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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

影の子

作者: 大石次郎

今、思えば運が良かった。私は当時の仕事の都合で秋の終わりの少し肌寒い季節にとある街のコーポに引っ越すことになった。


比較的新しい物件だったが、駅まで遠い辺鄙な場所で空き部屋も多かったから融通が効き、契約してから少し間が空いた形での入居だった。


仕事は忙しく、安いコーポに越すくらいだから切迫もしていた。

そう多くない荷物の多くを引っ越し会社の段ボールに詰めたまま私の新生活は始まっていた。しかし、


ゴッ、ゴッ、ゴッ・・・


夜中、隣の部屋から何かを何度も執拗に、殴り付けるくぐもった物音が聴こえてくることがあった。


契約した時点では隣は空き部屋であったはずだが、何しろ間の空いた引っ越しだった。その間に誰か入ったのだろう。


何か、趣味かフリーランスで工作の類いをしているのか? 格闘技の鍛練か? 単にストレス発散にサンドバックのような物を叩いているだけか? サンドバックにしては音が籠ってる気もしたが、そもそも格闘技等よく知らないので判断つきかねた。


いずれにしても迷惑だ。

だが、事を荒立てたくはなかったし、その頃の私は疲れていて、ただ音が収まるまでやり過ごすだけだった。



暫くして夕食を食べ損なった上に遅くなった日に、コンビニで中食を買ってそれを家で飲み食いして片付けるのを億劫に感じた私は、入ったこともない駅近くの食堂兼居酒屋のような店に入ってみた。


それなりに混んでいて煙草の換気が甘く、地元民で固まった客層で、いかにも得意ではないタイプの店だったがどうしようもない。

私は適当な酒とツマミと腹に溜まりそうな若布うどんを頼んでさっさと済ませようとせっせと、口に運んでいた。


と、カウンターの隣の、少々口臭の気になる土木作業員風の男が酔って話し掛けてきた。参った。と思ったが、ここはマックやレストランじゃない。そんなこともある。


「あんたぁ、よぉ。死相が出掛かってんなぁ?」


「は? シソウ?」


死相、という言葉だと理解するのに少し時間が掛かった。


「俺ぁ勘がいいんだぁ。この町にもよぉ。良くない場所がある。そのどっかにぃ、引っ掛かったなぁ? へっへっ」


チューハイを飲む男。


「場所、ですか? 家と駅と、あとは誰でも出入りしている所にしか行ってませんよ?」


酔ってはいるが、何かのカルトか詐欺の可能性もある。私は警戒した。若布うどんが熱過ぎて早食いに向かないことがうらめしかった。


「なら家かぁ。この辺だと〇〇コーポだなぁ」


私の警戒は一気に最大になった。部屋の有るコーポだ。

だが酔った男はお構い無しだ。口臭をチューハイで相殺しながら、話し続ける。


「10年くらい前だったか? 母子家庭の母親が子供を虐待死させた事件がこの町であってよぉ。住所は出てないが、それがそのコーポって噂だ。何かぁ」


男はドロンとした酔った目で私を見てきた。


「妙な事があったなら、気を付けろよぉ? へっへっ」


「そんなコーポ知りませんよ」


私はトボけ、若布うどんを半分以上残して支払いを済ませ店を出た。2度と入るまい。



そのまま真っ暗な家に帰った。静かだ。

私は殆んど物が入ってない小型の冷蔵庫から発泡酒を取り出して飲み、不快極まりなかったが、ネットで件の事件を調べてみた。

虐待死事件は毎年、年に何度もある。まして10年程前といったら私は中高生だ。ニュース等、受験に関係ありそうな物か、余程派手な物か、やっていた部活のプロのスポーツニュース以外はまともに見てなかった。


確かに、11年前この町で幼児虐待死事件が起きていた。ニュースでは単に集合住宅とある。掲示板の類い等でさらに調べると、面白半分の噂話の羅列の中にコーポの画像が、特定っ! といった見出で建物がいくつも貼られていた。だが肝心の建物はまちまちだった。デタラメだ。


またどうも事件後に件の集合住宅は建て替えられたらしい。加害の母親が裁かれずに医療施設に入ったのと、大衆がより刺激的な新しい事件に目移りしたこともあって、ある時期から書き込みは激減し、うやむやになっていた。


このコーポは確か築6年だった。


「馬鹿馬鹿しい」


私は酒を飲み、風呂に入り、また酒を飲み、電気を消して布団に入った。明日も早い。ベランダ越しの近くの街灯の灯りが薄い安物のカーテンを抜けて明るく、目障りだった。


それでも小一時間は浅く眠ったろうか?


ゴッ、ゴッ、ゴッ・・


音だ。クソッ、


ゴッ、ゴッ、ゴッ・・


「うるさい」


小声で毒づく。


ゴッ、ゴッ、ゴッ・・


「うるさいっ」


小声のまま語気を強める。


ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ!


限界だった。


「うるさぃんだよぉおおーーーっっっ!!!!! 何時だと思ってるんだよぉっっ!!! 近所迷惑でしょうがぁあっ??!!!」


布団をはね除け、絶叫した。


音が、止んだ。


呼吸が荒い。寒気がして総毛立っていた。


暫く様子を見たが、何も起こらない。私は半ば意地で布団に入った。


1分、2分、5分・・冷や汗と呼吸が落ち着く頃には冷静になっていた。


明日、不動産会社に電話しよう。やはり何か趣味か副業かフリーランスで工作作業をしているんだろう。

爆音と言う程でもなかった。個人でも防音対策できる範囲だ。そうだ、それがいい。


沈黙の中、私は再び眠りに落ちようとしていた。しかし、


「っ?」


通電したような感覚。手足がひきつって動かない。全身の本能が、隣の部屋の注視を促していた。

目と、僅かばかりは動いた首を向けて隣の部屋の方の壁を見た。


ト、ト、ト、


隣の部屋で小さな足音がする。音でわかる。隣の部屋のベランダの窓の鍵が開けられ、窓が開けられ、何かギシギシと、仕切りか? 隣のベランダの仕切りに、何かがよじ登ってる??


ガッッ


犬くらいの物が私の部屋のベランダの仕切りに飛び付いてきた。カーテン越しに仕切りの影が揺れ、小さな塊がその上にしがみ付いている。


「嘘だろっ?」


口は動いた。不審者の類いじゃないか? だが、小さ過ぎないか? 何にしても尋常じゃない!


枕元にスマホを置いていた。手に取ろうとするが、身体は動かないっ。


小さな塊は覚束ない様子で仕切りから降り、私の部屋の窓の向こうに立った。子供の、影だ。


「いっっ、イタズラか?! いい加減にしてくれっ!」


ゴッ


「っ?」


子供の影は見えない何かに殴打されたようだった。


ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、


見えない何かに殴られ続ける子供の影、液体の影も散る。


「っっ・・やめろ! やめろってっ」


ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、


止まらない。


「クソっ、どうしろって、んっ?」


不意に、殴られながら、子供の影が窓を叩いてきた。子供の力で、弱々しく。殴られながら、


「・・スケ、・・タスケ、・・タスケテ」


声までする。


ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、


見えざる殴打が止まらない。


「っっっ・・勘弁してくれっっ、無理だ! もう無理だってっ」


「タスケテ、タスケテ、アキテ、キテ、ダレカ」


ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、


止まらない。


「勘弁してくれよっ、勘弁してやってくれっっ、何やってんだよっっ」


ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、ゴッ、


「タスケテ、タスケテ、オカアサンゴメンナサイ」


「もうやめてくれやめてくれやめてくれっっっ」


殴打と窓を叩く弱々しい影の手は私を見逃さず、それは夜明けまでつづき、白染んだ朝の中で街灯が消えると唐突に搔き消えていった。


身体が、動く。


喉は枯れ、脱水と低血糖と胃痛で朦朧としながら、湿り切った布団から出ると、私は迷わずカーテンを開けた。


あれだけ影の液体が散り、叩かれ続けたのに、窓は綺麗な物だった。


私は鍵を外し窓を開けた。いかなる罠も問題ではない。何も痕の見えない明け方の冷たいベランダに出る。


「いっ?」


何か、尖って硬い物を踏んだ。


拾ってみるとそれは干からびた、小さな歯だった。乳歯、だろう。私の足の血が付いていた。

コーポは建て替えられている。手の込んだイタズラの類いの可能性もある。だが、私は、



・・・隣はやはり空き室だった。歯は、同じ町にあった寺で供養してもらった。

コーポは引き払い、上手くいってなかった仕事も辞め、田舎に帰って親戚の紹介で酒屋で働くことになった。


酒屋であって酒蔵ではないが、それでも年に1度は地元の神社に酒等を奉納する。私は個人で甘酒と雛霰(ひなあられ)を供え、あの影の子供が安まることを願った。


噂ではあのコーポも結局取り壊され母親は施設で憤死したというが、定かではない。

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