第二十食 いや、怖ぇよ
翌朝、疲れた顔で宿を出たエージスは、先を歩くサヤたちを見て早くも後悔しかけていた。
同行ではなく、決行日に合流する方が良かったのかもしれない。
エージスがそう考える理由には、宿で知ったとある事情が関係していた。
サヤがディスタリア帝国一の殺し屋だったことには驚いたものの、むしろその点は利点だった。
殺し屋たちの憧れであるトップランカーを、間近で観察できる機会などそうそうない。
問題は、サヤの相方であるアルヴィスについてだ。
ランカーにビジネスパートナーがいるのは珍しい話でもないため、エージスも初めは特に違和感を抱いていなかった。
しかし、朝になって扉を開けたエージスは、たまたま同じ部屋から出てくるサヤとアルヴィスの姿を目にした。
昨日のことが嘘のように、サヤは明るい笑顔で挨拶をしてくる。
しどろもどろになりながらも挨拶を返したエージスは、血のような赤と目が合ったことで硬直した。
サヤを見ていた時は緩やかだった金の瞳孔が、縦長に細くなっていく。
牽制か警告か。
視線が逸らされたことで、エージスは無意識に息を止めていたことに気がついた。
──まさか、サヤとアルヴィスがそういう仲だったとは。
萎びた果実のような表情を浮かべると、エージスは疲れ果てた足取りでサヤたちの後を追った。
◆ ◆ ◇ ◇
ゴルイド王国のギルドだけあって、至る所で商人が会話を交わしている。
館内には掲示板がかかっており、各職業ごとのランキングや、最近のニュースなどを見ることができた。
「あ、この記事」
サヤが指した箇所には、大見出しで『ディスタリア帝国有数の大富豪、モーリッシュ家の一人息子が死亡か!?』と載っている。
「今更だね」
「あの後、行方を捜してたみたいですよ」
当初のサヤは事故死を偽装するつもりだったが、アルヴィスと出会ったことで作戦を変更していた。
ロザリーの死体を残してきたことで、警備隊は誘拐だと判断したのだろう。
ルイスの行方を捜すも、痕跡が見つかるはずもなく。
捜索が打ち切られたことで、今になって死亡の知らせが載ったという訳だ。
「あの依頼……サヤさんが担当してたんだな」
モーリッシュの件は、ランカー宛に依頼が飛ばされていた。
エージスの元にも届いていたが、あまりの内容に、引き受ける気は微塵も湧かなかった。
誰も受けないのではと考えていただけに、募集が終了したと知った時は驚いたものだ。
成功させたのがサヤだと分かり、エージスは納得の表情を浮かべている。
「今回の依頼はアフターケアも想定していましたが、もう大丈夫そうですね」
「アフターケア?」
不思議そうに問いかけるアルヴィスに、サヤが詳しい説明を語っていく。
「捜索が長引いた場合、口封じに狙われる可能性もあるんです。この世界の人は、死んだと分かった途端に関心が薄れていくので、依頼主もこれで安心したと思います」
死体を処理すれば、ターゲット側の混乱を招くことができる。
反面、死んだと判断されるまでは、依頼主側の動向にも注意しなければならない。
殺し屋になれば、いついかなる時も気を抜くことはできないのだ。
「なんで依頼主が安心するんだよ」
ターゲットが死んだ時点で、依頼主には連絡が届くようになっている。
殺し屋が捕まったのならいざ知らず、原因も分からない状況で、依頼主が不安に思う要素はないはずだ。
不可解そうに眉を顰めるエージスを見つめ、サヤは淡々とした様子で口を開いた。
「依頼主が実はターゲットの家族と身近な存在で、今も仮面を被りながら傍にいる……なんてことは、割とあることなんですよ」
ルイスを排除することで、何かしらの得があったのだろう。
近くに居続けるためには、僅かなリスクも無くしておきたい。
そんな狡猾さに溢れた人間。
「胸糞わりぃな」
ぽつりと呟かれた言葉に、サヤが目を瞬かせている。
「エージスさんって、殺し屋に向いてないですよね」
「は!? 何だよ急に……」
この世界ではむしろ、エージスのような人間の方が珍しい。
死の元凶に執着し、姉の死を引きずり続けている。
「それに、会った時と性格も違いませんか? もっとこう……うるさかったですよね」
他に言葉が見つからなかったらしい。
サヤの率直な指摘に視線を逸らしたエージスは、気まずそうに口をもごつかせている。
「あれは……酒を飲まされたっつうか……」
「お酒?」
「昔から、飲むとああなっちまうんだよ……!」
エージスは下戸だった。
少し飲んだだけで頭のネジが飛んだかのように騒ぎ出し、辺りの物を壊し始める。
姉に禁止されてからは飲むのを止めていたが、あの時は仕事のため、どうしても断ることができなかったのだ。
エージスが理性を失ったのは、姉の記憶がフラッシュバックしたことの他にも、酒に酔っていたことが関係していた。
「つまり、お酒に弱いんですね」
「おい……そんな目で見るんじゃねぇ」
サヤの瞳には、意外だという感情がありありと浮かんでいる。
渋い顔をしたエージスが、さらに言葉を続けようとした時だった。
「わっ! ……アルヴィス?」
背後から回された手が、サヤの目を覆っていく。
そのまま自分の方へと引き寄せたアルヴィスは、ぞっとするほど冷たい視線でエージスを睨んだ。
丸ごと捕食されてしまいそうな雰囲気に、エージスの足が地面に縫い付けられたかのように動かなくなった。
「サヤ、受付はあっちだよ」
「そうでしたね! 行きましょうアルヴィス」
当初の目的を思い出し、サヤがアルヴィスの手を引く。
満足そうに微笑んだアルヴィスは、エージスに背を向け、受付の方へと歩いていった。
その場に残されたエージスからは、安堵と後悔のため息が長々と漏れていた。




