牝鹿像の謎①
翌日から夕陽は〈ツール〉について、飛鳥井から講義を受けた。
原理不明。局所的とは言え物理法則を破ってしまう物質。
そんな物が出回ってしまえば、人類の積み上げてきた科学技術の歴史が崩れ去ってしまう。
だから回収し、適切な処置を施した上で保管する。
説明を受けて疑問を持った夕陽が問う。
「どうして破壊しないのでしょう」
「破壊すべきって人も居るわ。
ただ原理不明でも、物理法則という絶対不変の法則を超えられる唯一の手段だもの。
人の手に触れない形で残しておくべきと言う考えが根強いのよ。
一部では人類の進化の可能性だとか、人類が産みだした次世代の道具だとか言ってる人もいるけど、わたしとしては原理不明である以上、人の手から引き離すべきだと思うわ。
――あくまで個人の意見よ」
「私もそう思います」
夕陽は飛鳥井の見解に理解を示す。
それから栞探偵事務所が所属する、国家不確定物質管理局について尋ねる。
「ところで飛鳥井さん。ざっくりで良いので〈管理局〉の組織について教えて頂いても?」
飛鳥井は頷いて、書類ケースの中から資料を引っ張り出す。
手書きで書かれたもので、飛鳥井の直筆のようだ。
それは『国家不確定物質管理局』――通称〈管理局〉をトップとして、系統図のようにして簡単にまとめられている。
「〈管理局〉の下に保管局〈ストレージ〉。一時保管と恒久保管の担当ね。
で、その下位組織が〈ピックアップ〉。回収と簡易解析担当。
その下の実働部隊に当たるのが栞探偵事務所みたいな、探偵事務所とか調査会社とか」
「なるほど」
相づちを打って夕陽は資料を検める。
〈管理局〉直下には〈ストレージ〉以外にも組織がぶら下がっている。
解析局――これが〈アナリシス〉だろう。情報統制局、法務局などもある。
「〈アナリシス〉の下にも線がありますけど、何か書こうとしました?」
「ああ、科学研究局ってのがあるらしいのよ。
と言っても、わたしも〈アナリシス〉時代にそんなのがあると聞いただけで、存在を確かめたわけじゃ無いんだけど」
「へえ。やっぱり飛鳥井さん、元々は〈アナリシス〉に居たんですね。
解析関係の仕事をしていたと言っていましたよね」
「そういうこと。直ぐにこっちに飛ばされちゃったけどね」
「科学研究局と解析局は何が違うんですか?」
飛鳥井は少しだけ思案してから述べる。
「解析局〈アナリシス〉はあくまで〈ツール〉の持つ特性を評価・解析する組織。
どういう能力があるとか、保管するためにはこうするべきとか、安全に保管できないから破壊すべきとか、そういうことを調べるの。
科学研究局――〈ラボ〉って呼ばれてた――は、〈ツール〉を人類のために役立てられないかとかそういう研究をする組織」
「でもそれだと、人類の積み上げてきた科学技術云々の話と矛盾しませんか?」
「そう。だから〈ラボ〉が本当に存在するか分からないのよ。
リスクに対して得られる成果が十分大きければやる価値はあるだろうけど、今のところそうではないから何も公表しないのだと思うわ」
「私も同意見です。
でも〈ラボ〉。ちょっと興味があります」
「わたしも興味はあるけど、どうにも接点が無いし、そもそも下っ端には存在すら教えてないから、会えることは無いと思うわ」
「残念です。
接点があるのは〈ストレージ〉くらいですかね」
「ええ。
回収した〈ツール〉を引き渡す必要があるから。
向こうから取りに来てくれるか、こちらから送るかは〈ツール〉の能力次第ね。
その内会うことになるわ」
「〈ストレージ〉の方とは会えるんですね。
楽しみにしておきます!」
夕陽は笑顔を浮かべて答えた。
〈ラボ〉も気になりはしたものの、今は〈ストレージ〉の方が興味をひかれた。
発見した〈ツール〉の恒久保管設備。それがどんな施設になっているのか、夕陽の好奇心は尽きることが無かった。
◇ ◇ ◇
1週間ばかりが経過した。
栞探偵事務所の仕事は落ち着いていて、時折入る調査依頼にも1,2名で対応できていた。
所員はどちらかというと書類仕事に追われているようで、事務所でPCと向かい合っている時間の方が長い。
夕陽も飛鳥井と共に横断旗入れの発見報告書類を作成し、今は2件目の報告書作成に従事していた。
通勤途中で見つけた、カエルの置物の〈ツール〉だ。
初めて見たときから普通で無いとは感じていた。
陶器製の置物にしては、地面へのめり込みが大きかった。
夕陽は気になって、所有者と交渉して譲って貰うことに成功した。
置物は既に亡くなった祖母が置いた物で、別に思い入れもないからタダで譲ってくれるとのこと。
夕陽はそれを台車に乗せて事務所へ持ち帰り、体重計に乗せて重量を確認。
陶器製として見積もった場合の5倍の重さがあるそれを、多分〈ツール〉だと判断した。
そして〈ツール〉を回収した後に待っているのが書類作成だ。
〈ツール〉は国家機密。国家不確定物質管理局は、存在を秘匿されては居るが国家機関だ。
つまりその末端である栞探偵事務所も公務員になる。
要するにお役所みたいな書類を作らなければならないのだ。
「このフォーマットで発見記録を残すことに本当に価値はあるのでしょうか?」
「価値はなくても要求はあるのよ」
「それは理解してます。
別に書類作成が嫌なわけでも無いです。
ただ価値のない物を作るのが嫌なんです」
「ごもっとも。
でもそれがお役所仕事よ。投げ出したくなるだろうけど、心を無にして作るのよ」
夕陽はオーナーに会う機会があったら作成書類のフォーマットについて意見を述べようと、改善案を作りながら書類を作成した。
そんな風に、書類作成を基本業務として、たまに修繕作業――持ち去った横断旗入れの
再設置作業――なんかを手伝ったりもした。
ある朝早く、事務所の固定電話が鳴り響いた。
守屋がそれをとり、オーナーからの指示に頷く。
「仕事だ。
現場は葛原精機。社員数500名程度の製造装置メーカー。
企業側からの調査依頼もある。
調べてみて〈ツール〉だったら理由をつけて持ち出せば良い、簡単な仕事だ。
――ちょっと待て」
再び固定電話に電話。
守屋は受話器を取り、それから驚いたような反応を示し、数回頷くと電話を切る。
再び所員達へと向けられた守屋の顔は険しく、大きな問題があったことを如実に表していた。
「――〈ツール〉と予想されていた牝鹿の像が昨晩のうちに盗難に遭った。
調査は盗難被害に関するものへ切り替えられる。
念のため全員で――」
守屋は夕陽の顔を一瞥する。
夕陽はその視線に答えるように、大きな瞳をキラキラと輝かせて微笑んだ。
「お役に立ちますよ」
「――そうだな。
全員で調査する。
仕事を切り上げて集まってくれ」
守屋の指示を受けて各員返事をすると、今し方進めていた作業を終わらせて食事スペースへと集まる。
守屋は印刷された資料を持ってきて、詳しい説明を始めた。
「〈ツール〉だと目されていたのは、会社建屋の正面。ロータリーの中央に置かれていた牝鹿の像だ」
「質問良いですか?」夕陽の言葉に守屋が頷くと、彼女は問いかけた。
「どうして牝鹿なのでしょう? 飾るなら牡鹿では? 角があって立派ですし」
「像の趣味については設置した人間に聞いてくれ」
「なるほど合理的です」
夕陽の質問はそれで終わり、守屋は続きを話す。
「昨夜終業時には像の存在が確認されている。
盗難があったのは夜から今朝にかけてまで。最初に気がついたのは早朝出社した警備会社の人間だ。
直ぐに会社側へ連絡が行き、遅れてオーナーの元へも連絡が行った」
守屋は像に関する資料を配る。
在りし日の牝鹿像の写真。台座の上に置かれ、周りを芝生と柵で覆われている。
「牝鹿像は重量が2トン近くある。
持ち出すにはトラックと、恐らくクレーンかリフトが必要だ」
「準備なしには盗めないし、軽い気持ちで盗難出来るような代物でも無いと」
仁木が所感を述べる。
それに続いて飛鳥井が問いかけた。
「牝鹿像が〈ツール〉である可能性を把握していた人間は?」
「オーナーの元へ連絡が行っている以上、他の〈ピックアップ〉も情報を共有していたはずだ。
それに企業側も異変については何らかの認識を持っていた」
守屋の返答に対して夕陽が手を上げた。
「すいません。
〈ツール〉の存在は秘密なんですよね?
それをトラックや重機まで用意して盗むような人がどの程度居るんですか?
――つまり、何か変な挙動をする2トン近い重量物に対して、持ち出す価値を見いだせる人間は、〈管理局〉側の人間以外に居るのですか?」
問いかけに守屋は小さく頷き、それから説明を始める。
「内部犯行を疑う理屈は理解できる。
だが国家機密とは言え、外部に全く漏れていないわけではない。
現に〈管理局〉と敵対し、〈ツール〉を使って金儲けや研究を行っている組織が存在している」
「是非説明頂きたいです」
夕陽が好奇心いっぱいにして尋ねると、守屋は深くため息をつく。
それは面倒だという意思表示だ。
彼に説明する気がないのを見て、飛鳥井が説明を引き継いだ。
「現在把握されている、〈ツール〉を扱う組織は3つ。
ブラックドワーフ、GTC、スーパービジョンとそれぞれ呼称されてるわ」
「3つもあるんですね」
「ええ。
それぞれ傾向も収集物も異なるわ。
ブラックドワーフは小型ツールの売買を中心にして、金儲けを行っている。
構成員も恐らく最も多く、扱う〈ツール〉の数も最多だろうと予想されてる。
GTC――GeneralToolCompanyの略称ね――は、大型ツールを売買したり、研究機関へと貸し出したりしているわ。
人員構成は小規模なものの強力な〈ツール〉を要していて、時には〈管理局〉側に攻撃も加える危険な組織よ。
スーパービジョンは、研究目的の〈ツール〉収集を行っている。
人員は小規模とされているけど、〈ストレージ〉や〈ピックアップ〉から何度か〈ツール〉を盗み取っているくせ者よ」
夕陽は「ふむふむ」と大げさに相づちをうって、それから結論づけた。
「牝鹿像は大型になりますよね?
だとしたらGTCかスーパービジョンが怪しいと言うことですか?」
「そうね。今の時点では。
でもそれ以外の組織の可能性もあるし、〈ツール〉としてでは無く、牝鹿像自体に何らかの価値があった可能性も否定できないわ」
「なるほど。
〈ツール〉だから盗んだ可能性もあるけど、〈ツール〉じゃないけど盗んだ可能性も当然あり得る訳ですね」
夕陽が納得すると、守屋は「もういいか」と確認して、調査の話を先へと進めた。
「とりあえず現場に行って葛原精機の社長と話す。
仁木。最初に異変に気がついた庭園整備業者の元へ行ってくれ。作業前後の記録が残されているはずだ。〈ツール〉にどんな特性があったのか、何故作業員が異変に気がついたのか知りたい」
「了解。任された」
仁木が了承すると、守屋は飛鳥井の方へと視線を向けた。
守屋が現場。仁木が異変観測者。残る飛鳥井は? だが守屋は明確な指示を出さなかった。
「そっちの調査は任せる」
「そっちってどっちよ」
「一任すると言っている」
飛鳥井は肩をすくめて見せて、「そうおっしゃるなら従いますけどね」と受け入れた。
守屋は仁木へと葛原精機まで車を出すように言って、スーツに着替えるため打ち合わせ室へと入る。
残された飛鳥井と夕陽は顔を見合い、先に飛鳥井が口を開いた。
「好きにしろってさ。
何処か、調べたい場所はある?
まだ新人研修中だし、言われたとおり好きにやらせて貰いましょう」
「では、牝鹿像が製造されたところを調べたいです。
資料によると――くにかね、ですかね。国包石材店となっています」
「石材店?」
飛鳥井は首をかしげる。
今回は像の盗難についての調査だ。
製造元に確認をとる何らかの必要があるだろうか?
大型トラックやクレーンのレンタル業者。警備会社。倉庫運営会社。先に調査すべき場所は他にありそうだ。
だが飛鳥井たちの調査方針については、所長直々に「一任する」と言われている。
どんな調査方針をとったとしても、文句を言われる筋合いは無い。
「意味があるかは分からないけれど行ってみましょう。
車で――3時間近くかかりそう」
「結構遠いですね。
止めた方が良いでしょうか」
「いえ、構わないでしょ。
たまにはドライブも良いものだわ」
石材店を訪問することにしたので、調査方針を守屋へと伝える。
彼は「必要あるのか?」と懐疑的だったが、調査を認めた。
近くをうろうろされるよりも、遠くに行ってくれる方が彼としても気が楽だったのだろう。
夕陽と飛鳥井もスーツに着替えた。
飛鳥井は出かける前に電話をかけようとする。
「アポが必要ですか?」
「向こうの仕事中に押しかけることになるからね」
「それって直前だとダメです?
普段通りの現場を見たいんです」
飛鳥井は電話の手を止めて、思案する。
夕陽が何を調べたいのか分からないが、そう言うのであれば従ってみようと、電話番号を書き殴ったメモ用紙を夕陽へ手渡した。
「淵沢さんのタイミングで電話をかけて」
「はい、任されました!」
戸締まりをして事務所を後に。
守屋と仁木はランサーエボリューションで出かけたようだ。
駐車場には社有車のプリウスだけが残されている。
「淵沢さん、運転は出来る?」
「はい出来ますよ!
ちなみに初心者マークは置いてありますか?」
返答を受けて、飛鳥井は「そりゃあそうだ」と1人納得して、かぶりを振ると運転席側の扉を開く。
夕陽は高校を卒業したばかりの18歳。公道で車を運転するのには初心者マークが必須だ。
「わたしが運転するわ。
助手席で道案内よろしく」
夕陽は笑顔でそれに応じて、助手席に収まると座席調整してシートベルトを締めた。
飛鳥井の運転するプリウスは静かに駐車場を出発し、遙か西。静岡県西部にある国包石材店を目指した。
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