四噺「浅井噺の小さな願望」
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「『願望』、『希望』、『羨望』」
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願望、それは人が大なり小なり持っているもの。
浅井噺も、小さな願望を持っていた。
五月も中旬になり、定期テストが月末に迫ってきたのだ。
彼の行っている学校は一学年当たり約百五〇人、一クラス約三〇人で構成されている。
そして、その中で彼は万年七五位に座っていた。
今回こそ、七五位を脱却して順位上昇を目指す。
思い立ったが吉日、噺は淑に声をかけた。
朝は妹の誠袈に変態と罵られてテンションが低かったが、今の彼はテンションがうなぎ登り真っ最中。
「清水さん。今日、勉強を教えて欲しいんだ。」
「勉強ですか?中間テストのですよね?…浅井くんってそんなに成績危ないんですか?」
「違う違う。今回こそ七五位を脱却したいんだよ。毎度毎度、友達にその事で煽られるからね。……お願いしてもいいかな?」
「ええ、私で良ければ。あっ、でも場所はどうしましょう?」
「あー。家でいいかな?」
「あ、浅井くんのお家ですか!?……だ、大丈夫です」
「それじゃあ決定!」と、嬉しそうに言う噺に淑が嫌だと言える訳もなく。
場所は、噺の家で決定された。
…補足事項だが、淑は学年でトップクラスの頭脳の持ち主で、前回のテストも一桁だったらしい。
彼女のような友達ができたことに、噺は心底感謝した。
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二人で帰っていると、淑が服を着替えたいと言った。
勿論、噺が断る訳もなく、着替えてくる間に少し部屋の整理をしようと考えた。
別れてから約二十分後、家のインターホンが鳴る。
現在時刻は四時ちょうど。
部活動に入っていないため、お互い早く帰って来れたのだ。
噺は何時ものゆっくりとした動きで、少し重い玄関のドアを開けた。
玄関の前に居たのは、絶世の美少女……もとい淑だった。
隠れていた顔の左半分に掛かっていた髪をヘアピンで留めて、素顔を出している。
服は白色のロングスカートに幾何学模様が入ったもの、上は白の縦縞セーター。
彼女の夜空色の髪と驚くほど似合っていた。
五月なのに気温が冬並みだったので、この服装になったのだろう。
……彼は心の底で気温を低くした神様に感謝した。
「遅くなってすいません。」
ペコりと頭を下げる淑に頭を上げるように促し、家に上げる。
玄関で靴を脱がせた後は、流れるように自室に誘導し待機していてもらう。
どうでもいい情報だが、噺も既に部屋着に着替えている。
黒を基調とした柄の入ったロングTシャツにジーパン。
彼が持っている中で、できるだけ無難な服装。
それがこれだったのだ。
「清水さん、紅茶とコーヒーどっちがいいかな……。まぁ、良いか。一個ずつ入れていけば。取らなかった方を僕が飲もう。」
流れ作業でインスタントコーヒーと、紅茶を用意する。
フレッシュミルクとスティックシュガーを適当に数個お盆に乗せて、自室に戻った。
自室では、初めて入る友人の部屋に興味津々な淑が、チラチラと辺りを見ていた。
「お待たせ。コーヒーと紅茶、どっちがいいかな?」
「紅茶でお願いします。」
「ミルクと砂糖はお好みで…。」
お盆の上に置いてあったコーヒーや紅茶やらをテーブルに移して、ベットに残ったお盆を置く。
そして、勉強会が始まる。
最初は、何が苦手なのか?
そこから始まった。
「ええと、浅井くんの苦手な教科は何ですか?教科によっては勉強方法も異なってきますから。」
「う〜ん。国数英の三教科かな?」
「?!わ、分かりました。じゃあ、数学からいきましょう!」
素因数分解に展開の問題。
噺は何となく理解するだけして、後はテスト前にワークや対策プリントをやってどうにかするタイプだが……今回は違う。
優秀な先生が居る。
彼女の教え方は学校の教師とは違い、一つ一つ順序建てて教えてくれる。
噺が質問をしたら、大抵の事は解説してくれるので勉強が捗る。
淑曰く、「浅井くんは基本が出来ているので、応用を解けるようになれば点数が上がるのは確実です。」との事。
噺が応用問題を解いてる横で、淑が逐一確認する。
ミスがあったら報告して、どこをミスしているのか自分でも確認させて、修正させた。
……時間はあっという間過ぎて五時過ぎ。
他の教科に移ることになったが、噺が申し訳なさそうに呟いた。
「ごめんね、態々付き合ってもらって。これだと清水さんがあんまり勉強できないよね?」
「構いませんよ。その…昨日は私がお世話になりましたから。そのお礼と言うことで。」
「昨日も言ったのに、お礼なんかいいって。お礼って言うなら、僕は清水さんと楽しくお話出来るだけで良いよ。」
「っ〜〜〜〜〜!!」
キザな台詞を堂々と言えるのは若さ故か。
朗らかな笑顔で話す噺と、その言葉にときめかされて悶える淑。
今にもキュン死しそうになるがなんとか耐えて、赤くなった顔のまま勉強会を続けた。
七時前まで勉強会は続いたが、彼女は後半から彼の言葉が頭から離れず苦しんでいた。
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勉強会は半ばお開きとなり、部屋の中には楽しい喋り声が響いていた。
「そう言えば、聞くの遅いかもしれないけど。ヘアピンは家ではしてるの?」
「ヘアピンですか?いえ、勉強の時以外はしてません。」
「勿体ないなぁ〜。」
「何だか顔を面と向かって見られるのが恥ずかしくて…。」
彼女の言い分も分からなくもないので、強く訴えかけるようなことはしない。
それとなく話をズラした。
「今後も勉強を教えて貰っていいかな?…清水さんは僕の最後の希望なんだよ。」
「き、希望って、大袈裟ですよ!」
「大袈裟じゃないよ。…僕も、二年生の二学期辺りからこの成績に不満があってさ、何とか順位を上げようと頑張ったんだけどね。友達に点数が本当に酷い奴がいてさ、勉強会を開いては教えてあげてたんだ。だけど、僕が教えられるのは基礎だけで、彼が分からないのも基礎。応用に回す時間があんまりなくて、結局テストの点数は上がらないまま三年生になっちゃったってわけ。」
彼にとって、淑は希望だったのだ。
友達を引き合いに出すようで悪いが、あの頃の自分には応用に手を出せる余裕はなかった。
だからこそ、彼女が友達になってくれて、勉強を教えてくれてよかったと心の底から思っている。
「ありがとうね、清水さん。」
「…どういたしまして。」
自分にはお礼を言わなくていいと言ったのに、言ってくる噺を見て少しだけ呆れてしまう。
彼は底無しの優しさを持っている気がして、甘えてしまいそうになる。
(私が甘えたそうな顔をしたら、きっとこの人は迷わず甘えさせてくれるんだろうな…。)
噺の優しさに深く羨望した。
私も何時か────
そう思っていると、彼は優しくおっとりとした声音で言葉を紡いだ。
「あんまり強く言うつもりは無いよ。でも、これだけは言っておきたいんだ。清水さんはもっと自分を押し出して良いと思う。優しいし、気配りも出来るし、頭も良いし、可愛いし。三拍子どころか五拍子揃った美少女だよ?今来てる服だってとっても似合ってるし。コミュニケーションが苦手なのは分かってるけど、少しづつ直していけばきっと大丈夫だよ!僕が保証する。」
「…………」
「でも、そうなると清水さんがクラスの羨望の的、いや人気者になるのは時間の問題だよな〜。そしたら、あんまり話せなくなっちゃうかも知れないな。……それは少し嫌だな〜。」
間延びした言葉の裏に、本心を混ぜる。
いつもこうやって気付かれないようにしてきた。
家族だって気付いていない、彼女がこれに気付ける筈はない。
現に、当の彼女は顔を真っ赤に染めて赤面している。
(あんまり強く言うつもりはなかったけど…。背中を押すぐらいのお節介はしないとね。)
朗らかに笑っている噺を、赤面しながら見つめる淑。
彼女は彼の言い分にムカッときた。
だから、思ったことをそのまま口に出した。
「新しい友達が出来たら、昔の友達を捨てるなんて……私はそんなしません。私の事、そんな風に見てたんですか?」
「いや、そうじゃなくて。その…えっと…君の友達一号として、君の魅力を他の人にも知ってもらいたいなって思って。……それに。」
「それに?何ですか?」
「君のような人が埋もれているのは勿体ない。……僕、妹が居てさ、凄く生真面目な妹なんだ。その生真面目さが祟って、みんなからも嫌われることが多くて。でも、本当は誰よりも優しい子なんだ。少し正義感と責任感が強いだけなんだよ」
「…………」
淑とは違う人種だ。
だが、二人に共通することは、本当の自分を見せることが出来ず、周りに埋もれてしまっていること。
……埋もれていて欲しくない、清水淑と言う人間はこの世に一人しか居ないのだから。
「……やっぱり、浅井くんはズルいです。」
「昨日も言われたよ。」
「大事なことだから何回でも言うんです!」
危ない場面もあったが、最終的に和気あいあいと喋れている所を見ると、本当に相性が良いのかもしれない。
そんな二人の会話をドア越しに聞いてる者が居た。
……妹の誠袈である。
朝のことを謝ろうとして、モジモジしていると何故か急に自分が話に出てきたので、聞き耳を立ててしまったのだ。
「あと、浅井くんは気を付けた方がいいですよ?」
「へっ?何のこと?」
「そういう事、他の子にホイホイ言っちゃうと何時か背後から刺されますよ?」
「えっ?!刺されるの?!」
「はい、それはグサッと。」
「今後気を付けるよ。ああ、今度の勉強会に友達呼んでいい?」
「……一人ぐらいなら」
壁が薄いからか、ドア越しの誠袈にすら聞こえる楽しそうな声。
しかし、誠袈にはその声は届かない。
焔のように赤く染った顔と、高鳴る心臓の鼓動。
早く元に戻そうと思えば思うほど、先程の言葉がフラッシュバックする。
自分のことを本当に大切に思ってくれる兄。
そんな兄と親しげに話す、顔も見知らぬ異性。
嬉しい、嬉しい筈なのに、胸の内にある晴れないモヤモヤ。
兄である噺が良くやるように、言葉となって口から出そうになった想いを抑え込んだ。
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噺が淑を家まで送って帰ってくると、夕御飯が出来ていた。
家族で食卓を囲む中、母である緩和が口を開く。
「そう言えば、お友達来てたの?」
「うん。勉強教えて貰ってた。紹介できなくてごめんね。お母さん、仕事から帰って来るから疲れて休みたかったと思ったから」
「グットよ!そう言う気配りが出来るのは男の子としてポイントが高いわ。」
そんなくだらない話をして、食事を済ませると、お風呂に入って疲れを癒した。
入浴後は、部屋でのんびりしながら教えて貰った所の復習をしようと思ったが、昨日と同じく先客が居た。
相変わらずの動物柄のパジャマに身を包んだ誠袈。
何故だが真剣な表情をしていたので、噺は話を聞くことにした。
「どうしたの?そんな真剣な顔して」
「兄さんのお友達についてです。私は知る権利があると思います!」
「知る権利って……。誠袈には悪いけどまた今度かな。勉強会を開いた時にでも──」
「私はすぐに教えて欲しいんです!!」
怒鳴るような大声が部屋に響いた。
何度も怒られたことがある噺だったが、ここまで大声を出されたのは初めてだった。
少々萎縮したが、落ち着いて何時もの調子で話を進めた。
「理由があるの?」
「………言いたくありません。」
「分かった。出来るだけで近い内に会わせて上げられるように善処するよ」
「ごめんなさい。我儘言ってしまって。」
しょぼくれた表情をする誠袈に、変わらない調子で接する。
「良いよ。誠袈は真面目過ぎるから、偶には我儘言っても」
彼は知らず知らずの内に、修羅場を形成し始めようとしている。
……そして、噺が自分のことを天然ジゴロだと知るのは、まだ先のお話。
無意識内に修羅場を形成出来る主人公UC。
バットエンドで刺されるとかはないのでご安心を。
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