第二十六食 やっぱり向いてませんね
「不平等だと思いませんか?」
「……な、なにを言って……」
唐突な言葉に、男が声を詰まらせる。
「あなたはエージスさんにも、エージスさんのお姉さんにも、懇願する機会を与えなかったじゃありませんか」
一方的に売り払われ、選択の余地さえ残っていなかったエージス。
弟がいなくなったことに気づき、無我夢中で助けに向かった姉。
結果的にエージスは生き延び、姉は終わりを迎えた。
この世界では、復讐に囚われる者の方が珍しい。
姉が死んだなら、次の生が良いものであるよう願い、自らの今生に集中する。
それが、一般的な人間の考え方だった。
エージスが復讐心を失わなかったことは、両親にとって運が悪かったとしか言いようがない。
もしもエージスが依頼した相手が別の殺し屋であれば、復讐など意味がないと鼻で笑われていただろう。
そもそも、殺し屋という仕事が成立している時点で、世間の倫理観がどちら側かなど、考えるまでもないことだった。
だから両親は、本当に運が悪かったのだ。
「懇願なんてしないでください。それじゃあ、あの人と同じになってしまう」
サヤが纏う異様な空気に、男は精神が恐怖の先へ至るのを感じていた。
死の足音が聞こえる。
もし、彼らの息子がエージスではなかったら。
もし、エージスの依頼した相手が──サヤではなかったら。
少なくとも今生は、満たされた生涯を送れたのかもしれない。
不幸中の幸いがあるとすれば、サヤは殺しのプロであり、理由もなく苦しめたりしないということだ。
いつの間にか握られていたナイフは、命を刈り取るための最適解をなぞっていく。
男が最期に目にしたのは、流れ星のように輝く銀の閃光だった。
◆ ◆ ◆ ◆
ドアが開く音に、エージスはもたれていた壁から背中を離した。
「エージスさん。終わったので、宿に戻りましょうか」
サヤがにこりと笑いかけてくる。
邪気のない笑みは、本当に事が行われたのか疑ってしまうほどに無垢だ。
「見ても無駄だよ。何も残ってないから」
思わず室内を覗こうとしたエージスだが、すれ違いざまにアルヴィスの言葉を耳にし、黙って踵を返している。
なぜ何もないのかなんて、エージスが考える必要はない。
世の中には、知らない方が良いことも沢山あるのだ。
「……姉ちゃん」
姉のブローチを握り、そのまま指に額を当てる。
長らくエージスを縛り付けていた枷が、外れていくような心地がした。
──幸せになって。
もういないはずの姉の声が、頭の中に響いている。
姉は、エージスといて幸せだったのだろうか。
幸せとは、いったい何なのだろうか。
これからは、その答えを探すために生きてみよう。
サヤたちと共に朽ちた宿を後にしたエージスは、ようやくこの世界で新しい一歩を踏み出そうとしていた。
◆ ◇ ◇ ◇
ゴルイドの地下ギルドで、サヤとエージスは二人で向かい合っていた。
破産も覚悟していたエージスだったが、サヤは依頼に対する金銭を全く受け取らなかった。
いわく、エージスの両親が、ギャンブルで稼いだお金を所持していたらしい。
報酬はそれで十分だと話したサヤは、「これでお別れだね」と微笑んでいる。
「……なぁサヤさん、一つ聞いてもいいか」
「良いですよ」
聞くだけなら構わない。
サヤのそんなニュアンスが、エージスはすでに懐かしいような気持ちになっていた。
「復讐だと分かってたのに、なんで依頼を受けてくれたんだ?」
殺し屋だからといって、無条件に引き受ける訳ではない。
断る権利は殺し屋側が有しており、厄介な内容や依頼者という理由で、初めから拒否されることもある。
しかし、サヤは復讐だと分かっていながら、自ら引き受けるとまで言ってくれた。
「不平等だと思ったからです。人間の価値は同じだと言っておきながら、実際は一部の人間にとって都合の良いようにできている」
どこか違和感のある言葉に、エージスが戸惑った様子でサヤを見つめる。
「私、憎しみとか恨みとか、よく分からないんです。でも、規則は分かります。この世界のルールに従っていれば、前みたいな思いはしなくて済む。だけどもし、ルールとは別の問題が起きた時は、天秤が釣り合うように動こうと思っていました」
エージスに同情した訳でも、考えに共感した訳でもない。
両親へと傾きすぎた天秤を戻すため、サヤはエージスに加担することを決めたのだ。
「変ですよね。自分でも分かってるんです。何かが欠けてるって」
あの日、サヤの中で──ぷつりと糸が千切れるような感覚がした。
それからサヤの倫理観は、ミンチのように刻まれ、ごちゃ混ぜになったあと、今にも崩れそうなハンバーグに変わってしまった。
「……理由を知りたかったのは、単に珍しかったからだ。俺は、サヤさんがどんな理由でも気にしねぇよ」
腐り切った両親だった。
それでも、もしサヤに依頼していなければ、エージスは両親を殺せていなかったかもしれない。
「サヤさんは……復讐が意味のねぇことだと言わないでくれた。俺にとって重要なのは、それだけなんだ」
初めは殺し屋を頼ろうとしたエージスだったが、鼻で笑われるか、おかしなものを見るような目で睨まれるかのどちらかだった。
エージスが殺し屋になった本当の理由は、殺しが合法だからではない。
誰一人、引き受けてくれる相手がいなかったからだ。
「感謝してる」
心からの言葉に、サヤが微笑む。
「やっぱり、エージスさんは殺し屋に向いてませんね」
「たしかに、俺は殺し屋には向いてねぇわ」
サヤとエージスが、同時に吹き出す。
歯を見せて笑うエージスの顔は、夏空のように晴れ渡っていた。




