第四十二食 そう見えますか?
「アルヴィスさまと、別れてください」
「どうしてですか?」
不思議そうに目を瞬かせるサヤに、リリウムの杖を握る手に力がこもっていく。
「この数日間、わたしは貴女のことを観察していました。アルヴィスさまのお相手がどんな方なのか、知る必要があると思ったからです」
アルヴィスの恋人について知ることは、好みを知ることにもつながる。
たとえ自らを変えてでも、リリウムはアルヴィスの隣を手に入れたいと願っていた。
「わたしがアルヴィスさまの傍にいても、貴女は怒ったり……不愉快そうな顔をすることさえありませんでした。それで気づいたのです。貴女は、アルヴィスさまのことを、それほど好きではないのではないかと」
沈黙を貫くサヤの姿を、リリウムは肯定だと受け取ったようだ。
もう一度サヤに別れるよう迫ったリリウムは、自分の方がアルヴィスを好きだと主張してきた。
「リリウムさんは、アルヴィスのどこが好きなんですか?」
「もちろん全てです。一目見てすぐに分かりました。これは、運命の神による導きなのだと」
運命という言葉を、リリウムは履き違えている。
サヤにとって運命とは、暗闇を照らす光であり、ぴったりと噛み合った歯車のようなものだった。
間違っても、凹凸のない水晶などではない。
「エルフは生肉を食べると、毒の反応が出ると聞いたことがあります。だから、生き物を狩ることを極端に嫌っているとも」
「いきなり何の話を──」
「リリウムさんは、アルヴィスの好む食事が何か知っていますか?」
突然の問いかけに、リリウムは言葉を詰まらせていた。
リリウムといるアルヴィスは面倒そうに眉を顰めるばかりで、話しかけるのはいつもリリウムの方からだった。
加えて、リリウムはこの数日間、アルヴィスが何かを食べているところを見たことがない。
「それと、『アルヴィスのことをそんなに好きじゃないのでは』と言ってましたが、それは違います。たしかに、アルヴィスに近づくリリウムさんを見て、怒りを感じたことはありません。でもそれは、別のことを考えていたからです」
「……別のこと?」
訝しむリリウムに、サヤがにこりと笑いかける。
「どうすれば──私が殺したと知られずに、消すことができるのか考えていたんですよ」
一瞬、リリウムの思考が真っ白に染まった。
サヤから殺意は感じない。
それなのに、今の言葉が嘘ではないという確信が、リリウムの脳内を急速に占めていく。
「リリウムさんは長の娘なので、他のエルフのようにとはいきません。もし知られれば、アルヴィスまでエルフたちに追われることになります」
エルフの長の娘とは、言い換えればその国の姫だ。
魔法を得意とするエルフなら、何かしらの手段でサヤまで辿り着くかもしれない。
「どうしようもなくなった時は、エルフを敵に回すことも仕方ないと思ってました。でも、儀式が終わればここに残る必要もなくなりますから。これでも──我慢してたんですよ」
サヤがアルヴィスを好きではないなど、とんでもない勘違いだった。
リリウムの十分の一程度しか生きていない少女が、こんなにも恐ろしいことを平然と考えていたなんて。
小刻みに震える手で杖を握ったリリウムは、少しずつサヤと距離を取っていく。
儀式が終われば、アルヴィスはサヤと共にリリウムの元から去ってしまうだろう。
そんなことは耐えられない。
何より、目の前の化け物を野放しにしておくなど、今のリリウムには考えられないことだった。
「その選択、必ず後悔することになりますよ」
「……いいえ。これはわたしだけでなく、アルヴィスさまのためでもあるのです」
杖に魔法を纏わせるリリウムを見て、サヤが淡々と口を開いている。
サヤが存在する限り、リリウムがアルヴィスと結ばれることはないだろう。
たとえ結ばれたとしても、サヤがリリウムを生かしておくとは思えない。
アルヴィスは、サヤの本質を分かっていないのだ。
何でもない振りをしながら、内側ではリリウムを消すことを考えていたなど、まともな人間のそれではない。
「フォルレンシストの湖には、時折セイレーンが訪れます。歌と水を操り、気に入った者を湖の奥へと引き込んでしまうのです」
サヤを囲うように、大量の水が浮かび始める。
ある程度の距離が取れたところで、リリウムは湖の水を魔法で持ち上げると、サヤの周りを球体状に取り囲んだ。
「貴女がただ者でないことは分かっています。ですが、逃げ場のないこの状況で、回避することは不可能です」
エルフの姫だけあり、魔法には相当な自信があるようだった。
サヤの周囲を埋め尽くす水は、もはや質量の暴力と呼べるほどに巨大だ。
逃げ場が完全に塞がれている。
ため息をついたサヤが、諦めたような表情を浮かべた。
勢いよく流れ込んできた水が、そのままサヤを湖の底へと沈めていく。
口から漏れる水泡は、サヤの命綱にも等しいものだ。
窒息死。
そんな言葉が脳裏をよぎるも、サヤはただ静かに、水面をじっと眺めていた。
──アルヴィス。
大切なパートナーの名前を呟いたサヤの口から、最後の空気が溢れていく。
遠ざかる光の中、サヤの身体は真っ暗な湖の底へと溶け込んでいった。




