第十六食 神に近い世界
「テメェ……マジで何なんだよ……」
殺意はおろか、怒りさえも全く感じられない。
サヤはただそこに立っているだけだ。
それなのに、男の手は恐怖で小刻みに震えている。
男がゴルイド王国での依頼を選んだのは、ディスタリアの殺し屋がいないからだった。
同じ国の殺し屋同士は顔見知りなことも多いため、下手に衝突すると面倒なことになる。
わざわざゴルイドまで来たはいいものの、まさか同国の殺し屋に遭遇するとは思ってもみなかったのだ。
「どうせ死んだって次があるじゃねぇか! むしろ、輪廻の神の慈悲を得られるんだぜ? 死んだ奴らだって感謝してるだろうよ!」
男が叫んだ言葉には、人々の間に深く根付いた信仰が関係している。
どうしてこの世界は、“殺し”を仕事として認めているのだろうか。
転生してしばらく経った頃、サヤは生まれた世界について考えるようになっていた。
この世界には、多くの神々が存在している。
火や水、風や土のように属性自体を司る神。
さらにその派生として、植物や鉱物などの神が存在している。
枝分かれした神々の頂点には、五大神と呼ばれる神がおり、別名を創世五神といった。
生の神、知恵の神、時の神、輪廻の神──そして、死の神。
五大神は他の神々と異なり、世界にも人間にもほとんど関わることがない。
しかし、死者の魂を導けるのは五大神のみであり、次の生を与えられるのもまた、五大神のみであった。
早世した者や、強制的に命を奪われた者は、輪廻の神の慈悲を得られると言われている。
かつて、幼くして家族と別れた少年がいた。
少年を憐れんだ輪廻の神は、「また同じ両親の元に生まれたい」と話す少年の願いを叶えてあげた。
そのおかげで少年は、次の生も再び家族と過ごすことができたのだ。
施設長が読み聞かせてくれた絵本には、そんな言い伝えが書かれていた。
この世界の人間は、神との距離が近い。
だからこそ、死が完全な終わりではないと理解しているのだろう。
神の元へ戻り、再び生まれ変わるだけ。
死の間際を恐れることはあれど、死そのものを厭っている訳ではない。
殺し屋が認められているのも、神の慈悲と魂の循環を知る人々にとって、排除するほどのものではなかったためだ。
けれど、幼いサヤの頭を撫でながら、施設長はこうも話していた。
『死者の魂は、死の神のお膝元を流れ、輪廻の神の手のひらへと辿り着く。そうして人間は、再び生を得るんだよ。だけどね、サヤ。死の神は、悪人の魂が大好物なの。もし悪いことをすれば、輪廻の神の所へ着く前に、死の神が食べてしまうかもしれないよ』
──だから、正しく生きなさいと。
「彼らに次はあっても、あなたには無いと思いますよ」
「……どういう意味だ」
たとえこれから命を奪われようと、サヤの目の前にいる男に慈悲が与えられることも、次の生がやってくることもないだろう。
「昔、大神官様に言われたんです。私は──死の神に選ばれた使徒なんだって」
「死の神の、使徒……」
使徒とは、神が自らの手足として選んだ存在のことだ。
望むものを捧げる代わりに、寵愛と大いなる力を得る。
ゴルイドの建国王が、実は使徒だったのではという説が残っているほど、使徒とは規格外な力を有する存在を表していた。
ディスタリア帝国では、使徒など百年に一度現れるかどうかだ。
ましてや、五大神の使徒ともなれば──。
「私に異能をくれた神様は、悪人の魂が好物みたいなんです」
前世での出来事があってから、サヤは善悪の基準がどこか曖昧になってしまっていた。
施設長の言っていた“正しさ”が何なのかも、未だによく分からないでいる。
それでも、法を守り、規則を守ること。
前世から変わらないこれらの決まりだけは、サヤにとって間違いなく“正しい”ことだったのだ。
「法を破った悪人の魂なら、きっと喜んでもらえますね」
男の本能が、警笛を鳴らしている。
化け物だと思った。
少女の見た目をしておきながら、大人のような話し方をする化け物。
けれど、時折チラつく幼さは、心に大きな傷を抱えた年相応の少女のようで──。
男はらしくもなく、自分の過去を思い出してしまっていた。
「こんなところで死ねるかよ……クソがァ!」
あの宿は、地下に人身売買の取引所があった。
関わった人間を全員始末する依頼を受けた男だったが、中の光景を見た瞬間、死んだ姉の姿がフラッシュバックしてしまったのだ。
正気を失い、手当たり次第に人を破裂させた。
その結果がこれだと言うのなら、受け入れなければならないのかもしれない。
それでも、姉との約束を果たすため、男は生き続ける必要があった。
残った指に能力を集中させ、男はサヤに向かって風の弾丸を撃ち込んでいく。
サヤは最低限の動きで弾丸を避けながら、手に持ったナイフをくるりと回転させた。
後退しようとするも、それより早く接近したサヤに、男がバランスを崩している。
ふらつく男の首を、サヤは持っていたナイフで掻き切った。
吹き出す血に、男の視界が歪んでいく。
遠のく意識の中、男は自分を見つめる姉の姿を目にしたような気がした。




