第三十七食 最強で最恐なんよ
二等車に足を踏み入れたオラクルは、半目で淡々と乗客を転移させていた。
思ってたのと違う。
オラクルの心境を表すとすれば、この一言に尽きるだろう。
死の神が会話を望むような人間が、普通でないことは分かっていた。
しかし、案内役に立候補したオラクルは、まさかここまでの化け物が来るとは思っていなかったのだ。
エルフの国に着く前に、お手並み拝見といこう──なんて考えていた過去の自分を張り倒してやりたい。
列車のハイジャックに遭ったのは予想外だったが、何より予想外だったのは、化け物は一人じゃなかったという点だ。
あちこちで悲鳴が上がる。
飛んできた弾丸がアルヴィスに届くことはなく、見えない壁に阻まれたかのように落ちていく。
二等車を乗っ取っていた犯人たちは、一瞬で渦のように捻じられた後、飴玉ほどのサイズになって床を転がっている。
「面倒だから、動かないで」
銃を構えようと無駄だった。
腕ごと圧縮された魔導銃の残骸は、すでに銃としての形さえ残していない。
痛みに喚く男たちの姿も、等しく飴玉のように変わっていく。
圧縮のしにくさに眉を顰めたアルヴィスは、普段より一回り大きな球体を拾い上げ、ごくりと呑み込んだ。
「……お腹空いた」
「嘘でしょ!?」
食べたそばから空腹を訴えるアルヴィスに、オラクルが素っ頓狂な声を出している。
気づけば、敵も残すところ僅かとなっていた。
怯える男たちに混じり、リーダー格の男が険しい顔でアルヴィスを睨んだ。
「おまえら、何者だ」
「……」
「え、これ俺が答える感じ?」
問いかけに沈黙を貫くアルヴィスを見て、オラクルが戸惑った様子で自分を指している。
空腹により気力が湧かないのだろう。
アルヴィスの表情には、“答えるのが面倒だ”と書いてあった。
「まあ、ただの乗客……みたいな」
「ただの乗客に、こんなことが出来るとでも?」
信じられる訳がないと話す男に、オラクルはため息をついている。
「って言われてもねぇ……。本当に偶然なんよ? 可哀想だけど、運の神は君たちに味方しなかった。それだけのことだと思うよぉ」
こんな化け物を相手にしなければならないなんて、本当に可哀想だ。
アルヴィスが男たちを処理していく裏で、着々と二等車の乗客を一等車へ転移させていたオラクルは、最後の一人を送り終えたことで緩やかに口角を上げた。
「こういう場合って、主犯だけ生かしておけば大丈夫だったよねぇ」
列車の外に転移させることもできたが、裏の手段があった場合、悪手になってしまう。
捕えるとしても、せいぜいリーダーの男と、あと一人か二人いれば十分なはずだ。
「アルヴィスー。そいつと、あと一人くらいは生かしといて欲しいんだけどぉ」
「……」
「うわ、めっちゃ嫌そうな顔してる……」
無言の圧と、オラクルに対する嫌悪感。
その場のノリでサヤに好きと言ったことが、相当尾を引いているらしい。
サヤにだけは素直に従うアルヴィスだが、オラクルは論外だったようだ。
いや、そもそもサヤ以外は誰でも論外なのだろう。
仕方なく杖を構えたオラクルは、扉と共に吹っ飛んできた男を見て、ぎょっと目を剥いている。
筒抜けになった三号車の中には、足を下ろすサヤの姿があった。
感情の消えた目がオラクルを捉え、男たちを通過し、アルヴィスで止められた。
オラクルは、今のサヤがどこか恐ろしかった。
先の見えない暗闇が、真の終わりに繋がっているような悍ましさを含んでいる。
けれどアルヴィスは、そんなサヤさえもたまらなく愛おしむかのように、ゆるりと目を細めていた。
「ブレイン……!」
「サヤ。そいつ、食ってもいいの?」
リーダーが呼びかけるも、ブレインに反応は見られない。
ぐったりとしたブレインを指したアルヴィスが、サヤに食事かどうかを確認している。
まるで、ご主人様と猛獣のような関係だ。
それでいて、目の前の怪物同士は互いを特別視している。
エルフの中でもそれなりに長生きなオラクルだが、サヤとアルヴィスのような関係は、これまで目にしたことがなかった。
恐ろしいはずなのに、なぜか視線を逸らせなくなってしまう。
「その人はまだ食べないでください。あ、こっちのは全部食べても大丈夫ですよ」
「分かった」
サヤが身体を横にずらしたことで、背後に真っ赤な光景が広がっている。
ヒュッと喉が鳴る音は、生き残った男のうちの誰かが漏らしたものだ。
「オラクル、三等車の乗客を一等車に移しておいてください」
「りょーかい」
三等車のほとんどは、犯行グループによって占められていたのだろう。
入り切るかと心配していたオラクルだが、思ったよりも少ない乗客の数に、安堵した顔で転移させていく。
床の血溜まり程度では驚かないが、転がっていた死体が丸ごと消えていたことには驚かされた。
満足げにサヤの元へと戻っていくアルヴィスの先には、リーダーの男と何かを話すサヤの姿が見える。
敵が弱いのではない。
相手が悪すぎたのだ。
オラクルは、運の神に嫌われた男たちを心底哀れに思った。
死の化身のような少女には、世にも恐ろしい番犬がついている。
遠い目でサヤたちを眺めるオラクルは知らなかった。
最強にして最恐の始まりは、むしろここから始まっていくのだということを──。




