第二十四食 食べてしまいたい
探していた両親が、同じ国にいる。
動揺と込み上げてくる感情で、エージスの脳内は渦を巻いていた。
「どうしてゴルイドに?」
「豪華客船で世界一周ってのに行ってたみたい。ゴルイドは商業が盛んな分、港も開発されてるし、船旅目的で訪れる観光客も多いんだよ」
エージスを売り払ったあと、ギャンブルで当たりを引いた両親は、悠々自適な暮らしを満喫していたらしい。
ライラの話では、船旅から戻ったことで、一時的に港近くのホテルに泊まっているとのことだった。
腹が煮えくり返る思いだ。
怒りで震えるエージスの拳からは、ぽたぽたと血が垂れている。
「滞在はいつまでの予定ですか?」
「決まってるのは明後日までだね。明日の夜は、カジノに行くみたいだよ。近くのホテルが予約してあるけど、それ以降は未定って感じかな」
両親は船でも賭け事を楽しんでいたようで、もはや中毒だとライラに称されていた。
予想よりも早く片付きそうな状況に、脳内で殺しの算段を立てていたサヤは、エージスを窺うように見た。
「一度始めたら、取り消すことはできないよ」
「……ああ。分かってる」
「それなら明日の夜、カジノから帰る時を狙いましょう」
ライラからカジノの場所と、ホテルまでの経路を受け取る。
覚悟を決めたエージスの目を見返し、サヤはにこりと笑みを浮かべた。
◆ ◆ ◇ ◇
アルヴィスの食欲を満たすため、深夜の仕事をこなしていたサヤは、積み重なる死体の山に眉を下げていた。
密輸組織を丸ごと処理したはいいものの、これだけの量をアルヴィスが食べられるか分からなかったのだ。
「無理そうならいったんどこかに移して、ギルドに処理を……」
悩むサヤをよそに、死体を圧縮したアルヴィスは、普段より一回り大きい球体を難なく呑み込んでいる。
「わあ、アルヴィスすごいです!」
表情を明るくしたサヤが、ぱちぱちと手を叩いている。
満足げなアルヴィスを見て、サヤは「帰りましょうか」と声をかけた。
宿に着いたサヤは、服を着替えベッドの上に座っていた。
この世界には魔法があるため、服や身体の洗浄も一瞬で終わってしまう。
方法は簡単で、店で売っている専用のカードを買い、マニュアルに従って魔法陣を発動させるだけだ。
以前の世界では考えられない利便性の高さを、サヤはとても気に入っていた。
「寝なくて大丈夫ですか?」
明かりは消していたが、サヤは夜目が利く。
隣のベッドに顔を向けたサヤは、同じように腰掛けているアルヴィスを目にした。
「サヤこそいいの?」
「私はあまり寝なくていい体質なんですよ」
前世のサヤは、よく食べよく眠り、運動が得意なごく普通の少女だった。
けれど、この世界に生まれてからのサヤは、身体能力が飛躍的に上昇し、少し眠るだけで回復してしまうほど丈夫な体になっていた。
「そういえば、まだ私の異能について話せてませんでしたね」
聞かれたことはあったものの、エージスの件もあり、答えられていなかった。
どうせ寝ないのならと、サヤが膝を抱えたまま語り出す。
「私の異能は、予見と適応というものです。予見は、降りかかるリスクを事前に知らせ、死へと繋がるあらゆるルートを回避させてくれます」
あくまで死に関するリスクであり、怪我をする程度では発動しない。
エージスと出会った際、サヤが爆発に巻き込まれるのを回避できたのも、予見の異能があったからだ。
「未来が見えるってこと?」
「どちらかと言えば、超直感とかの方が近いのかもしれません」
予見は、未来を視覚的に受け取れるのではなく、避けるべき行動を警告のように教えてくれる。
「適応は、避けられない事態に対処するため、性質自体を変化させる能力です。たとえば、相手の強さに応じて、身体能力を向上させたり──とかですね」
殺し屋は、危険の中にあえて飛び込んでいく職業だ。
サヤが予見の警告に従わなかった場合、適応の異能が発動するようになっていた。
「予見と適応。この二つを合わせた異能を、私は“殺死”と呼んでいます」
自らに降りかかる死を殺す。
それが、サヤの異能の正体だった。
「死の神は、サヤを死なせるつもりがないのかもね」
「大神官様も、使徒は長寿になる可能性が高いと言ってました。ただ、私の場合は前例がないらしいので何とも……」
規格外の異能に、アルヴィスが呆れを滲ませている。
使徒はいわば、寵愛という名の贔屓を受ける対象のことだ。
これまで、死の神に異能を授けられた者は短命だと記録されてきたが、使徒が現れたという記録は歴史上皆無だった。
つまり、サヤが今後どうなるのかは、予想がつかないということでもある。
「でも、今日のことは驚いたんですよ。まさか壁が壊れるなんて、思ってもいなかったので」
くすくすと笑うサヤに、アルヴィスが首を傾げた。
「予見で分かってたんじゃないの?」
「予見が教えてくれるのは、死に関するリスクが発生した時です。今回は多分、リスクもないと判断されたんだと思います」
サヤの声には、深い信頼が込められている。
視線を向けたアルヴィスの目に、微笑むサヤの姿が映った。
「アルヴィスのおかげだったんですね」
アルヴィスが、傍に居てくれたから──。
必ず守ってくれると確信が持てるほど、いつの間にかサヤにとって、心強い存在になっていた。
宝物のように名前を口にされ、アルヴィスの心が騒つく。
「……サヤを助けるのは、面倒じゃないから」
「どうしてですか?」
自分でも理解できていないのだろう。
サヤの問いかけに、アルヴィスは答えることができずにいた。
食欲以外に重きを置いてこなかったアルヴィスだが、サヤといると、食欲さえも超えるほど感情が揺さぶられることがある。
それがいったい何なのか、アルヴィスには見当もつかないのだ。
「よく分からないけど……サヤが望むことは全部、叶えてあげたいと思う」
暗闇越しに、サヤとアルヴィスの視線が重なる。
サヤの淡く色づいた頬が美味しそうに思えて、アルヴィスは自然と視線を逸らしていた。
食欲は充分に満たされている。
それなのに、アルヴィスはサヤの柔らかそうな皮膚に、噛み付いてみたいと思った。
少しはだけた首元と、薄く開いた唇。
ぱっちりとした目は、果実のように潤んでいて──。
アルヴィスは初めて、暗闇でも見通せる自身の目を、厄介だと感じていた。




