第十四食 ごちそうさま
息をついたアルヴィスは、抱えていたサヤから手を離すと、怪我の有無を確認している。
「お嬢さん、大丈夫かね!?」
状況が把握できていないサヤに、老婆が慌てた様子で声をかけてきた。
「私は大丈夫です。ただ、水晶が……」
「お嬢さんが無事ならええ。どのみち、わしの手にはあまる物だったんじゃ」
申し訳なさそうに眉を下げたサヤが、せめてお金を支払おうとするも、老婆が受け取ることはなかった。
老婆はサヤやアルヴィスに何も聞こうとはせず、ゴルイドを楽しむよう伝えると、笑顔で送り出してくれる。
姿が見えなくなるまで何度も手を振っていたサヤは、ひとまず今夜の寝床を探すため、市街地を目差すことにした。
「サヤ、怪我してるでしょ」
老婆の前では黙っていたアルヴィスだが、何も言わないサヤに痺れを切らしたらしい。
突然の指摘に、サヤの身体がぴくりと震える。
「血のにおいがする」
「大した怪我じゃないので、後で治療用のポーションでも買おうと思ってたんです」
苦笑したサヤが、右手の袖をまくった。
手首の内側に、浅い切り傷が出来ている。
水晶が破裂した際、触れていた手に欠片が掠ったのだろう。
「サヤ、手をかして」
不思議そうにしつつも、サヤはアルヴィスの差し出した手に、自らの手を乗せている。
握った手を持ち上げたアルヴィスが、サヤの手首に唇を当てた。
「……っ」
予想外の行動に、サヤの思考が停止する。
真っ赤な舌が、傷口から滲んだ血を舐め取っていく様は、恐ろしいほどに扇情的で──。
背筋にぞくぞくとした感覚が走り、サヤは反射的に手を引こうとした。
しかし、アルヴィスは抵抗を封じるように、しっかりと手を握っている。
ちゅっと、音を立てて吸われた手首に、サヤの顔が一瞬で朱に染まった。
膝の力が抜け、その場に座り込みそうになるのを必死に堪える。
「あっ、アルヴィス……! 手を離してくださ……っ」
ほんの数秒のようにも、永遠のようにも思える時間。
サヤの手首を離したアルヴィスは、唇に付いた血をぺろりと舐め取った。
「ごちそうさま」
「……血を食べたかったなら、先にそう言ってください……」
よろよろと後退したサヤが、疲れ果てた様子でぼやいている。
何とも言えない顔でアルヴィスを見たサヤは、まだ唇の感触が残る手首へと視線を移した。
「……あれ? 怪我が治ってる」
滑らかな肌には、小さな傷一つ見当たらない。
直接触れて確かめてみるも、傷があった形跡さえ綺麗さっぱり無くなっていた。
「アルヴィスが治してくれたんですか?」
「鬼の体液には、治療促進の効果もあるからね」
アルヴィスの言葉に、サヤは何かを思い出した表情で「そう言えば……」と呟いている。
外傷を治すには、いくつか方法があった。
一番手軽なのは、お店で売られているポーションを買うことだ。
ポーションは怪我の度合いによって段階が分かれており、上級になるほど値段も治癒力も高くなっていく。
前に最上級のポーションを見かけたサヤは、偶然その材料の一部として、鬼の血が使われているのを目にしたのだ。
さっきまでの様子は何処へやら、サヤは尊敬のこもった眼差しでアルヴィスのことを見つめている。
「アルヴィスって、鬼としても凄かったんですね!」
「そうでもないよ。サヤこそ、ディスタリアいちの殺し屋なんでしょ?」
まだ歳若い少女が、帝国一の殺し屋にまで上り詰めた。
しかも、片や人間、片や鬼という違いもある。
アルヴィスからしてみれば、サヤの方がよほど規格外な存在に思えていた。
「私は身体を動かすのが得意なだけで、あとはほとんど異能のおかげみたいなものなんです」
一概に異能と言えども、人によって天と地ほどの差が存在している。
ちょっとした能力が与えられることの多いディスタリア帝国において、サヤの異能は神が手を滑らせたのかと聞きたくなるほどえげつないものだった。
「サヤの異能ってどんな能力なの?」
「そう言えば、話したことなかったですね」
宿泊施設の多い通りは、門付近の通りに比べて人が疎らになっている。
昼間は仕事をしている者も多いため、市街地とはいえ数も少なくなっているのだろう。
口を開きかけたサヤが、突然何かに気づいた様子で足を止めた。
じっと道の先を見ていたかと思えば、サヤはアルヴィスの手を取ると、来た道を駆け戻っていく。
アルヴィスが行動の意図を問いかけるよりも早く、背後で耳をつんざくほどの轟音が響いた。




