4-8 親交
リオフラン王国は、五つの区から成っている。アシト区、サンド区、アイファサ区、ザナ区、モルガ区の各区が東西に分けられ、十の地区でそれぞれ投票し、集計する。朝から始まり、夕方から数え始めて、明日の朝、公表される。
というわけで夕方。
使用人たちが総出で票を数えている。二者択一だから、作業は単純だろう。ハルさんが駆り出されたので、エマはアリアの部屋にオレを連れて向かった。アリアは、昼過ぎに帰ってきたところである。アーストールさんを連れて来たそうだが、まだ出会っていない。ナナさんも開票しているが、ハロルバロルさんは部屋の前に依然として――毅然として、立っていた。まあ、この集計作業中に何か事件があれば、どちらの得点が高かったかなどどうでもよくなる。ガルイスさんとシャードがどうしているかは知らないが、必要な措置だろう。
「そういえば、王子殿下とは仲よくなった?」
オレはアリアに尋ねた。エマに介してもらうと、彼女は、
「私は、遊びに行ったわけではないのだけれど」と言いつつ、「改めて――素晴らしい方なのだって、分かったよ。とても、私のことを考えて下さっていた」
すっかりデレていた。エマとオレは、顔を見合わせる。
「姉上、殿下には国民投票のことを、お話ししたのですか?」エマがとりあえず、話題を変える。
「ええ。そうせよとの、父上のご指示だったから」彼女はその単語を口にして、途端に顔を曇らせる。「父上は、まだ起き上がっていらっしゃらないのだよね」
「はい。原因は、いまだ不明のようです」
エマは答える。原因不明――元の世界での、オレの扱いに似ている。ただこちらとあちらではそのレベルが若干異なる。王の病が不明なのは、ウイルスも細菌も知られていないこの世界では、仕方がないことだ。意外と栄養失調とか食生活に問題があるのかも知れないが、そういう栄養学的な観点も、どこまであるのか分からない。反対に、オレの場合――治療法は二の次として、原因が分からない病気というのは、もうほとんどないだろう。その中で、オレの昏睡は、目下原因不明とされている。病名がない方がむしろ恐怖を煽られる、機械に繋がっているとはいえ、突然オレの肉体がどうにかなるかも知れない。ただ、病気ではないとも考えられる――かつて考察した、オレの肉体とザンダンの体の符合する点。心臓。呼吸。それがオレの肉体で行われなくなるのは、ザンダンがそれを必要としないから。ただし、気軽に試してみるとはいかない――間違っていたら、即死するからだ。改めて、延命を頼んでくれた優に感謝。
――と。オレの意識が、沈んでいく。
元の世界のことを考え過ぎたか。一昨日、優とは挨拶しか交わさなかった。向こうの世界で、見舞に来てくれたのか――それとも、また殴られるのか。
「エマ、アリア、ちょっと席外す」
オレは二人に言う――そういえば、エマにはオレが別の世界から来たことを、結局言っていない。アリアには教えた――アリアだけ、だっけ? アリアはオレが他のザンダンに移るのではない、帰るのだということを察したのか、緊張した面持ちになる。エマはそんなこと露知らず、「どこに行くの? ガルイス兄様? シャード兄様?」と無邪気に訊いた。オレは「分からない、グィーテさんのトコかも」と答える。
「ザンダン――明日の朝には、戻ってきてね」
やはり気づいている様子のアリアは言う。オレが向こうの世界に戻ること、だけでなく、その後のことまで。
「うん――」限界だ。オレの意識は落ちていく。人形の移動は引っ張られ、世界の移動は落ちる、そんな違いが今更ながら気にかかる。
○
「しゅうちゃん、おはよう」
優稀の声でオレは目を開ける。蛍光灯。オレはマスクを外し、身体を起こす。「ん、おはよう――」
優の隣に。
スマートフォンをオレに向けて構えている、真深の姿。
彼女は、「おはよー」と言いながら、シャッターを一回切る。
「えっと――」オレは反応に困る。何だろう、寝起きだし恥ずかしがりでもすればいいだろうか。いやそれだと芸がない――記憶喪失の振りでもするか。それはスベったらサムすぎる。オレは三秒の間、考えに考え――回答を、口にする。
「来てくれて、ありがとう……?」
真深は驚いたような顔をし、「う、うん……」と言ってスマホを下ろした。
「写真撮ったの?」
「え? ああ――」彼女は、手に持っていた機器に今気がついたかのように、その板を凝視する。「見舞に来た記念に、と思って。ほしい?」
「いや、いらねえけど――他の人にも、送るなよ」
「うん――」彼女は画面を見たままで答える。
どうにも挙動不審だ。学校の隣の席で見る彼女と全然違う。いつもは頼りになる、というかいつも頼っているクラスメイトとはかけ離れていた。一昨日には学校に行っていない間に新しい単元に進んでいた数学を丁寧に教えてもらったことを思い出す。まさか見舞の感謝だけではなく普段の感謝も伝えろと暗にアピールしているのか。
「真深」
「はい」
「いつもありがとう」
「ッ!?」彼女は――立ち上がり。「えと、お、お手洗い、行ってくる」と言い残して病室から出ていった。
結局間違えたのだろうかとオレが内省していると、それまでオレたちを静観していた優稀が、オレの耳を強く引っ張る。
「痛っ」
「なに千華ちゃん口説こうとしてんの?」
「え?」ちなみに千華ちゃんとは真深の下の名前である。真深千華。「別にそんなことは」
「あるでしょ。その気がないのに紛らわしいこと言うのやめな?」
「うん……」何のことだか分からないが、紛らわしかったらしい。「というか、なんで連れてきたの?」
「来たいって言うから」
「ああ」単純明快。まあ面倒面倒言っているが、わざわざ来てくれた人を追い返す理由はない。数学でも教えてもらおう。
その後、真深は戻ってきたが、もう帰ると言って荷物を持ち足早に病室を出ていった。優稀には残ってもらいたかったが、無理に引き留めることでもない。次に戻ってくる日は、後でラインすればいい。
オレは天井を眺めながら、向こうの世界のことを考える。投票の結果、ガルイスさんの案が選ばれれば、ザンダンは禁止となり――オレは向こうの世界に、もう行けなくなる。エマはどうか分からないが、アリアはもうそのことに気づいていて。
だから彼女が指定したのは、明日の朝、だった――それを逃せば、投票結果が開示される。彼女としても、自分たちの代案に自信がないわけではなかろうが――城の中での議論と、実際の国民の考えに差異があることも理解していて。あるいはもうオレと、会うことができないのだと、覚悟を決めている。
オレはまだ決めていないので、なんとしてでも向こうに行かなければならないし、エマが決めていたかどうかも不安だ。明日の朝。オレは必ず、彼女たちのところへ戻る。
戻る、とは――どちらが元々いた世界か、分からないな、とオレの心に少し余裕が生まれる。『残弾を数えるしゅーちゃん』と『ザンダン』、どちらがいいかなど考えるまでもないが、交流がある人なら、こちらの世界のほうが断然多い。先程までいた優と真深然り、両親然り、親類然り、同級生然り、先輩後輩然り。この病院の人たちにも大分お世話になった。次から次へ、思いついていく――そうしてオレはこれまで生きてきたのだ。生きてこられたのだ。この恩は、この借りは、どのような形であれ返して、還元しなければならない。特に優稀。彼女には昔から世話を焼かれ続けている。焼かせ続けてしまっている、か。一体いつからだったか――親同士はオレたちが生まれる前から仲がよかったとはいえ、オレたちが、ここまで親交を深めたのには、理由があった気が――
オレは。
その時。
今まですっかり忘れていた、その出来事を思い出す。
オレはその日、残弾を数えた――わけでは、当然ない。
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