1-5 夢
医者の話によると、オレは今まで、仮死状態だったそうだ。脳の働きがかなり低下していて、心臓が止まっていたらしい。
朝オレがなかなか起きないからと母が部屋まで行って、見つけたのだそうだ。父がすぐ救急車を呼び、それで病院までやって来て。心臓マッサージや電気ショックなどを行っても状態は改善されず、とりあえずの措置として、酸素吸入と心拍制御のための機械につながれていた。
「で、あたしが来たってわけ」
「どこに繋がったんだそれ?」
優稀に律儀にツッコんでおいて。「何て言われて来た?」と気を取り直して訊く。
「えっと? 『修一郎くんが救急車で病院に運ばれた』って。一時間目が始まる前、母さんが」
「……それだけ?」
「『どゆこと』って訊いても『詳しくは知らない』って。だから、そっちの母さんに訊いてわざわざ来たんだよう」ちなみに朝は、朝練があったからそんなこと知らなかったよう、と優は言った。「ちなみに担任は、病院に行ったってだけ。そんなに噂にはなってなかった」
それはまあ、そうだろう。いくらフリー素材として名を馳せていても、そこにいるからからかうだけで、いなければからかうことはしない。
「で? 学校明日から行くの」
彼女は展開早くそう尋ねる。「いや、そればっかりは医者の判断によると思うけど……」
「皆、『しゅーちゃん大丈夫なの?』ってあたしに訊くんだよ、もう、面倒ったらないんだけど」
彼女、憩良優稀は、オレの家の裏に住んでいて、年齢が同じということで昔から交流があった、いわゆる幼馴染だ。幼稚園、小学校、中学校、高校とずっと同じで、周りからはなんとなく、オレのことは優に、優のことはオレに訊いとけ、と思われている。
「……あのさ」
「ん」
「オレが、死ぬかも知れないとか、思った?」
オレは彼女を見据え。割と真剣に、そう尋ねた。
優はオレを見返すと、んー、と天井を見上げて、
「その時はその時。大丈夫、ちゃんと泣いてやるから」
「──ありがとう」オレは感謝をしておき、「ちょっと、独りにしてくれ──」と部屋から出てもらった。
「…………」独りだけの病室で、オレは、あの姉妹のことを考える。「結局あれは夢だったのかな……」
現状、あの世界の出来事が現実に起きたことだという証拠は何一つない。備えつけのデジタル時計を見る限り、流れた時間は同じであるようだが、それでは弱い。弱過ぎる。
心臓が止まっていたという話から、オレの頭に、臨死体験という四文字が浮かんだ。しかしそうではないとすぐに首を振る。いわゆる臨死体験では、眩しい光とかトンネルとか三途の川とかお花畑とかとか、そういういかにもな情景が見えるものだろう。だがオレが見たのは──ひとつの世界であり。ひとつの国であり。そこの二人の王女であり。
あのリアリティが、いつまでも頭に残る。
夢は見てもすぐに忘れる。それは夢が、脳内での記憶整理の過程で生まれた意味のない映像に過ぎないからだ。そういった無駄なものは、忘れるように脳はできている。
それでも、あの二人との会話は、二人と過ごした時間は、よく憶えていて。鮮明にとはいかないが、むしろ本当に経験したことのように、思い返すことができる。
もう一度でも、あの世界に行けたら、あれが現実だったということになるだろうか──と考え、オレはやはり首を振る。こんなにずっと考えていたら、そりゃあ同じ夢を見ることになるだろう。
「────?」
いや。
そもそも、オレは心臓が動いていない状態で見つかったのだ。心臓が止まって死ぬのは、血液が身体を巡らなくなり、その結果各所に酸素が届かず、二酸化炭素と老廃物が溜まっていくから。呼吸により体内の酸素濃度が低い空気と、体外の酸素濃度が高い空気を入れ替え、肺で血管が酸素を回収する。この血が心臓に行き、そこから全身へ運ばれていく。腕や、脚や、内臓や──脳へ。
新たな酸素の供給がないと、ミトコンドリアがアデノシン三リン酸を合成できない。それで、栄養のない細胞は、死んでいく。脳も同じだ。
オレの心臓がいつから止まっていたかは分からない。だが、そんな酸素の足りない状態で、まともに夢など見ていられるものだろうか。無酸素による後遺症はないだろうと医者は言っていたが、同時に不思議がってもいた。オレの身体は、健康そのものだったらしい。何の理由もなく心臓が止まるとは、考えにくい、と。
オレは人形の中に入っていた時のことを思い出す。体が動かせず、触覚がなく──呼吸をしていなかった。
心臓は、動いていなかった。
これは符合していないだろうか──人形に入っていた状態では、栄養が必要なかった。アリアが昼食に誘ったが、断った。それは、直感的にも、実感的にも、自分が栄養を必要としていないし、そもそも摂取する方法も用意されていないと、考えたからだ。
つまりオレの中身が、今の身体から離れ、人形に入っている間は、オレは呼吸や食事をする必要がなく、それでも今の身体は現状を維持できる──いや。
流石に論理が飛躍したかと、オレはベッドに凭れる。大体、夢の内容を真剣に捉える必要はない。少し気になる夢だと、現実に何かあるのではないかと気になって、それで考えすぎるなんてことはよくある話だ。夢で起きたことが現実に起きても、それはかつて一度起こったことを憶えていて、それが夢として表れたのかも知れないし、似ていると思ってしまっただけで実際は全然違うかも知れない。
現実味のない話であったし、時が経てば忘れるだろうと思った。両親が病室に入ってきて、大事を取って明日一日入院させられることが告げられる。オレは了解して、明日のことを考える。まあ、一日二日休んでしまっても授業にひどく置いていかれることはないだろう。一応、親に明日でいいから教科書や参考書を持ってきてほしいと頼む。
そういえば優が、オレが休むかどうか気にしていたなと、親が既に持ってきてくれていたスマートフォンを開いた──四月十九日。未読メッセージ、137件。
オレは仕方ないから一件ずつ見ていく。『しゅーちゃん生きてる?』『しゅーちゃーん』『残弾』『しゅーちゃん元気?』『(スタンプ)』『(スタンプ)(スタンプ)』『しゅーちゃんの残弾はもうゼロ?』『しゅーちゃん死んでないかー』『(スタンプ)(スタンプ)(スタンプ)(スタンプ)(スタンプ)』『(スタンプ)(スタンプ)(スタンプ)(スタンプ)(スタンプ)(スタンプ)(スタンプ)(スタンプ)』……男友達女友達、先輩後輩、方々から大量に届いていた。優稀は軽く言っていたが、救急車が家に来たのだ、家の近くの高校だったことが災いして、すっかり有名人に……いや、有名なのは元からだった。人気者になっていた。ちなみにスタンプはほとんどが『残弾を数えるしゅーちゃんスタンプ』である。最近発売されたそうで、人気は上々。売り上げを分けてもらえないだろうかなどと考えながら、優とのトークの画面を探す──彼女は、何も送ってきていなかった。
意外かと問われれば、別にそんなことはない。そんなものだ。オレは、『明日一日休む』とだけ送って、他のメッセージは既読無視しておいた。オレは画面を消し、枕元にスマホを置いた。
もう一度、あの夢を、見たとして。
あの二人は、笑っているだろうか。
それとも、悲しんでいるだろうか。
そうだったら、どんな言葉をかけるべきか。
デジタル時計を見る。十九時二十八分。シャワールームは男性が十九時~二十時、女性が二十時~二十一時、と決まっているそうだ。オレは少し考え、さっと行ってくることにした。今日一日、ほとんどベッドで寝ていただけなので、大して汚れてもいないと思うが、そうやってずっと部屋にいるのは、よろしくないように思えた。身体を起こし、伸びをすると背中がバキバキと鳴る。肩を回すとやはりバキバキ。オレはベッドから降りて、用意されていたスリッパを履き、部屋を出ていく。
○
消灯時間。放送が流れ、自動で電気が消える。二十二時とはオレの普段の就寝時間よりかなり早い。その分、明日の朝は六時起床とオレの普段の起床時間よりかなり早い。早寝早起き、八時間睡眠。しかしそうはいっても寝られないものは寝られないのだ。オレはスマホを開き、今日来ていたいろいろな人からのメッセージにひとつひとつ返信していくことにした。その相手によって、態度や口調、スタンプの有無などを変えていく。こうしてみると、相手によって違う自分が対応していて、その時々で、違う自分に移っていると考えることもできる。丁度、オレが夢で、二つの人形を行き来したように。
一時間ばかり返信とか、更に返信してきた者に返信とか、返信に次ぐ返信を繰り返し、オレは優とのトーク画面を見る。既読はまだついていなかった。珍しいといえば珍しいが──そんな日もあるだろう。オレはスマホの電源を消し、元の場所に戻す。就寝前にブルーライトを浴びるのはよくない。しかしそんな健康の話より、今は、夢の方が大事だった。
鬼が出るか蛇が出るか。どっちが何だというわけではなく。
心臓が止まって死んだら嫌だなと考えながらオレは眠った。
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