3-3 二つの世界
「なんで、なんであたしが来る時に限って起きてるわけ?」
優稀は不服そうに言う。元の世界戻ってくるなり彼女に遭遇したのだ、見慣れた病室で。見舞に来てくれたらしかった。
「ずっと眠ってるっていうから、顔に落書きしに来たのに」
「あれから五日──だから、土曜か。あれ、優、部活は?」
「さっきまで練習試合だった。三連休中二日も練習試合!」
三連休――そうか、今日が三十日なら昨日は四月二十九日、祝日だ。オレはすんと鼻をひくつかせる。「ああ──それは、おつかれさま」
すると途端、彼女は座っていた椅子から立ち上がり、壁際に寄る。そしてTシャツの襟を引っ張って匂いを嗅ぐ。
「……えっと、匂い、した?」
優は片言でそう尋ねる。
「まあ、微かに」
ほとんどは消臭されていたが。気にするほどの匂いではないだろう、彼女が汗っかきさんなことは昔から知っているし。
対して彼女は──何も言わず、部屋から出ていく。
……気になるお年頃だったか。悪いことを言った。
オレはラインで詫びでも入れようと思ってスマートフォンを開いた──アイコンの右上に、422という数字。前回こちらの世界に戻ってきた時より、多かった。次のステップに進む気が失せて、オレはスマホを机に戻し、ベッドに寝転ぶ。
全く、間の悪いことだ。人形間を移動する条件はおおよそ分かったが、世界間を移動する条件は──まだほとんど判明していない。それは回数の問題が大きい。実はまだ、三往復しかしていないのだ。それで転移の条件を探るというのは、かなり当てずっぽうになる。人形同士を行き来するのと同様に、誰かに呼ばれた時にそちらへ行きたいとオレが考えていたら、向こうの世界に行けて、また帰って来られるのだろうか。しかし──オレは今、こちらの世界へ戻りたいと、願っただろうか。少しでも、考えただろうか。今までも、エマの人形の中にいてもうっすらアリアのことを考えただけで、そちらへ行ってしまうことは、少なくなかったが──今回、少しだが考えてしまったということなのか。
──あるいは。
そう、これは当てずっぽうだが、全く根拠がないわけではない。今までの三回の往復、向こうの世界に行った時の最初の出口は、エマの人形と、グィーテさんトコの人形、二種類あったが──こちらの世界に戻ってきた時は。
「──もしもし」
オレは優稀に電話をかける。幸い、彼女はすぐ出てくれた。
『もしもし──何のご用でしょうか』
ただし、敬語だった。
まだ先程の件を引きずっているようだった。オレは、「さっきのことはごめん、配慮が足りなかった」と言っておき、
「明日、暇?」
そう尋ねた。
『……練習試合は昨日と今日で、明日は、部活休み』
彼女は答える。よし。
「明日また、見舞に来てくれない?」
オレはそう依頼する。今までの三回、そこに共通点を見出すならば。
毎回、目覚めた時、優稀が病室に来ていた。
条件が彼女に関係している確率は、低くないだろう。
『……何時?』
彼女は、承諾してくれるようだった。
「ありがとう、えっと午後になったらかな。二時か三時くらいに」
『また眠るの?』
そう尋ねる彼女に、オレは意識的に笑って、
「優が来る頃には、起きてるよ」そう言い、「それじゃあ」と電話を切った。「……さてと」
今から向こうの世界に戻って、何をすべきか。まずエマのところに行こう、それから、時間を見計らってハルさんのお見舞へ。誰かが、もう行っていいとか、まだ駄目だとか教えてくれるかも知れない。ハルさんの代わりは、どうなるのだろう。オレが側にいると言っても、動けないから役に立てることはほとんどない。誰かが召使を務めるのか、それとも──と、そういえば、しばらく向こうの世界に行っていたのだった。明日また帰ってこられる(と思われる)が、一応診察をしてもらおうとオレは呼び出しボタンを押す。
ざっと診てもらって、時刻は午後六時。結構拘束されたが──大丈夫だろう。もう、ハルさんの治療も終わっているかも知れないし。オレは考えながら、ベッドに身体を沈める。
……そういえば。
向こうの世界に行く条件も、分かっていないんだった。いつもは夜寝るタイミングで──ああ、前回は、リビングだったか。こちらが問題ではなく──やはり、向こうがどうなっているのか、なのか。優に頼んだように、今度エマにスタンバイしていてもらおう。人形間を移動するのはオレの名を呼ぶことが最大の条件だから、丁度よく──と、そういえば、優稀にもそれは言っておかなければならないだろうか。だとしたら何と呼んでもらえば──『ザンダン』なのか『修一郎』なのか──『しゅーちゃん』なのか。重要かも知れないが、まあ、どうにかなると思った。
そのくらいには、彼女のことを信頼している。
オレは目を閉じる。オレが現在知っている行き先は、エマの人形。アリアの人形。シャードの人形、というかバッジ。そして、グィーテさんの息子さん、グィンハくんの人形。後半二人のところへは行きたくない、多分面倒なことになる。本命は勿論エマのところだが、アリアは、一昨日からはまたいつものアリアに戻っているので、そちらへ行ってもエマの元へは行けるだろう。シャードのバッジも、一応アリアと話せるが──シャードに聞かれるというのが、何とも。
そんなことを考えていると、オレの意識は次第に落ちていく。とりあえず、ハルさんが無事でありますように。
○
オレは目を開ける──が、見えたのは、天井、だろうか。シャンデリアの目映い光にオレは目を細める。
「貴様はハルレア一人と、王家を天秤にかけたのだぞ! 端から釣り合わねえことは分かってるだろうが!」
「シャード。語気を荒らげるな」
「兄上も同罪だ! 同僚だか義孫だか幼馴染だか知らねえが、勘違いすんな、お前らのそんな下らねえ情が解決できる問題なんて、この世界にはねえんだよ」
「私はシャード様に全面的に賛成だ。どう責任を取るのだ、コーラス?」
「おい、まだそこまで話は進んでいないだろう」
「いいや、コーラスがこの件の責任が自分にあると認めれば、すぐそこまで進む。どうだ、アヴはもう認めたぞ」
…………。
えーっと。
結構な修羅場である様子。
さっきからずっとまくし立てているのは、シャードだ──シャードのところへ、来てしまったのだ。
「シャード! おい!」
オレは彼に呼びかける──が、彼には届いていないようだ。議論(裁判?)に熱中している。
と、オレの体はスライドしていく。シャンデリアが視界から消え、代わりに──アリアの顔が見えた。
「おかえりザンダン。しばらく、話を聞いていて」彼女は小声でそう言った。
今更だが、この薄い体で話せて聞こえるとは、一体どういう仕組なのだろうか。
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