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嘘つき探偵②

 オーナーからの依頼を受けて、栞探偵事務所の面々は調査へと向かった。

 運転手を任された仁木は自前のランサーエボリューションを使おうとしたが、守屋が目立つからダメだと言いつけてプリウスの運転席に収まる。

 助手席には守屋。後部座席に飛鳥井と夕陽を乗せて、プリウスは隣町を目指して走って行った。


「調査概要は?」


 車内で飛鳥井が守屋へと尋ねる。

 当然、調査前に説明が行われるべきだ。現地で説明から始めるのはあまりに非効率的だ。

 守屋は一瞬バックミラーに映る夕陽の姿を見てから、説明を始める。


「隣町の第2小学校校門前。

 今朝、横断歩道の通学路見回りに出ていた保護者が異臭に気がつき、現場に居た警察へと連絡した。

 つまらない異臭原因調査だ」


「異臭騒ぎ? ガス漏れの可能性は?」


 飛鳥井が問いかけると、守屋は順を追って話していく。


「実はこの通報は今回が2回目だ。

 昨日も保護者から通報があって業者が調べたが、問題は見つからなかった。

 それで今日も通報があり、どこかからオーナーの元へと調査依頼が飛んだわけだ」


「なるほど。業者調査済みって訳。

 それにしても2日連続ね」


 飛鳥井は髪を指先でいじりながら思案する。

 それを見て夕陽が尋ねた。


「ガス漏れじゃないんですよね?

 業者が調べて問題ないなら上下水道の異変でもないですよね?

 それでも調査するんですか?」


「オーナーが調査依頼を出したら調べる。

 それが仕事だ」


「そういうことならそうなんでしょうね。

 分かりました。要するに、異臭の原因を突き止めれば良いんですね!」


 夕陽は納得したのだが、守屋の方はやはり彼女の参加には消極的のようだった。

 ため息を吐きつつ、調査についての注意事項を述べる。


「学校側から正式に調査依頼が出たわけじゃない。

 登下校時には横断歩道に保護者。校門前に警察も立つ。

 調査はそれまでの間だけ。目立つ行為もなしだ」


 守屋は説明を終えるとそれ以上は何も言わない。

 車は15分ほどで、調査対象となる小学校近くのコンビニに停まった。

 4人は車から降りたが、一塊になって動くと目立つからと言う理由で、守屋と仁木が先に調査へと向かい、飛鳥井と夕陽は一旦コンビニに寄った。


「目立つのが問題になるのであれば、それは私の同行を拒否する理由になったのではないですか?」


「その通りだと思うわ。

 明確な理由があれば説明すれば良いのよ。

 それを最近のあの人は面倒がるから――って、上司批判は良くないわね。

 聞かなかったことにして」


「そうします。ちなみにこれは経費で落ちますよね?」


 夕陽はライターを手にして問いかけた。

 飛鳥井もその使用用途には納得いったので頷くが、同時に危険性を告げる。


「ガス漏れだったらどうするつもり?」


「業者の調査で見つからない程度なら問題ないはずです。

 ――と考えましたがどう思います?」


「そうね。その通りだと思うわ」


 夕陽はライターだけ購入し、2人揃ってコンビニを出る。

 目的の小学校は直ぐ目の前だった。


 見通しの良い交差点の向こう。

 校門前には歩行者用信号付きの横断歩道。

 横断歩道の手前側には空き地。工事準備中らしく、足場用の鉄骨が積まれている。小学校の近くとあって配慮されているのだろう。立ち入り禁止の看板が並べられている。


 交差点にも信号機。歩行者用信号の柱には横断旗とそれを入れておく容器が設置されている。

 ここも保護者が立っていたのだろう。


 守屋は校門付近を、仁木は空き地の中へと入ってそれぞれ異臭がしないか確認をしている。

 それを見て夕陽は尋ねた。


「これを聞いてしまっていいのか分からないんですけど――」


「何でも聞いて」


「では遠慮無く。

 あの2人の調査能力はどの程度です?」


 飛鳥井もその問いに対しては顔をしかめた。

 だが一瞬だけ思案して、答えを口にする。


「仁木さんのほうは、知識は十分だとは思いますが、どうにも思考が短絡的で自力で調査方針を立てて調べるのは苦手なようです。

 ですが簡単な方針が示されていれば十二分に活躍するタイプです。


 守屋さんの方は……。昔は凄腕の調査員で、オーナーからも絶大な信頼を寄せられていました。

 最近は、サボり気味というか、以前のキレは無くなっていますね」


「なるほど。

 確かに、以前飛鳥井さんから聞いた話とは別人のようです。

 理論詰めで物事を解決するタイプならば、真っ先に校門を調べたりしないはずです」


 飛鳥井は「ほう」と相づちを打って、調査の方針を夕陽へと任せることにした。


「淵沢さんには何か気づいている点があるみたいね。

 わたしたちはおまけでついてきているだけだから、結果を出せなくても文句は言われないわ。

 今回は任せるから好きにやってみて」


「あら、お任せですか? 責任重大ですね!

 分かりました、淵沢夕陽! 精一杯調査に臨んでみます!」


 夕陽はぴっと敬礼のようなポーズを見せて、揚々と現場へ向かって歩き始めた。

 まずは交差点に。

 軽く歩行者用信号の元で周囲を見て、直ぐに信号が青になっている方向へ。

 そちらでも周囲を確認。それからちょっと逸れて、道の脇に置かれている道祖神へ。


「道祖神が気になる?」飛鳥井が問う。


「一応チェックしましたが、こっちは本質じゃ無いですね。ごめんなさい」


「別に構わないわ。調査方針は一任してるし。

 でも簡単に考えを聞かせて貰っても良い?」


「それは是非聞いてください」


 夕陽は笑顔を浮かべ、胸を張ると順を追って説明する。


「まず第1に、現在異臭は全く感じません。

 ――ですよね?」


「そうね。変な匂いは感じないわ」飛鳥井は数回匂いを嗅いでから答える。


「多分、守屋さんも仁木さんも異臭は感じていないはずです。

 そして、異臭はあまり強い物ではありません」


「理由は?」


「昨日と今日、気がついたのが保護者だからです。

 もの凄く強い異臭でしたら子供からも通報が出るはずです。

 それに学校側にもそれなりの対処が求められます。

 ですが実際行われたのは業者による調査で、結果問題なしとなったらそれきりで放置されています」


「なるほど。その通りね。続けて」


 信号が青になったので横断歩道を渡り、軽く周囲を調べながら夕陽は説明を続行した。


「異臭の発生地点は絞られます。

 今こうして交差点を見ていますが、守屋さんからの説明では校門前と言っていたので、結局あそこの横断歩道周辺が一番怪しいです」


「そうね。

 ならあの2人の調査は気にせず向かっても構いませんよ」


「一応、目立たないようにと指示を受けたので」


 夕陽は守屋へと視線を向ける。

 彼は校門とは反対側の横断旗入れを調べている。旗を取り出して匂いを嗅いでいるが、特に問題は見つからなかったようで旗を戻した。

 それから周囲を調べて、何事も見つからないようで別の場所へと足を向ける。


「あら? あそこだと思うんですけど」


「そう? 校門側の可能性もあるでしょ」


「その可能性は低いです。

 校門前には警察が立つんですよね。でも通報したのは保護者だった。

 それに登下校時に保護者と警察が立つと言っていましたが、2回とも異臭に気がついたのは朝。つまり登校時です」


 夕陽の推論に対して、飛鳥井は疑問を呈した。


「今朝とは聞いたけど、昨日も朝だったかしら?」


「業者が調べたとのことなので。

 夕方の発見であれば調査は翌日、つまり今日になったはずです。

 強烈な異臭で無ければ調査優先度は低いでしょうから」


「なるほど。

 それで登校時の発見だと」


「はい。そして登校時、保護者が立つのは校門とは反対側ですよね。

 子供を安全に渡らせるのが目的ですから。

 逆に夕方は校門側に立つのでしょう」


 説明をしながら、夕陽は交差点の調査を終えて校門前の横断歩道へ。

 問題のあるだろうと思われる場所に立ち、匂いを嗅ぐがやはり異臭は感じられない。


「朝の通学時を再現しましょう。

 えへへ。以前からこの旗、1回手に取ってみたかったんです」


 横断旗入れから旗を2本とも取り出して、1本を飛鳥井へと渡す。

 それぞれ手にした横断旗の匂いを嗅いでみる。

 風雨にさらされる野外に置かれているだけあって、あまり良い匂いがしないのは事実だが、異臭とまでは行かない。


「守屋さんが直ぐに戻したのも納得しました」


「そうね。これでは無いみたい」


「となれば問題はこっちですね」


 夕陽は今度は横断旗入れへと顔を近づけて匂いを嗅いだ。

 黄色の、目立つ色をした直方体の箱だ。

 だが数回匂いを嗅いでもいまいちピンとこない。


「異臭? なのかな?

 変な匂いはするんですけど」


「野外に放置されてるからね。腐食してるのかも」


「そういう感じの匂いとは違うんですよね。お香、みたいな感じです。

 折角買ったので確かめてみます」


 夕陽はコンビニで買ってきたライターを取り出して、横断旗入れに近づけて火をつけた。

 途端、ボッと短い音がして、横断旗入れの上に小さな橙色の火が灯る。

 夕陽がライターを消しても、遠ざけても、その小さな火は灯ったままだった。


「あれ? あれれ? おかしいです! 消えません!」


「蓋して!」


「蓋!? ――えい!」


 蓋になりそうなものが直ぐに見つからなかったので、夕陽は手にしていた横断旗を突っ込んだ。

 すると灯っていた小さな火は消えて無くなった。


「消えました!

 どういう原理でしょう? 底には穴が開いてるので、油が貯まっていたわけでは無いでしょうし、金属が腐食しても可燃性ガスは出ないですよね」


「細かいことは後。

 持って帰るわよ」


 既に異変に気がついた守屋と仁木も集まりつつあった。


「持って帰るんですか?

 私的調査ですよね? これを持って帰ったら器物破損に窃盗罪あたりが適用されそうですけど」


「普通の探偵ならね。

 うちは別なの」


「でもボルトで固められていますからレンチが必要ですよ」


「問題ない。――よっと」


 飛鳥井が横断旗入れを両手で掴んで引っ張ると、ボルトが弾け飛んだ。

 飛鳥井はそのままの勢いでそれを信号機から引き剥がし、羽織っていたカーディガンをかぶせて隠す。


「え、ゴリラ……」


「失礼な。固定が緩んでいただけよ」


「ボルトはしっかり固定されていましたし上から塗装を重ねられていました。

 記載によると横断旗入れの設置から4年。緩むほど劣化していないはずです」


「観察力があるのは分かったから、守屋さんと後処理しておいて」


 飛鳥井はカーディガンでくるんだ横断旗入れを車の方向へと運んでいく。

 夕陽は「嘘は嫌いなんです」と言ってのけたのだが、指示には従ってやってきた守屋に状況を説明する。


「飛鳥井さんが後処理よろしくと。

 犯罪ですよね?」


「直ぐ代わりを用意すれば問題ない」


 守屋はカバンから紙を取り出して、油性マジックで『修理依頼済み』と記載した。

 それは透明なケースにしまわれて、工事中を示す黄色と黒のテープによって信号機に貼り付けられる。


「修理依頼、するんですか?」


「しない。こっちで代わりを用意して再設置する」


「嘘つきばかりです」


「不満か?」


「それなりに。

 ですがそういう業務なんですよね?」


 守屋は「そうだ」と答えて、さっさと撤収すると足早に車を目指す。夕陽もそれに続いて車に乗り込んだ。

 車は真っ直ぐに事務所へ戻り、事務室の食事用スペースに持ち出された横断旗入れが置かれる。


「それで、結局どうしてこれを無理矢理破壊してまで持ち出したんです?」


 夕陽が問いかけるが、3人は作業に集中していて取り合わない。


「接合部の破壊が酷いな。

 もう少し上手くいかなかったのか」守屋が飛鳥井に対して苦言を呈する。


「工具用意するまで待った方が良かった?」飛鳥井はむくれて反論する。


「そもそも金属製ボルトで固定された物を引きちぎろうとするな。

 人間の腕力じゃ無いぞ」


「失礼な。

 守屋さんが非力なだけです」


 誰の目にも飛鳥井の腕力がおかしいのは明らかだった。

 異を唱えているのは飛鳥井本人だけだ。

 夕陽だって、あの腕力はゴリラか何かとしか思えなかった。


 横断旗入れから中身が取り出され、夕陽が現場でやった事象の再現実験が行われる。

 仁木が火をつけたライターを近づけると、横断旗入れの上で小さな火が灯った。


「間違いないな」守屋が断定を下す。


「で、一体これ何なんです?

 この容器、底には穴が開いていますし、材料が腐食していたとしてもこんな形で火が燃えるのは不自然です。

 物理法則に反しています」


 夕陽は明らかに異常な現象を引き起こしている横断旗入れを前にそう断言した。

 守屋はため息を深くついて、灯っていた火を消す。


「どうするつもりです?」飛鳥井が尋ねる。


 守屋は頭をかいて、不満そうにしながらも決断した。


「〈ツール〉についての説明を。

 仁木、〈シュレディンガーの調味料入れ〉をもってこい」


「了解」


 夕陽は「シュレディンガー?」と首をかしげる。

 仁木が持ってきたのは、いつも彼の机に置かれていた調味料入れだった。

 赤い蓋と青い蓋の2つ。それぞれ”しょうゆ”、”ソース”と書かれたシールが貼り付けられている。


「最近、この近辺で起こる不思議な現象については知っているか?」守屋が問う。


「高校でも話題になっていました。

 普通では考えられない挙動を示す物体があるとか。――都市伝説だという話でしたけど」


「それが実際に存在する。

 我々はそれを〈ツール〉と呼んでるわけだ。仁木」


「準備できてるよ。

 実際に使って貰った方が分かりやすい。

 好きな方をどうぞ」


 小皿が2つ用意されて、夕陽は2つの調味料入れを差し出される。

 ちょっと悩んで”しょうゆ”の方を手にとって、その中身を小皿に3滴ほど垂らす。

 周りの所員の顔色をうかがいながら、指先で出てきた液体に触れて口へと運ぶ。


「ソースですよ」


「じゃあもう片方は?」


 言われて夕陽は”ソース”の方を別の小皿へと垂らし、同じように味を確認する。


「ソースですけど?」


「つまりそういうこと。

 実際この2つの容器には、記載通りのものが入ってる。

 だけどこれは2つで1組のツールで、〈シュレディンガーの調味料入れ〉と呼ばれている。

 名前の通り、出してみるまで中身が確定しないんだ」


「本当に醤油が入っているんですか?

 両方ソースだったので信じられません」


 当然の疑問を受けて、仁木は2つを手に取った。


「確かめる方法は簡単だ。

 両方同時に出せば良い。

 片方の中身が確定している間、もう片方はそれとは別の物が出るというわけ」


 小皿が更に2枚用意されて、仁木はそれぞれに同時に調味料を出した。

 夕陽はその2つの味を確かめる。


「こっちはソースです。

 こっちは――醤油ですね」


「納得した?」


「現象は理解出来ました」


 夕陽は調味料入れを再び手に取って、軽く揺すって中身の様子を確認する。

 液体の粘度から考えて、それぞれが表記通りの中身だと分かる。

 それでも出してみるまで、何が飛び出すのか確定しないのだ。

 それは明らかに物理法則に反している。


「もの凄く不便ですね」


「それは認めるよ。おかげで食事スペースに置いておくなと言われちまった」


「当然の処遇ですよ」


 〈シュレディンガーの調味料入れ〉に関して夕陽が思うことはそれだけだった。

 バカげたおもちゃだ。こんな物を食事スペースに置かれたら迷惑極まりない。


 夕陽が実際に物理法則に反する物体について理解したところで、守屋がツールについての話を再開する。


「通常とは異なる性質を示す物体を〈ツール〉と呼んでいる。

 〈ツール〉の存在は一般的には秘密とされている。

 栞探偵事務所は、そんな〈ツール〉を秘密裏に回収するための組織だ」


 夕陽は相づちを打って、それから問う。


「誰がそれを秘密にしようと定めたのですか?」


「〈ツール〉については国家機密。つまり政府によって秘密と定められた。

 国家不確定物質管理局――通称〈管理局〉がトップだ。

 その下に、解析を行う〈アナリシス〉、保管を担当する〈ストレージ〉。そして回収を担当する〈ピックアップ〉などが存在する。

 うちは〈ピックアップ〉の実働部隊というわけだ」


「なるほど。

 私たちのやるべきことは分かりました。

 これまで私に秘密にしていた理由も。国家機密となれば、簡単には口外できないと」


「そういうことだ。

 探偵業法第10条――」


「『探偵業者の業務に従事する者は、業務上知り得た人の秘密を漏らしてはならない』ですよね?

 ここで新しく知ったことは決して外に持ち出しません。

 お約束しますよ」


「分かっているなら良い」


 守屋は飛鳥井へと、横断旗入れに蓋をして倉庫で保管しておくように言いつけ、仁木には調味料入れを片付けさせた。

 それから何事も無かったかのように業務に戻る。


 夕陽は飛鳥井の後を追いかけて、横断旗入れの保管に手を貸した。

 蓋がしてあれば火はつかないようなので、ガムテープで強引に蓋をする。

 ライターで火がつかないことを確認してから、倉庫へとしまった。


「詳しい解析はしないんですか?」

 何時間燃えるとか、どんな匂いがするとか」


「うちでは一時保管までの繋ぎで簡易保管方法検討するところまでね。

 そういうのは〈アナリシス〉の仕事なの。

 ここの仕事は〈ツール〉を見つけて一時保管所へと引き渡すまでだから」


「役割分担というわけですね。

 私、捜し物は得意ですからきっと役に立ちますよ」


「ええ。きっとそうだと思うわ。

 守屋さんが頼りない分、淵沢さんに頼ることも多くなると思うわ」


「えへへ。

 任せてください!」


 夕陽は胸を張って答えた。

 〈ツール〉探しには自信があった。

 今の自分に見つけられない〈ツール〉は存在しない。そんな風に思うほどには確固たる自信だ。


 業務に戻り、終業時刻が近づく頃。

 飛鳥井が夕陽へと「明日は〈ツール〉発見報告書の書き方を勉強しましょう」と口にして、その日の業務の終わりを告げた。


 夕陽は荷物をまとめて事務室を後にした。

 ちょうどトイレから出てきた守屋と出くわす。――もちろん偶然では無く、夕陽は彼がトレから出てくる時間を予想して外に出ていた。


「あ、所長さん」


「何だ」


 声をかけられた守屋は目を細めながらも応対する。

 もう〈ツール〉の秘密は明かしている。夕陽を必要以上に遠ざけたりはしない。


「調査に出るとき、「つまらない異臭原因調査だ」っておっしゃっていましたよね?

 でも実際はオーナーからの調査依頼は〈ツール〉捜索依頼。

 『つまらない異臭原因調査』では決して無かったわけですよね?」


「だったらどうした?」


 何か問題があるのかという態度を守屋は崩さない。

 夕陽は微笑んだまま返した。


「所長さんは私に嘘をつきました。

 嘘つき探偵さんですね」


「何か問題があるのか?」


「大きな問題は無いかも知れません。

 ただ私が、嘘は嫌いなだけです」


「人を騙せないと探偵にはなれないぞ」


 守屋は断定的にそう言ったが、夕陽は微笑んだままかぶりを振った。


「嘘をつかなくても人は騙せますから」


「ほう。例えばどうやって?」


 夕陽の物言いに食いついた守屋。

 夕陽は大きな鳶色の瞳をいつも以上にキラキラと輝かせて、自分の胸に軽く手を乗せると言う。


「所長さんは私の胸のサイズをD70だと思い込んでいます」


「そうだな。

 今朝そう説明があった」

 

 守屋は夕陽の胸になど興味ないという風に、無関心そうに返した。


「いいえ。

 私は領収書に書かれた記号についてその意味を説明しただけです。

 もしかしたらEカップかも知れませんし、Fカップの可能性もあります」


「下側に振れる可能性は無いのか?」


「その可能性は無いです。

 同じように、アンダーバストも65かも知れないし、60かも知れないわけです」


「上側に振れる可能性は?」


「あり得ないことですね」


 きっぱりと夕陽は言い切る。

 だがこれまでの発言内容について、守屋は意義を唱えた。


「だとしても領収書を持ってきたのも提出したのもお前自身だ。

 それが表記と違うのであれば、嘘をついたのと同じだ」


「本当にそう思います?

 もし私がうっかり間違ったサイズの下着を購入していたら?

 レジが違った情報を印字していたら?

 意図せず事実と違った情報の記された領収書を提出してしまう可能性は十分にあります」


 その言葉には守屋も少し思案して、それから夕陽の述べたいことを咀嚼して確認した。


「つまり、人を騙そうと意図して主体的に言動や行動を変えていない限り嘘では無いと言い張りたいのか?」


「はい。概ねその通りです。

 分かって頂けて良かったです」


 こいつは一体何をしたいのか。

 守屋には夕陽の考えている本質が分からない。

 

 自分が嘘は嫌いだと言い張り、自分は嘘をついていないと証明しようとしている。

 偶発的に人を騙してしまう場合は嘘ではないと。自分の行動に対して予防線を張っているようにも受け取れる。

 そんな守屋の思考を知ってか知らずか、夕陽は満面の笑みを浮かべたまま告げる。


「安心してください。私は嘘をつきません。

 私の胸のサイズはD70で間違いないです。

 計って確かめてみますか?」


 夕陽が胸を強調するように持ち上げて見せる。

 守屋はバカバカしいと首を横に振った。


「必要を感じない」


「そうですか? 残念です」


 夕陽は相変わらず笑顔のままだった。

 そのまま守屋の方へと一歩近づいて、少し声のトーンを落として告げる。


「嘘をつかなくても人を騙すことは出来ます。

 でも騙したからと言ってそれが悪いわけでもありません。

 意図があって騙すこと。意図は無いのに騙してしまうこと。どちらもあり得ます。


 それにどちらにしても、意味が有るものと無いものがあります。

 私が胸のサイズを偽ったとしても、そこに意味はありません。婚活の資料にでも記載したら意味はあるでしょうが、少なくとも所長さんに対して伝える分については意味が無いんです」


 意図のあるなし。意味のあるなし。

 守屋には夕陽の言いたいことは分かる。されど、それを伝えたい意図が分からない。

 首をかしげていると、夕陽は更に守屋へと近づいて、間近に顔を寄せて言った。

 夕陽の鳶色の瞳には、守屋の顔が大きく映されている。


「例えばの話です。

 左手の薬指に指輪をはめていれば、その人は結婚しているものだと思い込んでしまいます。

 でも未婚の人だって指輪をつける自由はあります。

 仮にそれで騙される人が居たとしても、騙す意味が有るのかどうかという点については別問題です。

 ですよね?」


 問いかけに、守屋は咄嗟に左手を背中に隠す。

 夕陽はその反応を見ると口元ににやりと笑みを浮かべ、守屋から距離をとった。


「詮索するつもりは無いですよ。

 でも意味が有るにしても無いにしても、人は騙せます。

 騙された人がどう感じるのか、それはその人次第です」


 それだけ言うと、夕陽は「今日はお先に失礼しますね」と挨拶して立ち去ろうとする。

 その背中に守屋は思わず声を投げた。


「おい。

 今日見聞きした内容については――」


「探偵業法第10条ですね。

 しっかり覚えています。

 安心してください。私、約束はしっかり守りますから」


 小さく微笑んで答える夕陽。

 彼女は再び去ろうとしたが、思い出したように振り返る。


「そうだ所長さん。

 もし何か困ったことがあったら、何でも私に相談してくださいね。

 きっとお役に立てるはずですから」


 ――お前は何を知っているんだ。

 口から出かかった言葉を守屋は引っ込めた。

 彼女は指輪について何か知っていると明言していない。

 ただ知っている風を装って騙そうとしているだけだ。

 

 そこに意図はあるだろうが、意味があるかどうかは彼女も分かっていない。

 だからこうして探りを入れている。

 わざわざ手を貸してやる道理は守屋に無かった。


 守屋は夕陽が去って行くのを見送った。

 彼女の目的は?

 『自分が何者なのか知りたい』。本当にそれだけなのだろうか?


 

読んでいただきありがとうございました。

「面白かった」「まあまあ良かったよ」と思っていただけたら幸いです。

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次回も読んでいただけたらなによりです。

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