祝呪隊 教導隊
言い忘れて悪かったが、私が現在、所属している組織の名前は祝呪隊。現世で例えるなら軍隊に似ている。けれども必ずしも悪霊と戦うとは限らない。むしろ亡くなったばかりの者達を早く見つけて楽土に案内する方が主な任務だ。
祝呪隊には十数もの部隊がある。私は初年兵として教導隊に配属され、教育や訓練を受けている。
現世であればスネに傷が有るような者は入隊できないが、楽土ではむしろ罪滅ぼしの為に強制的に兵役に就く。一度は死んだので寿命は関係ない。恐らく百年は祝呪隊で私は勤務するだろう。
出所した翌日から私は同期達と一緒に講義を受けたり訓練をしたりする。講義内容は現世で現在起きている事、楽土の仕組み、規律の内容や意味、現世で迷っている死霊達の導き方、自然科学、歴史。現世の変化は速く、楽土の摂理は独特で、歴史は私が信じてきた歴史観とはまるで違う。
訓練は道具や武器の使い方を教わる。現世で生体に刺激をいかに与えずに死霊を探して楽土へ連れて行く方法を私達はしっかり聴く。私達霊体を感じる生体は時々いるので、その感覚を遮る器具や、彷徨う死霊を探す方法も必要だ。たまに悪霊に襲われる時が有るので、逃げながら上官達に報せる技も要求される。
私達は死者だけれども動くと空腹を覚える。朝と晩の一日に二度、食堂棟に集まって食事を摂る。私は牢獄にいた時は食事らしい食事はしてこなかったけれど、飢えはしなかった。今では有り難く炊事隊の作った料理を食べている。現世の植物に似た野菜や果物で作られているが、獣肉や魚肉は無い。死んでも尚、動物や魚介類を食用にするなんて生き物が浮かばれないからだ。植物も生き物だけれども、楽土の植物の種子は特殊な霊体から作られている。
他に現世で違う点は音楽だ。音楽が実際に霊体を救うのだ。演奏者が誠意を込めて演奏すれば、荒ぶった魂が鎮まり、傷付いた霊体も治癒していく。喧嘩の仲裁にもなる。
訓練の半分は演奏の練習だ。歌を歌い楽器を奏でる。私は生前、音楽を見下していたが、楽土に来て以来、その見方は変わった。牢獄に入ったばかりの荒れた私に翠は恋歌を歌った。歌声にぞくぞくしたのは皮肉にも死後のことだ。それをきっかけに私は音楽の重要性を知った。
私は頑張っているつもりだが、成績はあまり良くなかった。分隊の仲間達は慰めてくれるが、同期達の中には嘲笑する者が多くいた。
私は同期達と必要最低限の交流しかしなかった。挨拶はするし報連相は真面目にやっているつもりだ。しかし雑談には入れなかったし、入ろうともしなかった。
皆、私が牢獄に入っていた事を感じとっていた。霊視だ。霊体が相手を観ると相手の強さや性格や素行や経歴が瞬時に分かる。感覚が鋭ければ鋭いほど相手の情報を多く深く知ることができる。
霊視だけでなく霊力も強みになる。霊力というのは霊の力。現世で言えば精神力や胆力に近い。それだけではなく、霊力が高ければ霊体が丈夫になる。同じ体型の霊体が同じ転び方をしても霊力が強い方が怪我しにくい。霊視と霊力には性差よりも個人差が大きい。
分隊長の渦葉をはじめ、依子も真波も私の鍛錬に付き合ってくれた。教導隊が課す講義と訓練で疲労を感じるが、更に鍛錬する。
謙虚な者は成績が良くても更に自習する。私は焦りを感じるが渦葉に、
「他人と比べるより過去の自分と比べなさい」
と、諭される。渦葉も依子も真波も自分達の友人を私に紹介して鍛錬に付き合わせる。
教導隊の兵士達は六日に一度、基地の外に出られる。そこで楽土で知り合った友と団欒したり独りで息抜きしたりする。私は楽土に来た途端、牢獄に入っていたので、友はいない。休日も鍛錬する。
和歌を詠んだり太鼓を叩いたり笛を吹いたり琵琶を弾いたり様々な事を試みた。しかし、私にとって一番気楽な演奏はムックリだった。
ムックリ。口琴。アイヌの伝統的な楽器の一つ。細い竹の板を口に付けて板に着いている紐を引っ張ると独特な音が出る。何故それを私が持っているかと言えば、生前に近所の友人から貰って、死ぬ時もそれを持っていたからだ。牢獄で私の担当官だった翠も教官達も没収しなかった。