第二十九食 誰にも渡さない
大型客船だけあって、船の内装は豪華だった。
リュミエは上等な部屋を予約してくれていたが、五つ星パスを目にした乗組員は、ぎょっとした様子で最上級の部屋へとグレードアップさせていた。
見た目だけで言えば、十代後半の少女と青年だ。
アルヴィスの実年齢はさておき、身分証であるカードには、十八歳と記載されている。
まだ年若い男女が、五つ星パスを所有しているとは思わなかったのだろう。
部屋に案内されたサヤは、中を見て目を輝かせている。
「すごく広いですね、アルヴィス! あ、ここから外に出られるみたいですよ」
船外に出たサヤの髪が、潮風で乱れていく。
はしゃぐサヤの姿に、アルヴィスがゆるりと目を細めた。
サヤといると楽しい。
サヤが隣にいるだけで、世界が鮮やかに見える。
そんな感情になるのは、アルヴィスがサヤを“好いている”からなのだろうか。
地下ギルドを去る前、エージスはアルヴィスに向かって「早く自覚しろよ」と言ってきた。
もどかしくなると続けたエージスの肩を引き寄せた男が、にやにやと笑いながらエージスの顔を覗き込んでいる。
様子を見守っていた別の男が、戯れ合う二人を尻目に、アルヴィスの方へと近寄ってきた。
「実はね、相手のことが好きかどうか分かる、手っ取り早い方法があるんだけど……」
小声で囁いた男は、「頑張ってね」と言いながら拳を握っている。
男の表情には悪戯っぽさも混じっていたが、サヤ以外に興味の薄いアルヴィスが気づくことはなかった。
デッキから海を眺めるサヤの隣に並ぶと、アルヴィスは夕陽に照らされるサヤの横顔を見つめた。
男の話していた手っ取り早い方法が、アルヴィスの脳裏に浮かぶ。
「どうしたんですか?」
アルヴィスの視線に振り向いたサヤは、不思議そうにアルヴィスを見上げている。
ふと、サヤの顔に影が落ちた。
白銀の髪が頬をくすぐり、唇に柔らかなものが当てられる。
ほんの一瞬、そっと触れていた唇は、すぐにサヤから離れていった。
驚きのあまり見開かれた目が、宝石のように輝いている。
──もし君が彼女を好きなら……多分、もっと触れたくなると思うよ。
男の言葉が、アルヴィスの胸にストンと落ちてきた。
「サヤが好き」
間違いなく、アルヴィスはサヤに恋をしている。
サヤに触れると心が満たされる一方で、もっと触れていたいとも思ってしまう。
「俺を、サヤの唯一にして」
他の誰かが同じように触れたらと考えるだけで、殺意にも似た感情が湧き上がってくる。
サヤの特別が欲しい。
夕陽よりも色づいていくサヤの頬に、アルヴィスは手を伸ばしていた。
頬を包んだ指が、滑らかな肌を撫でる。
不意に、髪をすくった指先が──サヤの耳を掠った。
「……ひゃっ!」
反射的に退いたサヤは、手で耳を押さえながら、真っ赤な顔でアルヴィスを見ている。
潤んだ目からは、今にも雫がこぼれ落ちそうだ。
「わ……私……そろそろご飯の時間なので……っ!」
風のように部屋を飛び出していったサヤは、一人で食事の場所に向かったようだった。
本来であれば、アルヴィスも一緒に行くはずだったが、今回は止めておいた方がいいのかもしれない。
どのみち、アルヴィスにとって人間以外を食べるのは、空腹を紛らわす手段でしかなかった。
仄かに温もりの残る手を見下ろし、アルヴィスは大人しくサヤの帰りを待つことに決めた。
◆ ◆ ◇ ◇
夜になり寝支度を整えたサヤは、衝撃の事実に固まっていた。
寝室の中央には、キングサイズのベッドが一つ置かれている。
二つではなく、一つなのだ。
やっと鎮まっていたサヤの感情が、再び温度を上げていく。
「気になるなら、向こうにいるよ」
アルヴィスが示した先には、リビングがある。
おそらく、ソファーを使うつもりなのだろう。
「いいえ。こうなった以上、仕方ありません。一緒のベッドで寝ましょう」
腹を括ったサヤが、ベッドに腰掛け逆側を叩く。
規則や平等を重んじるサヤにとって、アルヴィスだけを別の場所で寝かせるなど、考えられないことだった。
それに、サヤはまだ──アルヴィスに答えを返せていない。
「アルヴィス、話しておきたいことがあるんです」
隣に座ったアルヴィスが、真剣な雰囲気のサヤを見つめる。
サヤを好きだと言ったアルヴィスは、本気の目をしていた。
だからこそサヤも、その気持ちにきちんと向き合わなければならないと思ったのだ。
「私には、前世の記憶があるんです。ここではない世界で生きていた、普通の人間としての記憶が……」
サヤがまだ、小夜だった頃の記憶。
沈黙が流れるベッドの上で、サヤはかつてあった出来事を語り始めた。




