第十一食 モヤモヤする
次の日になっても、サヤが部屋から出てくる気配はない。
空腹を感じるアルヴィスだったが、原因が自分にあるため、なかなか声をかけることが出来ずにいた。
食事は昨日したばかりだ。
ルイスの屋敷にいた頃は、だいたい三日に一度のペースでメイドが送られてきていた。
そう考えれば、あと二日は食べなくても耐えられる計算になる。
扉に伸ばしかけていた手を、触れる直前で引く。
リビングに戻ろうと踵を返したアルヴィスの背後で、がちゃりという音が鳴った。
「アルヴィス、お腹空いてますか?」
「……空いてはいるけど、我慢できないほどじゃないよ」
「それなら街に出ましょう。依頼はいくらでもあるはずなので」
部屋から出てきたサヤは、外行きの服を着ている。
昨日のことを引きずるアルヴィスと違い、サヤはいつも通りの態度でアルヴィスに接していた。
拍子抜けするアルヴィスだが、視線が合わないことにサヤの意思を感じ、黙って後ろをついて行っている。
殺し屋への依頼は様々な方法で届くが、プライベートな空間にいる際は、一切の依頼が停止されていた。
殺し屋も仕事である以上、オンオフは必要という訳だ。
依頼はギルドを介するか、直接依頼するかのどちらかしかない。
ディスタリアには裏ギルドがあるため、直接的な依頼はほぼ皆無だった。
残るはギルドを介した依頼だが、殺し屋が仕事を受けられる状態であることを示すには、街を歩くのが手っ取り早い方法となっていた。
「そこのお嬢ちゃん! サービスするから持ってきな!」
サヤとアルヴィスが市場を通りかかった時、果物を売っていた男がサヤに向かってりんごを投げつけてきた。
持ち前の動体視力により易々と受け止めたサヤは、男に笑顔でお礼を言っている。
「なんでいきなり?」
「あの男性は、ギルドの関係者ですね。私の顔を見て投げてきましたから」
家の周りではフードを被っていたサヤだが、街に来てからはあえて外していた。
裏ギルドの関係者であれば、サヤの顔を知っていてもおかしくない。
普段は商人として紛れつつ、依頼に適した殺し屋が通りかかると、ああして果物を投げつけているのだろう。
「暗殺の依頼ですね。ちょうど良いので、このまま受けましょうか」
ナイフでりんごの一部を切り取ったサヤは、中から小さく巻かれた紙を引き抜いている。
防水処理の施された紙は、魔術で入れ込まれた物のようだ。
何が良いのかと不思議がるアルヴィスの視線を感じ、サヤが一瞬だけ目を合わせた。
「依頼によっては転落死や溺死など、死因を偽装するよう指定されていることもあるんです。暗殺系の依頼は殺し方を問われないですし、死体の処理がセットになっていることも多いので都合が良いんですよ」
すぐに逸らされた視線に胸がざわつく。
まだ怒っているのだろうか。
サヤの話を聞きながら、アルヴィスはモヤモヤとした気持ちを抱えていた。
◆ ◆ ◇ ◇
「お腹は膨れましたか?」
「うん」
最上位の殺し屋だけあり、依頼は尽きることがなかった。
ルイスの時では考えられないほど満たされた食欲に、アルヴィスは驚きと充足感を覚えていた。
「良かったです。それならいったん戻りましょうか」
家に帰るためフードを被ったサヤは、「こうしておけば、依頼が止まるんですよ」と話している。
先を歩くサヤの背を見つめ、アルヴィスの胸に再びモヤモヤとした気持ちが湧いてきた。
伸ばした手が触れる直前で迷うも、そのままマントの裾を摘んで引く。
「サヤ」
振り向いたサヤの瞳に、アルヴィスが映った。
いつもとは違うアルヴィスの様子に、サヤはその場で足を止めている。
「……ごめん」
「何の謝罪ですか?」
「サヤが嫌がることをしたから」
だからごめんと呟くアルヴィスは、本心から謝っているように見える。
珍しい姿に瞳を揺らしたサヤが、「もういいんです」と首を振った。
「私もごめんなさい。顔を合わせると、昨日のことを思い出してしまって……」
恥ずかしかったのだと話すサヤに、アルヴィスは伏せていた目を上げた。
「それに、嫌だったわけではないんです」
「……そうなの?」
「いきなり触られて、びっくりはしましたけど……」
頬を染め、ごにょごにょと話すサヤの姿に、アルヴィスの表情が明るくなっていく。
「つまり、先に聞けばいいってこと?」
どうしてそうなったのか。
唖然とするサヤだが、嬉しそうなアルヴィスを前に否定することもできず。
結果的に、許可制で合意する流れになっていた。
「手、触ってもいい?」
「いいですよ」
それくらいなら平気だと差し出したサヤは、確かめるように触れてくるアルヴィスに、「くすぐったいです」と笑みを浮かべている。
「繋いだまま帰りますか?」
なかなか離す気配のないアルヴィスの手を、サヤはぎゅっと握りしめた。
ぱちりと瞬いたアルヴィスが、サヤと手を交互に見ている。
微笑んだサヤが、「行きましょう」と手を引いた。
今度は合ったままの視線に、アルヴィスは胸のモヤモヤがすっかり消えているのを感じた。
「ねえサヤ、耳も触っていい?」
「耳はダメです!」
太陽の光が眩しい。
アルヴィスを映したサヤの瞳は、まるで宝石のように煌めいていた。




