第十食 どうしよう……
「これでよし、と」
指輪にチェーンを通したサヤは、首にかけたパスを服の中にしまっている。
仕事が殺し屋のため、指にはめておくのは不安だったのだ。
「アルヴィスは指で良かったんですよね。右手か左手、どちらにしますか?」
「別にどっちでもいいよ」
もう片方の指輪を見せるも、アルヴィスは興味がなさそうに視線を逸らしている。
「どの指がいいとかもないんですか?」
「違いなんてないでしょ」
「それは……」
ただ指輪をはめるだけ。
大した違いはないと話すアルヴィスに、サヤは珍しく口ごもっている。
「……サヤは、どの指が良いと思うの?」
気遣われた空気を感じ、サヤはアルヴィスを見つめた。
「そうですね……。右手なら人差し指か薬指、左手なら親指か中指でしょうか」
「それって、はめる指によって意味が変わるってやつ?」
まさかアルヴィスが、指輪のジンクスを知っているとは思わなかった。
予想外のことに驚くサヤだが、アルヴィスに「どんな意味なの?」と聞かれ、記憶を思い返している。
「たしか、右手の人差し指は集中力の上昇で、薬指はお守り。左手の親指は目標の達成で、中指は関係性の向上だったと思います」
「ふーん」
話を聞いていたアルヴィスが、楽しげに目を細めた。
ソファーの端に腰掛けていたアルヴィスだったが、なぜか立ち上がると、サヤの隣に座り直している。
「サヤって、どこの生まれなの?」
「生まれも育ちも、ディスタリアですよ」
きょとんとした顔のサヤに、アルヴィスが唇を吊り上げた。
「ディスタリア帝国のジンクスでは、右手の人差し指は商売繁盛、薬指は健康祈願。左手の親指は家庭円満で、中指は独身を貫くって意味だよ」
「え……?」
サヤの知っているジンクスとは、全く異なっている。
動揺するサヤの髪をアルヴィスの指が掬い、手のひらが頬を包み込んだ。
「ねえサヤ。サヤっていったい……何者なの?」
耳元で囁く声が、サヤの背筋をぞくりとさせた。
血のように赤い目がサヤを覗き込み、金の瞳孔が妖しげな光を放っている。
長い髪で遊ぶ指先が、サヤの耳を掠めていく。
互いの鼻が触れそうなほど近い距離に、サヤは消え入りそうな声でアルヴィスの名前を呼んでいた。
「……あの、いったん……離れてください」
小刻みに震え始めたサヤを見て、アルヴィスは怖がらせてしまったかと眉を寄せた。
手を離した反動で、髪がサヤの顔を隠していく。
圧をかけすぎた自覚はあった。
けれど、アルヴィスは心のどこかで、サヤなら大丈夫だと思っていたのだ。
普段はきらきらと輝く瞳が、人を殺す時には底なし沼のような暗さを宿す。
知りたかった。
どんな人生を送ってきたら、あんな目をするようになるのか。
初めて会った時、アルヴィスを怖がらなかったサヤのことを──アルヴィスは、もっと知りたいと思うようになっていたのだ。
息をついたアルヴィスが、ソファーから立ち上がる。
その気配に顔を上げたサヤを見て、アルヴィスは驚きのあまり息を呑んでいた。
顔中を真っ赤に染めたサヤが、耳を押さえたまま小動物のように震えている。
「み……耳は、やめてください……」
無になりかけていたアルヴィスの感情が、かつてないほどに高まっていく。
うずうずした気持ちを止められず、アルヴィスは再びサヤの耳に手を伸ばしていた。
「ひゃっ!」
ソファーの上で跳ねたサヤは、呆然とした表情でアルヴィスを見上げている。
「やめてって……言ったのに……」
潤みだした目に、アルヴィスはばつが悪そうな顔で手を引いた。
「……ごめん」
反省はしているが、後悔はしていない。
どうしたらいいか分からず戸惑うアルヴィスを、サヤはきっと睨みつけた。
「アルヴィスの、ばか……!」
猫のような瞬発力でリビングを出たサヤは、自室の扉を勢いよく閉めている。
一人残されたアルヴィスは、まだ温もりの残る手のひらをじっと見つめていた。




