第三十食 不平等だ
地球産地球育ちの小夜にとって、異世界は近所のお兄さんが語ってくれる不思議な創り話。
物語の中にだけ出てくる、架空の世界だった。
明るく元気で、運動だけは人一倍得意。
前世の小夜は、よく笑いよく食べよく眠る、いたって普通の女の子だった。
そして何より、一人っ子の小夜は、近所のお兄さんを本当の兄のように慕っていた。
「お兄さん、就職おめでとう! 制服似合ってるね」
「小夜ちゃんも、志望校に受かったんだって? よく頑張ったな。えらいぞ」
「えへへ」
頭を撫でられ、小夜が嬉しそうな笑みを浮かべる。
第一志望の高校に合格した小夜は、もうすぐ入学式を控えていた。
大好きなお兄さんは警察官となり、幼い頃からの夢を叶えている。
辺りに舞う淡い花弁は、二人の門出を祝福しているかのようだった。
「昔は、魔法を使って悪者を倒すんだーって言ってたのに。文明の利器に頼っているところを見ると、お兄さんも現実と向き合えるようになったんだね」
「こらこら、いつの話をしてるんだ……」
揶揄う小夜に苦笑いをこぼした青年は、腰の拳銃を隠すように身体を捻っている。
声を上げて笑った小夜は、学校帰りだったこともあり、青年に「またね」と手を振ると、そのまま家への帰路を進んだ。
「あれ?」
家に帰った小夜の目に、半開きのドアが映る。
母親が施錠を忘れるなど珍しい。
玄関のドアノブに手をかけた小夜は、隙間から漂う臭いに思わず眉を顰めていた。
「なにこの臭い……」
廊下を歩くたび、鉄のような臭いが強くなってくる。
キッチンに足を踏み入れた小夜の目に映ったのは、壁中に飛び散った赤だった。
肩から鞄がずり落ちていく。
呆然と佇む小夜の視線の先には、バラバラになった両親の遺体が転がっていた。
◆ ◆ ◆ ◆
「……小夜ちゃん、犯人が捕まったよ」
小夜のもとを訪れた青年は、警察官の制服に身を包んでいる。
あんなに慕っていた青年が声をかけても、小夜が反応を示す様子はない。
うつろな目の小夜を、青年は思わず抱きしめていた。
「これからは……俺が小夜ちゃんのことを守る。だから、まずは体調を整えることから始めていこう」
痩せた身体と目の下のくま。
言葉を発することもない今の小夜は、まるで抜け殻のように空虚だ。
両親のためにも元気になろうと話す青年の腕の中で、小夜は漠然と別のことを考えていた。
──なんて不平等な世界だろう。
生きていれば、思い通りにいかないことは沢山ある。
誰のせいでもない理不尽や、全て平等になんていかない仕組みがあることも、小夜はきちんと分かっていた。
それでも、理由もなく両親を殺した犯人が、なぜまだこの世界で息をしているのか。
小夜にはそれが、どうしても理解できなかったのだ。
平等も公平も、誰かが重荷を背負っている。
生きるということは、我慢を知るということでもあるのだ。
幼い頃から、両親は小夜にそう言い聞かせてきた。
もし両親が今も生きていれば、小夜は普通の人間として、平和で温かい一生を過ごせたのかもしれない。
でももう、両親はいない。
死んでしまえば、何もかも終わりなのだ。
犯人は小夜の両親から、不平等に耐える時間も、理不尽だと訴える言葉さえも、ことごとく奪ってしまった。
──両親が死んだのなら、犯人も死ぬべきだ。
“理不尽”を“理不尽として認識する”こともできなくしておきながら、のうのうと自分だけ生きていく。
そんな犯人を、小夜は本当の不平等だと思った。
◆ ◆ ◆ ◆
薄暗い夜道を、一台の護送車が走っている。
人通りの少ない一本道で、運転を担当していた警察官の男は、驚いた様子で車を急停止させた。
「どうした?」
「学生らしき子が、目の前で転倒したんだ。肝が冷えたよ」
背後から覗いた相棒の警察官に「ちょっと待っててくれ」と伝えた男は、車を降りると、転倒したまま起き上がらない少女の方へと向かった。
「君、どこか具合でも……」
悪いのかと続けようとした言葉は、頭部に感じた衝撃により途切れていく。
男が近づいたタイミングで、鞄からレンガを取り出した小夜が、油断した男の頭を殴ったのだ。
「おい、大丈夫か!?」
異変を察知した相棒の警察官が、護送車から降りてくる。
倒れた男を見て駆け寄った警察官は、話題に出ていた学生がいないことに気づいた。
頭上から振り下ろされたレンガが、嫌な音を立てる。
意識を失った警察官から鍵を抜き取った小夜は、犯人のいる護送車の扉を開けた。
「……なんだぁ? 嬢ちゃん、自殺志願でもしにきたのか〜?」
手錠で拘束された犯人は、いきなり現れた制服姿の少女に、下劣な笑みを浮かべている。
「いいえ。私は……あなたを殺しにきたんです」
感情のない顔と声。
底なし沼のような瞳が、犯人の目と合った。




