冬空
祝呪隊に入隊してから五年が過ぎた。仲間達の支えもあって私の成績は標準的になった。来月には土木隊に配属される。土木隊というのは楽土と現世への道を造ったり、悪霊や祟り神に結界を張ったり、生体と霊体を遮断する膜や空間を広げる部隊だ。
配属前に私は始めて休暇を取った。恩人の翠が家に招待してくれたのだ。
翠と私は手紙で連絡を取っていた。念じると手紙は相手に届くのだ。翠は牢獄で腐っていた私を叱咤激励してくれたし、今も返事を書いてくれる。何度か休暇に家に来ないかと翠から誘われたが、私は丁重に断っていた。
翠には夫がいる。楽土でも結婚の概念はある。貴族と婚姻関係になれば子どもも授かるし、子ども目当てでなくても親交を深める為に夫婦になる者も少なくない。男女以外にも同性で結婚する者もちらほらいる。
翠の夫である冬空は貴族だった。楽土を創設した七人の巫女の子孫であり、彼の妹は二、三十年前から楽土を支える巫女として舞で祈っている。
単純に考えれば冬空は非常に血筋が良い。前科の有る私は彼と会いたくなかったし、彼もそのつもりだろう。しかし翠は味方が少しでもいた方が良いと勧める。
私は不安を覚えながらも久々に翠に会える嬉しさも感じていた。空を見上げれば相変わらずの虹色。数日に一度、上品に雨が降り、森や作物を潤す。現世と違って暴力的な嵐も台風もない。暖かくも寒くもない常春の空気。
私は時々景色を眺めながら翠の家に向かった。黒黒とした森と山が遠くから見え、田畑や集落が交互に位置している。橋を渡って川を見下ろすと清流が流れ、魚が元気に踊っている。時折、鳥が飛びながら鳴いて去っていく。
ピシッと肌の毛が一瞬逆だった。恐らく目的地に着いたのだ。小綺麗な民家が佇んでいる。壁も屋根も手入れが行き届いているが、貴族の家にしては少し小さいように見えた。
私が戸を叩こうか迷っていると、戸が開いた。翠だ。私は、
「御無沙汰しております」
と、挨拶をすると翠は笑顔で私を中へ入れた。
右奥の居間に案内された。翠は、
「こちらが季打理さん」
と、窓際に座っていた男性に私を紹介した。彼は一瞬驚いて目を大きくしたが微笑んだ。翠は私に振り向き、
「あちらが私の夫の冬空」
私はゆっくりと頭を下げた。翠は冬空の正面の席に座らせると、自分は冬空の左側に座った。
本当は手土産を持ってくれば良かったが、私はなかなか基地の外に出なかったので気の利いた物を買う余裕がなかった。家に到着する前に店に立ち寄って何か買うこともできたが、何を買えば良いのか分からなかった。楽土でも成仏する間に生前してきた事をする者が沢山いる。つまりこちらなりに経済活動は有る。
私が、
「何がお好みか分からなかったので⋯⋯」
「気にしなくて良い」
言い終える前に冬空が遮った。翠も冬空も笑みを崩さない。私は霊視に自信ないけれど、愛想笑いではないようだ。冬空は首を少し傾げながら、
「てっきり貴族なんてクソ食らえだと罵っているかと思った」
翠は冬空に振り向き、
「季打理さんはそんな単純な人では無いよ」
翠はどこまで冬空に私について語り、冬空はどこまで霊視しているのだろうか。貴族として冬空は霊力も有るし霊視も鋭いはずだ。
「そんなに警戒しなくて良いだろう」
冬空が言うと両掌を上にした。すると目の前に切られた梨が皿の上に乗って出てきた。私だけでなく冬空と翠の前にも同じものがある。翠が、
「冬空が貴方が来るのを楽しみにしながら用意してたの。これだけじゃないよ」
「ありがとうございます」
私は礼を言うと梨を一口食べた。甘くて瑞々しくて美味い。
梨の他に豆腐や里芋の煮物や野菜炒めが出てきたが、どれも美味かった。肉類は無かったが、それ以上に現世にいた生前では味わえなかった絶妙な風味があった。楽草を調味料代わりにほどよく和えている。
私達は食事しながら雑談をした。冬空も祝呪隊に入隊しており、戦闘隊に配属されている。生前に悪行を繰り返してきた者や、死後に悪霊になって他者を傷付ける者を捕らえて楽土の刑務所に連行する部隊だ。文字通り、戦闘が多い。
冬空は、
「土木隊ならば戦闘隊と一緒に動くこともあるかもな」
翠の顔が曇り、
「教導隊から出たばかりの兵士にそんな無茶な事をさせるのかしら」
冬空は笑いながら、
「季打理は訓練受けてるはずだし、俺達も仲間を危険に晒さないようにするさ」
翠は苦笑いしながら、
「そうね」
冬空は笑顔を絶やさないし、翠も楽しそうにしている。私も居心地が良い。
冬空は、
「季打理は酒を飲まないんだっけ」
「はい。断酒を決めてます」
私が答えると翠はやや呆れ気味に、
「本当に酒好きね、冬空」
冬空はつまらなそうに、
「茶ばかりじゃあ飽きるだろう」
私は、
「冬空さんだけでもお酒を飲んではどうでしょう」
翠も酒が苦手なのを私は知っている。翠は苦笑いしながら、
「駄目駄目。酒を飲まない日が有っても良いの」
結局、冬空は酒を飲まなかった。日没後、私は料理の礼を言うと、家を後にした。