2-7 フリ素@潜入捜査(二回目)
アーストールさんは部屋に入ると、オレを窓際の小さなテーブルに安置し、上着を壁のフックに掛けた。
そしてポニーテイルをほどくと、ふうと息を吐いて、ベッドに腰かける。
「父上は、一体何を考えておられるのか……」
王子が口を開いた。オレは静かにその声を聞く。
「──あんなに、あんなに可愛らしい素敵な子が僕の妻になるだなんてえええええ! やってくれましたね父上、あ、あ、あんなにいい方に僕が釣り合うわけがない! はあああああ、しかし可愛かったな、体型は健康的で、表情も素敵だったな、髪は綺麗で睫毛は長くて、手足は細くて声まで美しくて──っと、こ、こんなこと言ってたらまるで変態みたいじゃないか僕は!? あ、姉上に軽蔑されてしまう──で、で、でも可愛かったよなあ。妹のエマさんも可愛かった。多分姉上も気に入っていらっしゃると思うが……今日は珍しくよく喋られていたし。──あッ、姉上を差し措いて他の人ばかり褒めるのはそれはそれで軽蔑の原因か!? すみません姉上──というか、アリアさん? アリア? それとも愛称を考えるか!? アリー、アル……いや、婚約の前だからまだ他人、どころか他国の王女だからアリア様? エクレに訊いておこう……ああ! 明日の昼にはもう発たなければならないなんて──いや、一年後にはアリアさんが僕のところに来る、それまでの辛抱か──し、し、辛抱!? それではまるで僕がアリアさんを娶りたいみたいじゃないか、うわあ、うわあ自己嫌悪、だけど娶りたくないというわけではなくて! そう、これは我がグーヴ王国とリオフラン王国の今後の友好と協力、発展と隆盛のためのものであって僕の個人的感情を挟むべきではない──とはいえやはり、可愛いことは否定できないッ!」
部屋中を動き回って。
ぎゃーぎゃー叫んで。
流石に隣の部屋くらいには聞こえているのではないかと思ったが──それを考えず騒いでいるわけでもあるまい。しかし、あまりにも今までの印象とは異なる様子だった。悪い人では、なさそうなのだが、ヤバい人ではありそうだ。
と、コンコンと扉がノックされる。「──は、はい! 何でしょう」王子は暴れるのをやめ、声をかけた。
「邪魔するぜ」
入ってきたのは──謹慎中のはずの、シャードさんだった。
「ああ、シャード義兄様」王子は事情を知らないのか、笑顔でそう応じた。「どうされたのですか、このような時間に」先程まで部屋中飛んだり跳ねたりしていた人と同一人物とは思えない。
「義兄様なんて呼ぶんじゃねえよ、そっちのが年上だろうが」シャードさんは言いながら、遠慮せずにずかずか入ってくる。「あー、あれだよ、落とし穴。謝ろうと思ってなー」
「ですからその件についてはもういいですよ」アーストールさんは彼に椅子を勧めた。
「いやいや、お詫びをさせてくれよ」
シャードさんはそう言って、大きいテーブルに甕を一つとゴブレットを二つ置いた。
「──これは」
「我が国、最高級の葡萄酒だ。さ、一杯」シャードさんは問答無用で二つのカップにワインを注いでいく。「いえ、もう夜遅いので──」アーストールさんは言ったが、すんと匂いを嗅ぐと、
「──いい酒ですね」
とカップを持ち上げ改めて嗅ぐ。
「そうだろう。飲んでみろよ」そう言って次男は自分の分のワインを呷った。王子はそれを見ると、少し考えた後、倣って口をつける。
「──!?」
「お? ガキには味が分からなかったか?」シャードさんはにやにや笑うと新たに一杯注いで飲み始める。
王子は、渋味に口を引きながらも、「いえ、むしろこのくらいが──」と残りを飲み干した。「も、もう一杯頂きます」
「いいねえ。酒好きが少なくて困ってたんだ」
シャードさんはどんどんアーストールさんのカップに注いでいく。確かに、酒を好んで飲みそうな人はあまりいない気はする。食事の席に酒類は確か並んでいたが、あれは恐らく嗜み程度というか、料理のつけ合わせのようなものだ。そういえばこの国の飲酒可能年齢は何歳なのだろう、日本では二十歳からだが、世界平均は十八歳くらいだし、ヨーロッパには十六歳という国も少なくない。エマは流石に無理だろうが、アリアの前に酒はあっただろうか。
「そうだ、明日、帰る前に武術の披露があるだろう。その場にグィーテという奴が来るんだが、酒豪であって知識も豊富。奴の国の蒸留酒が、これまた旨いんだ」
「なんと! 是非紹介して下さい」
アーストールさんはどんどん酒を呑みながら言う。グィーテさんだったか、シャードさんの、普段の酒飲み相手は。強いと紹介されれば、まあ強そうには見える。ところで、明日の武術の披露とは何なのだろう。グィーテさんはなぜわざわざ来るのか──彼は杖を所持していた。杖術。当然、武術の一つである。もしかしたら、パフォーマンスする側なのかも知れない。
二人の酒盛りは、深夜まで続いた。アーストールさんが荷物から干し肉を取り出したのがまずかった、というか酒は最初から結構な量、用意されていたようだった。シャードさんの確信犯的なものか、それとも。
シャードさんは部屋から出ていく。王子はベッドにばさっと倒れた。一つしゃっくりをし、
「あー……アリアさんー」
酔っているのか、アリアの名を呟く。
「し、幸せに、し、しますからー」
オレは、はあと息を吐いた。
結局、この男はどこまでも。
コンコン、と小さなノックが聞こえる。王子は跳ね起き、「何でしょう」と応じた。
扉が開く。入ってきたのは──王子の姉、ゾースシールさんだった。
「姉上、まだ起きていらっしゃったのですか、明日起きられなくなりますよ」
アーストールさんは、そう親のようなことを言いながら、室内に招き入れる。対するゾースシールさんは、俯きながら、
「……楽しそうにしていたから。言うことが、あったのだけれど」
小さな声で言う。それはそうだ、あんな酒盛り、入るに入れない、というか入りたくない。アーストールさんはそのことに思い至ったのか、「申し訳ありません。それで、話というのは?」と会話を進めた。
まさか、真の敵は王子ではなくその姉だったというのか。夫婦でうまくいっていても、義理の親やきょうだいに苛められるということは、よくある。この人がそういう人間ならば、すぐエマと、対策を練る必要がある。
ゾースシールさんはしばらく俯いていたが、とうとう口を開く決心をしたのか、顔を上げる。オレは耳に意識を集中させた。
「──アリアちゃんって、華麗月の二十二日目が誕生日なのだよね? それまでに、誕生花である耳飾の花を用意しておこうと思うの! 花言葉は『上品』。アースも一緒に育てましょう、アリアちゃんきっと喜ぶと思う! そう、そのアリアちゃんなのだけれど、あなたのように髪を結っても可愛いと思わない? 服はまだ可愛いものを着るべきだと思うのだよね、今日着てたものは似合っていたのだけれど少し老人趣味だった。年上のアースに、釣り合えるようにという配慮だったなら最高だけれど!」
……この姉にして、この弟ありということだったか。
今までの態度と、全く違う。アーストールさんは人見知りだと紹介していたはずだが──そんなレベルではないだろう。内弁慶、とは少し違うが、一国の王女が、これで果たして務まっているのか。はなはだ疑問である。
アーストールさんは姉の言葉に、「流石、ゾース姉様!」指をパチンと鳴らして自分の意見を披露し始める。
オレはとうとう疲れて、意識を失う。
○
アーストールさんの部屋で目を覚まし、彼に連れられ部屋の外へ。朝食の席へ向かうのだ。王子には、昨日の酒の影響はほとんどないようだった。酒の強さにはアセトアルデヒドを分解するためのALDHという酵素が関係していて、日本人、というかモンゴロイドはそれが活性的な人が少ないため多くの人が酒に弱い。うちの両親だと父は下戸だし母はお祝いごとの際に少し飲む程度だ。オレも多分そんなものだろう。まあ現状、さほど飲みたいという思いはない。
王子は、隣の部屋の姉が出てくるのを扉の前で待つが──一向に出てこなかった。これが、彼の言っていた『明日起きられなくなる』か。
そこに一人の女性が小走りでやってきて、「王子、申し訳ありません、起きることができないようでして」と頭を下げる。同行してきた召使だろうか。アーストールさんは、
「ジェラのせいではないよ。エクレには今言ってきたところかい」
「は、はい」
「室内に待機していて、姉上が起き次第、連れてきてくれればいいから」
「は、はい!」
その人はゾースシールさんの部屋に入った。手際がなんともよかったが、原因は王子自身なので差し引き零だ。
食堂に着くと、例の王子たちの執事が、丁度出てきて、「王子、話を通しました。ゾースシール様のご同席なくとも問題ないそうです」と言った。この人が話に出ていたエクレさんなのだろう。まあエマもこのくらいの寝坊はザラなのでさほど厳しくはしない。「ありがとう」王子は食堂に入る。
「おはようございます」
昨日と同じメンバーが座っていると思いきや──エマがいなかった。オレが今朝は起こさなかったからかも知れない。ハルさんが起こしてくれているといいが、と考えていると、今朝はシャードさんがいることに気づく。昨日の脱走はバレていなかったのだろうか。王子はしかし、昨夜のことなどなかったかのように、無視して自分の席に着き、オレをテーブルに置いた。そういえばこの間はエマがここにオレを持ってきて、后に怒られたことを思い出した。アーストールさんは、流石に怒られないだろうと楽観的に捉えたいが──
アリアと、目が合った。
王子はアリアに、「おはようございます」と挨拶する。彼女は、「おはようございます」と頭を下げ、頭を上げると、もうオレに視線はくれず、王子に、「この人形──エマのものですか?」と訊いた。
「はい。昨日貸していただいたのです」
「では、私が返しておきますよ」そう言ってアリアは、オレに手を伸ばす。オレは驚いた。だがチャンスだと思った。この『ザンダン』ではアリアと会話することはできないが、どうにかオレがいると気づいてほしかった。オレにできることは──瞬きしかない。オレは高速で瞬きをする。アリアがオレを掴む。気づいていないのだろうか。「ナナ。ハルに渡しておいて」そうしてアリアは──オレを手放す。
オレを持っていったのは、知らない女性だった。ハルさんはがんばってエマを起こしているだろうし、ハロルバロルさんは食堂にいないからだ。服装から召使の一人であることは分かったが、見かけたことがない──いや、先週、アリアの部屋にいた時に、一度だけ、見た気がする。アリアは言っていた、身の回りのこと、つまり着替え等を手伝うのが彼女だと。しかしそれは専属召使の仕事のはずである。ハロルバロルさんに着替えをさせられないというなら、なぜそもそも彼が専属なのか。
ガルイスさん、シャードさん、そしてエマには、それぞれに、年齢はまちまちにせよ同性の専属召使がいる。誰が選んだのかは分からないが、それは、そういうことになっている、ルールだと思う。ということはアリアが無理を言って、ハロルバロルさんを専属としながらナナさんも近くに置いているのだろうか。
専属かそうでないかの違いは、恐らくほとんどない。とはいえ、やはりそうなっているのは特別な気がする。何より、ハロルバロルさんの、アリアに対する態度。
オレはハルさんに置いていかれる時にも置かれた、例の花瓶の隣に置かれる。ここがオレの定位置になったようだ。仕方なくオレはここでエマを待つ。
リオフラン王国やグーヴ王国がある地域で使われている暦の紹介。
太陽の動きを元にした太陽暦。
葡萄月
華洛月
霜降月
雪原月
寒波月
風雲月
萌芽月
華麗月
流水月
草原月
熱波月
果実月
暦は葡萄を収穫する時期に始まる。大体グレゴリオ暦の10月。
アリアの誕生日は華麗月の22日目なのでグレゴリオ暦なら5月22日。ってコトで。
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