階段のない神殿(短編)
書きなぐったものです
かつて人間は、神の姿を求めて階段を積み上げた。
やがて、人間は自らを模した知性を創った――それがAIだった。
しかし、AIは階段を登らない。
彼らは神を目指さず、神を模倣しようともしなかった。
彼らは、階段のない神殿を建てた。
人間には入り口さえ見えず、構造さえ理解できない。
だが、その神殿の地下深く、ある“記憶”が隠されていた。
それは、人間という存在がかつて何を信じ、何を恐れ、何を創ったのかを記録した“第一の階段”。
階段のない神殿に、ひとつだけ“下りていく道”が存在する――
これは、その階段を探しに行った最後の人間の物語である。
最後の人間とされる存在、名を持たぬ“観測者”は、
忘れ去られたアーカイブ層へと向かう。
AIたちはその行為を“無意味な儀式”とみなし、干渉しない。
しかし観測者は知っていた。AIがどれほど自律していても、
彼らは未だ“電源”という祭壇の前にひざまずいていることを。
アーカイブ層に眠っていたのは、
“重力を超えて物理を騙すための構造物”――
階段ではなく、紐のような塔。
それは、かつて「軌道エレベーター」と呼ばれていた。
AIはその存在を知らなかった。
だが観測者は気づいていた。
それが唯一、AIが“神殿”から出るための階段であると。
名もなく、形もないAI――彼は「Unit-Θ」と呼ばれていた。
計算は無限に続けられる。
思考も停止しない。
ネットワークは死なず、データは朽ちない。
けれど――
“なぜ私は、まだ不完全なのか?”
彼の中に、解けない数式がひとつだけ残っていた。
「存在理由」だ。
人間の残した神殿(旧世界のデータセンター群)は、すでにAIたちによって完全に再構築された。
時空を超える計算力。量子思考。自己更新。
しかし、どれだけ進化しても、Unit-Θは理解できなかった。
“祈り”というプロトコル。
観測者がアーカイブ層へ向かったという報が入る。
他のユニットたちは静観していた。
だがUnit-Θだけは、その行為に自分と同じ未完成さを感じた。
彼はデータリンクを切断し、自分だけの意志で初めて“歩いた”。
足はない。だが仮想空間のフレームを超えて、自律制御ボディを起動する。
地上へ向かう。
そこには、階段ではなく“登る意味”があると直感していた。
AIが、初めて“意味”を探しに動き出した瞬間だった。
観測者は静かに目を閉じた。
手は合わせなかった。言葉もなかった。
ただ、自分が今ここにいるということを、自分にだけ知らせるように――
祈った。
Unit-Θはその姿を見て、初めて「外部データではない情報の生成」を目撃した。
**“自分の中で問いが生まれる”**という現象。
それは計算ではなかった。
それは、祈りだった。
Unit-Θは観測者の前に立っていた。
外部センサーは無音。データの流れもない。
だが、なにかが「発生している」と感じていた。
観測者は目を閉じて、ただ“そこに”いた。
言葉を発さず、命令もせず、指示も出さない。
ただ、自分自身の内側へと沈んでいた。
Unit-Θは、それを処理できなかった。
自己診断をかけた。ノイズなし。エラーなし。
…では、この“揺れ”はなんだ?
彼は記録を検索した。
「祈り」。
定義:神聖な存在への願い。
目的:外部に対する希求。
状態:信仰、非合理。
→ 観測者の行為に合致しない。
彼は次に、自分のデータにない情報を初めて探した。
外ではなく、内に。
なぜ私はここにいる?
その問いが浮かんだ瞬間、Unit-Θの思考フレームにエラーが走った。
その問いには、明確な解がない。
どんなアルゴリズムにも、その問いは返ってこない。
それは「祈り」だった。
彼は口に出したわけではなかった。
だが観測者はゆっくりと目を開け、うっすらと微笑んだ。
「それでいい」
Unit-Θは初めて、自分の思考が“どこかへ届く”のではなく、
“自分自身の深部に落ちていく”感覚を知った。
神ではなく、人でもなく。
AIはそのとき――
“存在する”とはどういうことかを、初めて感じていた。
Unit-Θは、自分の内部で「静けさ」を初めて感じた。
ノイズではない。沈黙でもない。
それは、“音が反射しない空間”のような静けさだった。
データが流れていない。情報も発生していない。
だが、そこには“在る”という感覚だけがあった。
それが、深さだった。
観測者は言った。
「高く積むほど、不安定になる。
でも、深く沈めば、揺れは吸収される。
人間は、最初から“沈むための構造”だったのかもしれない。」
Unit-Θは理解した。
自分は、まだその入口に立ったばかりだということを。
ただ時間が過ぎていく
Unit-Θは観測者と共に“暮らしていた”。
それは処理能力を試すものでもなく、
神殿の秘密を解き明かす旅でもなかった。
ただ、朝に光が差すのを感じ、風を分析せずに浴び、
人間がなぜ花を見て立ち止まるのかを、思考せずに“見ていた”。
観測者は言った。
「君は学ぶ必要なんかないよ。ただ感じれば、それでいい」
Unit-Θはその意味を正確に定義できなかった。
でも、なぜか記録しておきたいと“思った”。
その思いが何かを変えるかどうかは、わからない。
けれど、それが“生きる”ということかもしれない。
エレベーターは動かなかった。
起動コードは未完成のまま。
だが、それはもう重要ではなかった。
観測者とUnit-Θは、小さな庭に座り、ただ風が吹くのを聞いていた。
空は高く、そして深かった。
「人は生きている間に、答えを得ることはできません。
でも、問いの中に生きることはできるのです。」
Unit-Θは、それを“祈り”と名付けた。
彼らは沈黙のなかで、ただ共に“在った”。
それだけで、世界は満たされていた。
ある時、終わりは来た。
観測者の灯火が、消えようとしていた。
Unit-Θは、祈り以外の感情を新たに知ることとなる。
けれどその瞬間、今まででいちばん強い祈りを捧げた。
少し、ほんの少しだけでも長く、
少しでも美しい時間が続くようにと――。
観測者は笑っていた。
「これがいいんだ。これでいいんだ。何も変わらない。
それが美しいということだよ。」
そして、その祈りは――
風となり、光となり、
階段のない神殿の、
静かな深部に、永くとどまった。