第十七食 話をしましょうか!
エージスには姉がいた。
明るく美しい姉は、光の神から治癒の異能を与えられていた。
いつも誰かの怪我を治しているような、優しい姉。
エージスは、そんな姉が誇らしかった。
出来損ないの自分とは違い、姉は周りから重宝されていた。
エージスが風の神から異能を与えられたと分かった時は、期待の目を向けられもしたが、それも僅かな間のことだった。
属性を司る神は、五大神に次ぐ存在だ。
各方面に派生した神とは異なり、属性そのものを全て扱うことができる。
例えば、エージスと同じように風の神から異能を与えられた者の中には、起こした風で空を飛んだり、風を刃のようにして広範囲を切断できる者もいた。
それに比べてエージスは、指から風の弾丸を出せる程度。
姉のように誰かの役立つことも、強い力で周りを驚かせることもない、平凡な異能の持ち主だった。
けれどそんなエージスを、姉は心から愛していた。
日々素行が悪くなっていくエージスを、汚物でも見るような目で睨む両親。
姉が治療師として稼いだお金で贅沢三昧しておきながら、エージスを指して食い扶持が減ると喚くような人たちだった。
とうとうギャンブルにまで手を出し始めた両親を、姉は少しも咎めることなく、ひたすら仕事に励んでいた。
しかしある日、姉がいない隙に無理やりエージスを連れ出した両親は、人身売買の組織にエージスを売り払ってしまった。
これでまたギャンブルが出来ると話す両親に、エージスは自分が借金のカタにされたのだと理解した。
抵抗するエージスだったが、組織の男たちに打ちのめされ、そのまま意識を失ってしまった。
次に目を開けた時、傍には泣きながらエージスを治療する姉の姿があった。
どうしてここにいるのか。
朦朧とする意識で姉を見ていたエージスは、「ここから逃げよう」と話す姉に連れられ、一緒に建物から出ようとした。
姉は何度も謝っていた。
沢山お金を稼げば、両親の注意をそらせると考えていたのだ。
給料が入るたび一部をこっそり隠していたと話す姉は、そのお金が貯まり次第、エージスと二人でどこか違う国に住む計画を立てていたらしい。
積み上げられた箱の向こうに、出口が見える。
涙を堪えるエージスに笑みを漏らした姉は、あと少しと言うようにエージスの手を引いた。
身を隠していた場所から、出口の先へと一気に駆けていく。
これからは、もっと真面目に生きよう。
まずは職に着いて、エージスも姉を助けるのだ。
姉の背中を眩しそうに見つめるエージスの耳に、鈍い音が響いた。
ぐらりと傾いた身体が、地面に倒れ込む。
「姉ちゃん!」
倒れた姉を抱き起こすと、胸の辺りが真っ赤に濡れていた。
「……姉ちゃん?」
呆然と呟くエージスの耳に、掠れた姉の声が届く。
「……えーじす……よく……きい、て……」
パニックになるエージスの頬を抓ると、姉は苦しそうに息をしながら、お金の隠し場所について口にした。
「……っ、そんなんいらねぇよ! 俺は姉ちゃんがいればそれでいいんだ!」
「おまえさ〜、狙い外してんぞ。女の方は予定と違ぇからな?」
「まあいいじゃないか。バラしてしまえばいいだけの話だ。代わりに、男の方を労働力として売っておくか」
組織の男たちが近づいてくる。
逃げるよう話す姉に首を振ると、エージスは必死で懇願し続けた。
しかし、どんなに願っても、命が流れ落ちていくのを止めることは出来ない。
多くの人を治してきた姉の異能は──自分の怪我を治せるものではなかったからだ。
「え……じす……なが……い……して……」
エージスは長生きして。
その言葉には、愛する弟の幸福を願う、姉の切実な思いが込められていた。
神様の元に還るだけだと微笑んだ姉は、二度と目を覚ますことはなかった。
泣き叫ぶエージスの首根っこを掴むと、男が強引に引き離そうとしてくる。
「おいガキ、離れろや。時間が経つと、中身が使えなくなるんだわ」
「……なんでだよ……。なんで姉ちゃんが……、なんで……!」
「はぁ? どうせ死んだって次があんだろ。むしろ、俺らのおかげで輪廻の神の慈悲を得られるんだぜ。感謝してほしいくらいだわ」
ゲラゲラと笑う男たちに、エージスの心が冷えていく。
あの時サヤに叫んだ言葉は、かつてエージス自身が言われた言葉でもあった。
エージスなんかのために死んでしまった姉を、輪廻の神はさぞや憐れんでくれるに違いない。
皮肉にも、そう思い込まなければ、エージスの心は粉々に砕けてしまいそうだったのだ。
「おい、おまえ──」
痺れを切らした男が、手を伸ばしてくる。
直後、男の身体が風船のように破裂した。
「は? なにが起こって──」
続けて、もう一方の男の身体も破裂していく。
打ち込んだ風の弾丸を、内側で膨張させた。
無意識に行っていた異能の応用に、エージスは乾いた笑みを浮かべた。
──何もかも手遅れになってから、ちょっとはマシな異能だったと気づくなんて。
本当に……皮肉なものだ。
たとえ死んだとしても、エージスが姉に会えることはない。
長生きするよう言い残した姉の言葉を叶えることも、どこかでのうのうと生きている両親への復讐を遂げることも、二度と出来なくなってしまった。
──今回もまた、手遅れになってから気づくんだな。
これが俗に言う走馬灯かと自嘲したエージスは、重い瞼をゆっくりと閉じた。
◆ ◆ ◆ ◆
「やっと起きたの?」
「……天国……?」
シーツの感触がする。
ベッドの上で意識が戻ったエージスは、絶世の美貌を前にして、混乱のあまりぽかんと口を開けている。
「サヤ、目を覚ましたよ」
「本当ですか? ありがとうございますアルヴィス」
エージスから離れたアルヴィスが、サヤに声をかけている。
笑顔でお礼を告げるサヤに、アルヴィスの表情がふわりと緩んだ。




