの瞳孔をした赤い目の青年は、湖の淵に立ち、静かに中を覗き込んでいる。
「アルヴィス……」
名前を呟いたオラクルの声が、風に滲み流されていく。
フォルレンシストの湖は神聖なものとされており、水に浸かれるのは女性だけと決まっていた。
アルヴィスを止めようと駆け寄ったエルフの首が、何かに締め付けられたかのようにへこんでいる。
首を掻きむしり、もがき苦しむエルフに、アルヴィスがゆっくりと歩み寄っていく。
瞬間、エルフの姿は赤い真珠のように縮まり、土の上に転がっていた。
指で摘んだアルヴィスが、球体をごくりと呑み込む。
「……っ、そいつを拘束しろ!」
仲間の死に騒然としていたエルフたちだが、我に返ると一斉にアルヴィスを攻撃し始めた。
しかし、魔法はアルヴィスに届く前に、現れた魔法陣によって防がれていく。
「どうしてエルフの魔法が使えるんだよ!?」
「あいつ、いったい何者なんだ……!」
「リュミエは鬼だって言ってたわ! でも、こんなの話が違うじゃない!」
混乱のあまり飛び交う声は、アルヴィスという未知の存在への恐怖からきている。
「アルヴィス、止めてくれ!」
飛び出したオラクルが、アルヴィスの前に立ち塞がった。
杖を構える手は、緊張から汗で湿っている。
「サヤのことは、俺も遺憾に思ってるんよ……。けど、こんなやり方じゃ何の解決にもならない! だから──」
オラクルの言葉が、衝撃で詰まった。
血のように赤かったアルヴィスの瞳が、金色に輝いている。
異様な空気に気圧されたエルフたちの背後から、祭司がよろよろと歩み出てきた。
「ああ……何てことじゃ……。よもや、まだ存在していたとは……!」
「大婆様……?」
怪訝そうな様子のエルフを押し退け、祭司は感激のあまり涙を流している。
「あの御方は、ただの鬼などではない。食した者の力を、己がものとする種族。神をも喰う鬼と恐れられ、いつしか世に姿を現さなくなった伝説の存在──神鬼じゃ」
どんな力も取り込み、食すほどに強くなっていく。
その壮絶な姿を目にした者は、いずれ神にも届きうるのではと謳っていた。
歴史書には、既に滅びた種族と記されている。
そんな伝説の存在が今まさに、エルフたちの前に立っているのだ。
呆然と眺めていたリリウムの脳裏に、昔の記憶が蘇ってくる。
幼いリリウムが、大好きだった絵巻物。
何度も開いては見返していたその絵巻物には、神に最も近い種族の話が描かれていた。
鮮やかな瞳と、色違いの瞳孔。
エルフさえも超える美しい容貌に、リリウムは段々と憧れを抱いていった。
能力を行使する際に変化する瞳の色は、瞳孔と同じ輝きに染まっている。
強く、美しく、神々しい彼らの姿を目にして、リリウムはいつしか──こんな王子様と結ばれたいと願うようになった。




