第四十食 嫌な予感がする
猫のようにしなやかな動きで、サヤは軽々と山岳地帯を越えていく。
大規模な転移魔法により消耗が激しいオラクルは、今にも死にそうな顔で後ろを登っていた。
「……おえ、吐きそう……。アルヴィスは疲れてないん……?」
「別に」
「うそぉ……」
息を乱すことなく急斜面を上がっていくアルヴィスに、オラクルがか細い声を漏らす。
最初から、そのままフォルレンシストへと転移させていれば──。
後悔先に立たずとはこのことだ。
本来であれば魔法で難なく越えられていた場所が、今は地獄のように思えてくる。
「アルヴィス、疲れてないですか?」
距離が空いたことに気づいたサヤが、元来た道を下りてきた。
「大変なら、手を繋いで登りましょうか?」
引きながら登れば、少しは楽になるはずだ。
心配そうに提案するサヤだが、オラクルはともかく、アルヴィスに疲れた様子は微塵もない。
そもそも、サヤが早すぎるだけで、アルヴィスたちは着実に前へと進んでいた。
杖を支えにしていたオラクルが、どうせなら自分を助けてほしかったと口にしかけた時だった。
「……ちょっと疲れたかも」
「嘘やん!」
アルヴィスの言葉に、オラクルが盛大な突っ込みを入れている。
サヤと手を繋いだアルヴィスは、嬉しそうな空気を漂わせていた。
「……時の神よ、どうか時間を巻き戻してください……」
仲睦まじく登っていくサヤとアルヴィスを見上げながら、オラクルは哀愁の滲む声で呟いていた。
◆ ◆ ◇ ◇
フォルレンシストは「エルフの国」と呼ばれているが、森の中は国というよりも、自然と調和した集落に近かった。
長寿であるエルフは、同じく長寿である森と寄り添いながら生活している。
オラクルの案内もあり、迷うことなく到着したサヤたちは、珍しいものを見る視線を浴びながら、エルフの長がいる場所へと向かっていた。
「遅かったじゃねえか、オラクル!」
「まあ……色々あってねぇ」
「なんか、すっげえ疲れた顔してんな」
木から飛び降りてきた青年が、オラクルの背中をバシバシと叩いている。
長い耳と整った容貌は、エルフという種族に与えられた特徴であり、美男美女ばかりが暮らすエルフの国は、どこを見ても眩しいほどに輝いていた。
人間が訪れることはほとんどないが、一度でも訪れた者は、誰かしらの虜になってしまうとも言われている。
ちらりと視線を向けたオラクルだったが、サヤに変わった様子は見られない。
サヤの隣を歩くアルヴィスに視線を移したオラクルは、それもそうかと納得した表情を浮かべた。
エルフさえも超える美貌が傍にいながら、目移りするはずがないのだ。
長のいる場所に着いたオラクルは、サヤたちを屋敷の中へと案内している。
神殿のように厳かで広々とした空間だが、木で造られた内装にサヤは懐かしさを覚えていた。
「この度ははるばるお越しいただき、感謝申し上げる」
長のエルフは老人のような見た目ながら、自然と背筋が伸びるような気品を纏っていた。
オラクルは壁側に控えると、サヤたちを長の向かいに座るよう促している。
「死の神が、私との会話を望んでいると聞きました」
「まさしく。祭司が知恵の神より神託を授かったため、急ぎリュミエに文を飛ばしたのだ。四日後には、水晶の儀が執り行われる。予定よりも遅かったが、間に合ったようで何よりだ」
長の言葉に、オラクルが視線を泳がせている。
「水晶の儀?」
「年に数回、我らから知恵の神へと呼びかけるのだ。水晶の力が強まる満月の夜であれば、五大神との交信にも耐えられるようになる。死の神とも、話せるようになるはずだ。それまでは、我らの里でゆっくり休まれるといい」
「ありがとうございます」
優しく微笑んだ長が、オラクルの方を見た。
嫌な予感に硬直するオラクルに向かって、「お主が世話をするように」と伝えた長は、サヤたちを連れて行くよう目で指示をしている。
「あのぉ、長。べつに俺じゃなくても……」
「今回の件で、随分と勝手をしたようだな。そこから話した方が良いなら──」
「俺に任せてください!」
勢いよく遮ったオラクルは、「行きましょう!」とサヤたちに声をかけている。
屋敷を出たサヤたちは、入口で同じ年頃の見た目をしたエルフの少女と遭遇した。
「あれ? リリウム様」
「オラクル。戻ったのですね」
リリウムは、エルフの長の一人娘だ。
オラクルを労ったリリウムが、サヤたちへ挨拶をしようと顔を上げた。
息を呑むような音が鳴る。
アルヴィスを映したリリウムの目が、大きく見開かれていく。
赤く染まる頬と、口元に当てられた手。
オラクルの背中を、冷たい汗が流れた。
アルヴィスを見つめたまま動かなくなるリリウムの姿は、恋に落ちた乙女そのものだった。




