第72話 だからね、いっしょに行ってくれない?
十二月二十五日――。
朝起きると父さんは出かけたあとだった。
――朝ごはんを買いに行ってくるよ。
――危ないからリビングやキッチンには入らないようにね。
スマホにはそんなメッセージが届いていた。
リビングを、続いてキッチンをのぞいてみるとひどいありさまだった。壁には生クリームやらソースやらがべったりとついているし、床には割れた皿やら踏みつけられてぐちゃぐちゃになった料理やらが落ちている。
クリスマスツリーは横倒しになっていて、ふさふさのモールも丸いオーナメントもゴミ袋に詰め込まれていた。
昨日、クリスマスパーティの準備をしている最中に大地のおばさんから電話がかかってきて、話の途中で切れてしまった。ぶつりと。突然に。
身を隠さないといけない状況なら着信音が鳴ると危ないかもしれないから。スマホの電池がなくなってしまったら困るだろうから。いつもの母さんならそう言って自分から電話をかけたりはしない。スマホをにぎりしめて我慢する。
だけど、昨日はダメだった。
――だったら、目の前で自分の子供が自分のせいで死ぬところを見てみなさいよ!
そんな風に言われた直後に電話が切れて、つながらなくなってしまった。
――ごめん、柚樹! 今のは……!
今のは忘れて。
たぶん、おばさんはそう続けようとしてたんだと思うけど言い終わる前に何かが起こって電話が切れてしまった。攻撃を受けて建物が崩れたとか、そういう何か。
そんな風に電話が切れてしまったらもうダメだった。
何度も、何十分も、何時間も、母さんはおばさんに電話をかけ続けた。十時半過ぎに電話が切れて、昼が過ぎて、おやつの時間が近付いても電話をかけるのをやめない。父さんが止めても電話をかけるのをやめない。
何度も、何十分も、何時間も、かけ続けて――。
――やめるんだ、柚樹!
ついに父さんは母さんの手からスマホを奪い取った。驚いた表情で父さんを見上げた母さんは今にも泣き出しそうに顔をぐにゃりと歪ませ――。
――……こんなもの、用意したから。
そうつぶやいたかと思うとリビングに運んであった料理を、キッチンに置いてあった作りかけの料理を、次々と床に叩き付け始めた。
――やっぱりこんなことするべきじゃなかった!
――日本が……そらちゃんが大変なときにのんきにこんなことしてたから!
家から出られなくなって二年。ぼんやりとしていることや泣いていることはあっても泣き叫んで、暴れるようなことはなかった。それなのに……。
――クリスマスの料理なんて作って……飾りつけなんかして……!
――こんなことしてたから大地くんは……そらちゃんは……!
部屋に戻っているようにと父さんに言われて僕は自分のベッドにもぐりこんだ。
しばらくして家のチャイムが鳴った。近所の人か、あるいは警察か。うるさいと文句を言いに来たのかもしれないし、心配してようすを見に来たのかもしれない。父さんの声と誰かたちの騒々しい声が聞こえた。
そのあいだにも母さんはますます激しく泣き叫んで、暴れて、僕はベッドの中で耳をふさいで、目をきつくつむって――そうしているうちにいつの間にか寝てしまっていたらしい。
気が付いたら朝になっていた。
「……大地が、死んだ」
十二月二十三日に避難していたスーパーのタナカで。
僕と父さんがのんきにクリスマスマーケットやスーパーでクリスマスツリーやオーナメント、キッシュやケーキの材料を買っているあいだに。
口に出してみても全然、実感がわかない。悲しいなんて感情もわいてこない。
それよりも今はぐちゃぐちゃな家の中の状態にゆううつな気持ちになっていた。まだ寝室で寝ているらしい母さんが起きてきたとき、どんなようすなのかの方が不安だった。
と――。
「……佑樹」
ドアが開く音にあわてて振り返るとそこには昨日と同じ服を着た母さんがぼんやりとした表情で、スマホをにぎりしめて立っていた。
「お、おはよう、母さん。今、父さんが……」
「ねえ、佑樹。そらちゃんに電話がつながらないの」
今、父さんが朝ごはんを買いに行ってるよ。そう言おうとしてた僕をさえぎって母さんは言った。
「だからね、いっしょに行ってくれない? 屋上に」
「屋上に?」
目を丸くしたのはこの二年間、母さんがこの家から出ることも出ようとすることもなかったからだ。
屋上にあがったところでおばさんに電話がつながるとは思えない。この家はどこにいても電波がつながりにくいなんてことはないから。屋上にあがってもやっぱりつながらないと知って、母さんはまた泣き叫んで暴れるかもしれない。
それでも――。
「うん、いいよ。行こう、屋上に」
母さんが二年振りに家の外に出ようとしている。それがうれしくて、僕は母さんの手を引いて玄関へ、屋上へと向かったのだった。




