第三十四食 後でやりましょう
透き通るような海の青と、白を基調とした街並みのコントラストが美しい。
船を降りたサヤは、初めて見る景色に目を輝かせていた。
サヤの長い髪は編み込まれ、後頭部で団子のようにまとめられている。
髪に刺した水晶の髪飾りが、潮風でしゃらしゃらと揺れていた。
「それ、いいね」
「繊細で綺麗ですよね。案内役への目印として、リュミエさんから貰ったんです」
アルヴィスの視線が、サヤの髪へと向けられる。
髪飾りに触れたサヤが、嬉しそうに微笑んだ。
「そっちじゃなくて、髪の方。下ろしてるのも好きだけど、結んでるとサヤの顔がよく見えるから」
隣を歩くサヤの顔は、時おり髪に隠されてしまう。
サヤのころころ変わる表情を見ていたいアルヴィスにとって、今の髪型は完璧と言ってもいいほど理想的だった。
「耳を出すのが得意じゃないので、あまり触らないようにしてるんですけど……。アルヴィスが言うなら、たまには結んでみようと思います」
予想外の言葉に、サヤが目をしばたたかせている。
髪飾りに合わせて結ってみたはいいものの、耳や首元を吹き抜ける風が、サヤは少しだけ苦手だった。
けれど、アルヴィスが喜ぶならいいかと思えるくらいには、サヤも好きな相手には思考が甘くなるようだ。
見つめ合うサヤとアルヴィスの近くで、不意に口笛を鳴らす音が聞こえた。
「いやー。熱いねぇ、お二人さん」
深緑の髪と、銀の瞳。
にやにやした顔でサヤたちを眺めるタレ目の青年は、容姿だけならアルヴィスと同じくらいの歳に見えた。
「ごめんごめん。邪魔するつもりはなかったんだけどさぁ、俺も任務を遂行しなきゃいけないんよ」
アルヴィスに睨まれた青年が、両手を顔の横に上げている。
「もしかして、あなたが案内役ですか?」
「ご明察! 俺が君たちを導く、選ばれしエルフってわけ」
よろしくねんっと続けた青年は、陽気な性格なのか、それともどこかおかしいのか、判断しづらい雰囲気をしている。
「私はサヤって言います。隣にいるのはアルヴィスです」
「リュミエから聞いてるよ。俺はオラクル」
オラクルと名乗った青年は、案内役のエルフで間違いないようだった。
しかし、サヤはオラクルの耳に目を留め、不思議そうに首を傾げている。
「あの、オラクルさん」
「呼び捨てでいいよー。俺もそうするから。それで、何かな?」
「オラクルはエルフなのに、どうして耳が人間と同じ形なんですか?」
エルフは耳の長い種族だ。
誇り高い種族でもあり、自身をエルフだと名乗るのは、純血の者に限られている。
ライラのような混血ならいざ知らず、エルフであるオラクルの耳が、人間のように短いのは不自然なことだった。
「あーこれねぇ。ルシーリアを訪れる際は、魔法で耳を隠してるんよ」
オラクルは軽く耳を引っ張ると、「よく出来てるでしょ?」と得意げな顔で聞いてくる。
「はい、本物みたいですごいです!」
「ああん、素直! 俺、サヤみたいな子めっちゃ好きかも」
もっと褒めてとばかりに身体をくねらすオラクルだったが、背後から飛んできた殺気にぴたりと動きを止めている。
アルヴィスを見返したオラクルは、先ほどまでの軽い態度を嘘のように引っ込め、真面目な口調で話し始めた。
「あのさぁ、アルヴィスの種族は鬼って聞いてるんだけど……それってほんと?」
「だったら、なに」
「いやぁ、鬼にしては異質すぎるなーと思ってさ」
ひりつく空気が漂う。
睨み合うアルヴィスとオラクルを見ていたサヤは、迷わずアルヴィスの傍へ近寄ると、両手で頬を挟み自分の方を向かせた。
「アルヴィス、ここでは止めてください」
「あいつ……サヤのことを好きって言った」
「好きにも色々な種類があるんです。とにかく、ここでは駄目です」
「……分かった」
素直に従うアルヴィスの姿に、オラクルが感心した様子で呟いている。
「殺し屋というより、猛獣使い……」
「何か言いましたか?」
「いやいやー、何でもないよぉ」
笑って誤魔化したオラクルは、再び軽い調子に戻ると、港とは反対側を指差した。
「そんじゃ、気を取り直して行きますか!」
指の先が示すのは、エルフの統治する大森林──フォルレンシストがある方角だ。
現在サヤたちがいるルシーリア帝国は、ゴルイドと同じく商業が発展していた。
港の開発が進んでおり、貿易も頻繁に行われている。
一方、フォルレンシストがあるのは帝国の反対側で、ルシーリアの民もそれほど住んではいない。
帝国が開発に踏み切れないのは、森にエルフが暮らしていることの他にも理由があった。
山岳地帯が、あまりにも険しいのだ。
エルフの国に入るためには、地獄のような山岳地帯を抜けなければならない。
エルフには魔法があったが、人間はそうもいかないだろう。
鬼のアルヴィスはともかく、人間であるサヤがどこまで付いてこられるのか。
愉快なことが起こりそうな予感に、オラクルはひっそりとほくそ笑んでいた。




