1-3 寂しくなったら
「──ということは、あなたの意識が留まっている人形、その持ち主とだけ、意志疎通が可能──という仮説が立つけれど」アリアに、エマの部屋で起きていたことを説明すると、そんな答えが返ってきた。「例が少ないし──結局、私たち姉妹の共同幻想である可能性は否めない」
それはそうだ。オレにとっては、人形である現在の状態で、オレとしての意識があることは事実。しかしその証明を、どう説明すればいいのか。──まず、何を話すにせよ、この世界についてほぼ何も知らないことに気づく。
「えっと、今年は何年?」
「八九六年、だよ」
オレがまず尋ねると、そう答えが返ってくる。
それは──勿論、西暦ではないだろう。西暦だったら、流石に文明が進みすぎである。今のところオレがこの世界に抱いているイメージは、いわゆる中世ヨーロッパ、パンがない時にケーキを食べる時代。西暦だと18世紀頃か。西暦800年代といえば日本でいうと平安時代、近い出来事は吐くよウグイス遣唐使中止。
エマはこの国を、リオフラン王国と言っていた。現実では王国といえばグレートブリテンおよび北アイルランド連合王国、スペイン王国、タイ王国──現在は王制ではなく大統領制を取ったり、国王がいても首相を置いたりするのが一般的だが、この国はどうだろう。王制を存続しているかどうかが、その国の優劣を定めるわけはないが、先程連想したフランスも、長らく王国だった(現在は、確か共和国)。昔は、多くの国が王国だったのだ。マックス・ヴェーバーの伝統的支配を参照するまでもなく、初期の国家において、リーダーがいてそれを中心に国ができたという考え方は特殊ではない。選挙をし、次々に為政者が変わっていくというのは、極めて近代的なのだ。
さて、オレは高校で世界史を習っているが、リオフランという国は聞いたことがない。よって過去にタイムリープしたわけではないことは、西暦ではないことを含めて確実だ。……いや、暦は、西暦だけではない。西暦はイエスの誕生を起点に年を数えるが、イスラム暦はムハンマドの聖遷を起点に数える。日本で使われる元号も、年を数えるという点では共通している。とはいえ──知らない国の、知らない暦を聞いても、何にもならないか。冷静になれば、オレが人形の中に入っていて、喋っているというこの状況がおかしい。オレはこの世界の人間じゃない。そう伝えよう。
「オレは、実は違う世界から来たんだ」
「え?」
アリアは目を丸くする。
「オレは本当は人間で、なぜか意識だけこの人形に移ってる。俺が別の世界から来た証明は――」
オレが、この世界にない、オレのいた世界のものを説明する。
これは彼女にとって、とりあえず幻想でない証明には、なる。
「たとえば、アリア……さんの本棚にはたくさん、本が入ってるでしょ?」オレは部屋にある大きな本棚を見遣る。立派な装丁の本が十冊程、置いてあった。「オレの世界では、あの量の情報を、一枚の板に収められる」
「…………」
アリアは天井を見上げ、何か思案しているようだ。一気に話し過ぎたかと思いつつも、オレは続ける。「その板には情報を溜めていけるんだ。あの本棚いっぱい、いやそれ以上の情報を蓄積できて、それをいつでも……」
「ザンダン」
アリアは話を遮りオレの、いやこの人形の名を呼んだ。
「はい」
「──そちらの世界では、あなたは何歳?」
「……今年で十七歳」
アリアは顔を──ようやく戻し。
「同い年だね」
そう言って、笑った。
「……うん」
「呼び捨てでいいよ、ザンダン。よかった……あなたが実在していて」アリアは続けて言う。「これも含めて、私の妄想でないことを願うけれど。まず私の主観としては──安心できた。エマには、このことを言った?」
「まだ、だけど」彼女はまず、オレが話せることにほとんど疑問は持たなかったからである。
「まあ、追い追いでいいか、あの子には」アリアは──オレの手を掴むと、突然立ち上がる。オレは上方向へ跳んだ。アリアの顔より高い位置まで持ち上げられ、彼女と目が合う。
「よろしく、ザンダン!」
「うん、よろしく」
……ザンダンという名は、訂正してほしいが。
結局なぜ、この世界に『残弾を数えるしゅーちゃん』のグッズがあるのかは分からない。夢の中では整合性がないこともふつうに起きるが、それに疑念を挟むことはない──疑いが生まれるのは、明晰夢の始まりか、目が覚める直前だ。
と、突然、オレはアリアの手から机に落っこちる。彼女が手を離したようだった。
幸い痛覚がなかったため、視界ががくがくと揺れるに留まったが──顔が上の状態で着地できたので、アリアの顔を見ることができた。
彼女は、紅い顔を、両手で押さえている。
「……? どうかした?」
「い、いや──同い年の男の子と話す機会が今までなくて──その、意識したら、少し緊張してきた」
オレを見下ろし、そう言う。オレもなんとなく、気恥ずかしくなる。
「ああ、ごめんなさい、落としてしまって」
アリアがオレを再び持ち上げる──気まずい雰囲気の中、コンコンと部屋の扉がノックされる。アリアはビクッと身体を震わせる。オレも心境は同じだったが、体に反映はされないようだった。
「アリア様、失礼いたします」戸を開け入ってきたのは、いかにも先生という感じの、初老の女性だった。立居振舞に無駄がなく、理知的な瞳は、優しさと厳しさをその奥に感じさせる。
「こ、こんにちは、先生。よろしくお願いします」アリアは慌ててオレを机の隅の方に移動させ、オレのいた場所にはノートを並べる。家庭教師はスタスタと近づいてきた。エマの場合は、あの召使さんが教育も担当していると言っていたな──その時、再び、強い力に、引っ張られる感覚。
オレは──なんとか、声を絞り出す。
「アリア!」
「──!」彼女はオレの声に気づく。
「エマの方に──行かなきゃならないみたいだ。また、今度」
「……!」アリアは小さく、オレに向けて手を振る。
オレの意識は飛ばされて。
○
「ザンダンー! いい加減起きてよー!」
意識が戻った瞬間、甲高い声が頭に響く。
「エマ!」
オレは負けじと大声を出す。彼女は、オレが帰ってきたことに気づくと、「ザンダン!」とオレを高く持ち上げる。丁度、先程アリアがしたように。「突然、眠ってしまうから、驚いたでしょう!」
「いや、それが実は……」
「え?」
オレはこれまでの出来事をまとめて話す。オレが別の世界から来たことは、アリアの指示通り、まだ伏せておいた。
「──へえ。それで、どのような条件で行き来ができるの? 今すぐ姉上のほうへ行ける?」
「それが、移動する時は、何か強い力に、無理矢理引かれる感じで。だから、エマたち持ち主側に、鍵があると思うんだけど」
エマは腕組みをする。顔にはまだ幼さが残るが、なかなかサマにはなっていた。「わたしは、あなたがこちらに戻ってきた時、何度もあなたの名を呼んでいたけれど──それは、ザンダンが姉上の部屋に行った直後から、頻繁にだった。今、こちらに移れたこととは、関係ないかな」
それは──ひとつの仮説には、なるだろう。今度アリアの方へ行った時、あるいは彼女がこちらへ来た時、詳しく訊くことにする。二人の行動で、共通している部分があれば、それが条件の候補となる。
「……そういえば、オレは、『何』なんだ? この国において」オレは気になっていたことをエマに訊いてみた。「何か、人気なものなのか? アリアは、『手に入れた』って言ってた。流通してるものなのか?」
「──ザンダンは、本当に、何も知らないねえ?」
エマは首を傾げ。
「『ザンダン』というのは、今、この国で流行している、人形だよ。見た目としては、黒髪短髪、服は半袖半裾、何らかの武器を持っているという三要素は固定されていて、これを満たしていればそれは『ザンダン』ということになる」
それは、丁度現実世界のフリー素材の扱いと酷似していた。「それを、最初に作ったのは、誰だったんだ?」
「分からない」エマは首を振る。「多分、下町で流行りだしたと思うけれど。それにしても、銃を意匠に選ぶのはいささか物騒だと指摘されているね」
確かにそうだ。子供向けの玩具で銃とは、情操教育上よろしくないだろう。オレは例の動画、その切り抜きを思い出す。『残弾』。動画内のオレは勿論銃器など持っていないが、その台詞から、デフォルメしたオレのキャラクターには銃を持たせるというのが通例となっていた。エマが所持する『ザンダン』にはショットガン。アリアの『ザンダン』はピストルだったか。現実でもそれに加えライフルやらマシンガンやらガトリングガンやら、ランチャー、ミサイル、様々な種類があった。
そして──それなら、新たな疑問が生まれる。
「ということは、オレ──『ザンダン』の人形は、この国のいろんなところにいるってことだよな?」
「ええ。国外での状況は、どうか知らないけれど」
「つまり。今後、そのどこにでも、オレは召喚される可能性がある」
エマは息を飲む。そういうことだ。何もこの場所だけにオレが縛られる謂われはない。条件を満たしさえすれば──その条件に、『この城内』とか『王家』とかいうものがあれば別だが、作為がない限りその可能性は低いだろう──オレはどこにでも現れる。だからその原理はできるだけ早く見つけたい、アリアにも忘れず共有しよう──と。
再び、例の強大な力が、オレを引っ張る。
「あー、エマ。また、どこかに行かなきゃならないみたいだ。アリアのところじゃないかも……って」オレは表情は変わっていないかも知れないが、それでも彼女に笑いかける。「なんで、そんなに悲しそうな顔してんだ」
「だって……この先、二度と条件を満たせなかったら!? 二度とお話しできなかったら……寂しいよ」
涙をいっぱいに浮かべる彼女はまだ幼く。
アリアが優しく接する、護るべき対象で。
一期一会なんて境地には達せない、そんなエマを安心させるために、オレも言葉をかける。
「エマ」
「……うん」
「寂しくなったら、オレを呼べ。必ず、どこにいても、駆けつけるから」
「──うん」
エマは気丈に、笑顔を見せた。
それを最後に視界は暗転する。
「──ザンダン」
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