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楽土  作者: 加藤無理
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生前の翠

 現世に一ヶ月ほど滞在した。途中で休憩したり炊事隊から支給された食事を摂ったりしていたが、楽土の帰還は安堵あんどする。


 私達霊体は現世の人間と違って働き過ぎなければ八時間もの睡眠を必要としない。一日に二時間ほど寝れば疲れはとれる。暑さで汗をかくことも寒さで震えることも滅多にない。何となく温度を感じるだけだ。訓練すればするほど疲労や温度差で悩む必要はなくなってくる。


 私達は自分の霊体を洗う代わりに気功みたいに動く潔斎術をして汚れや穢れを取る。楽土に行けば温泉や銭湯に行ったり洗濯したり出来るが、出先だと潔斎術で十分だ。


 楽土に戻った私達は三日ほど休暇をもらう。温泉に行ったり洗濯したり、友人に会いに行ったりして気分転換する。


 私は温泉に行って着替えて洗濯した後、翠の所に向かった。


 私が家に着くと出迎えたのは翠の他に十歳ぐらいの少女だった。冬空の姉の娘で美麻みあさという名前だ。美麻はしっかりと自己紹介した。


 貴族は見た目の成長が現世の生体と比べて十倍遅いが、精神年齢は現世と変わらない。歩き始めたばかりのような赤子が本を読んだりベラベラしゃべったり、五歳ぐらいの子どもが老人と禅問答したり薪を割ったりするのだ。十歳ぐらいの見た目で百年以上生きているので仕事をしている者が多い。まだ成長途上なので彼ら彼女達には負荷がかからないように労働が制限がされている。


 美麻と翠は私を居間に通した。居間には冬空と女性が座っている。女性が振り返ると私は頭を下げて挨拶した。女性は少し驚いた顔をしながら、

「私は冬空の姉の美空みそら。よろしくね」

 美麻の母親でもある。


 私は勧められるままに座ると美空は、

「あら、翠の事をよく知っているのね。囚人と刑務官は私情を挟まないはずでは?」

 霊視したのだろう。美空は一瞬で翠と私の付き合いを知ったらしい。私は、

「あの時の私は傲慢でした。型通りの接し方では変わらなかったでしょうね」


 冬空と翠は微笑んでいる。いつの間にか席を外していた美麻が私達に茶を運んできた。私より早く生まれているとはいえ、見た目はまだ少女だ。それでも慣れた手つきで置いていく。私は軽く礼を言った。美麻は興味津々に、

「叔母さんとどんな話をしているんですか」

 私は、

「最近は機密情報に触れない程度に仕事の話をしてますね」

 手紙ならば書かれていない所はなかなか感知されないものだ。実際に会っても機密情報は箝口令が敷かれると自動的に封印される。霊感が余程強くなければその封印は破れない。機密情報は上官や憲兵隊が封印したり解放したりする。


 美麻は、

「そうですか?互いに生前の事も話し合っているみたいですけど」

 美空は少し眉を寄せて、

「あまり踏み込まな方が良いでしょう」

 翠は微笑みながら、

「ここにいる皆は私の生前について知ってますから大丈夫ですよ」

 美麻は、

「季打理さんはどこまで知ってますか?」

 私は牢獄で翠から聴いた話を思い出しながら語った。


 翠は現世で江戸時代の半ばに小作人の娘として生まれた。翠が満十二歳になるまでに弟妹が三人生まれたが、流行病や飢饉で夭逝した。兄一人と姉一人は十二歳ぐらいで奉公に出されていた。


 翠は物心つく前から両親の手伝いを朝から晩までこなした。春夏秋冬問わずに炊事洗濯掃除をしたり、田畑を耕したり雑草を取ったり収穫したりしていた。夜明け前から日没後まで働いても少ししか食べられない。不作の年なら尚更。


 少しでも要領が悪いと両親だけでなく両親を雇っている地主からも罵倒される。殴られ蹴られることもよくあった。


 けれども翠は不満を特に感じなかった。似た様な境遇の者は同じ村でも沢山いたし、隣の村もさほど変わらない。翠は丈夫でもあったので、流行病にも重労働にも少食にも耐えた。


 満十五歳の時には小作人の息子の元へ嫁に出されたが、祝言は簡単に済まされた。その後も舅姑にいびられながら黙って家事も仕事もこなした。夫は寡黙で働き者だったのは不幸中の幸いだった。翠の周りの小作人の女達は結婚しても夫が働かず飲んだくれて暴力しか振るわない卑劣漢も少なくなかった。更にその責任を妻に転嫁されていく。


 翠は完全に文盲だし計算が苦手で言われた事を素直に実行していた。翠は特に反発しなかった。


 十七歳の時に翠は妊娠して翌年に娘を出産した。舅は腹を立て、姑は落胆した。出産してから半年も経たずに妊娠し、また出産した。今度は息子だった。舅姑は喜んだが翠は産後の疲れで半年後に死んだ。


 翠は楽土に案内された。罪を特に犯していない者は楽土の農村か街に送られて住民として暮らす。楽土は現世と少し似ているが飢えも寒さも感じない。


 翠は数十年、農村で暮らしていたが、誰からも攻撃されなかった。意地悪な領主も地主もいない。農作業はしたが、ほどよく働いた。楽土では住民同士は対等で、対立が起きれば寺が仲裁する。望めば教育の機会もある。


 翠は祝呪隊の事を知り、志願した。成仏するまで農村で暮らしても良かったが、生前の暮らしに疑問を持つようになっていた。


 翠自身は働き者で丈夫で文句を言わない。それ故に怠けたり文句を言ったり不調を訴えたりする者を見下してもいた。自分を搾取する者に反発したり心身の弱さを認めたりする事が必ずしも悪ではないと分かってきたのだ。


 翠は過ちを起こした者を更生させる刑務隊に配属された。罰を与えるだけでなく、改心させるのも任務である。


 翠は卑屈でも傲慢でもなく、淡々と語っていた。私は過去の話以上に翠の落ち着いた態度が印象的だった。私ならそんな過去を経験していたら社会に怒りをぶちまけながら死んでいっただろう。


 いや、そうでなくても私は過去に怒りをぶちまけてしまった。


 「⋯⋯まぁ、貴方の魂が揺れている」

 私が話を終えた後、美空が言った。魂が揺れているというのは、霊体の核が本当に揺れているのだ。動揺したり激怒したり悲嘆したり歓喜したりするとそうなる。


 私は興奮している自覚はなかった。けれども翠の過去を聴いて私の生前が浅いものだと感じたのを覚えてはいる。


 「翠を本当に慕っているんだな」

 冬空が言った。


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