一噺「さよならを言うのは別れる時に」
皆さんは三題噺を知っているだろうか?
案外知っている人が多いと思われる。
落語の形態の一つで、本来は寄席で演じる際に観客に適当な言葉・題目を出させ、そうして出された題目三つを折り込んで即興で演じる落語である。
三題話、三題咄とも呼ぶらしい。
この物語は、三題噺の中で生きる、ある少年少女たちの物語。
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「『さよなら』、『星』、『テレビ』」
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「さよなら。」
彼ら、彼女らにとってはいつも通りの言葉だ。
学校からの帰り道に、友達と別れる際に言う些細な言葉。
帰り道をスクールバックを持ちながらあるく少年。
身長は150cm前後、髪の色は黒く、焦げ茶色の瞳で、中性的な顔立ち。
特徴と言ったら、おっとりした雰囲気に見せるタレ目と、頭の上にこれみよがしにあるアホ毛。
彼の名前は浅井噺。
……名前に他意はないのだが、どうも軽薄な人間に見えてしまうのは気の所為だ。
彼の性格は名前からは程遠く、浅い話をする人間ではない。
優しくおっとりとした喋り方、動きも少しスローペースな部分がある。
自分本意な考えはあまりなく、他人の意見を尊重しながら自分の意見を話すタイプ。
気遣い過ぎて、偶に自分のやるべき事を後に回してしまう。
勉強は可もなく不可もないが、運動は苦手。
マラソンでは上位の人たちに二周差を付けられるのは当たり前、酷い時は四週差を付けられることもある。
…彼の紹介はこれまで、話を戻そう。
別れの挨拶は色々のものがある。
『じゃあね』、『またね』、『また明日』、『バイバイ』、『さよなら』。
今上げたのが大まかなもので、他にも色々な種類がある。
それぞれの言葉に意味があり、『またね』、『また明日』の二つは今後また会う約束をする言葉。
『じゃあね』、『バイバイ』、『さよなら』の三つは今後会うか分からない人物に言う言葉だと、噺は思っていた。
勿論、それは個人の主観的な考えであり、他人には理解し難いものかも知れない。
噺が先程別れたのは、最近仲良くなった女子クラスメイト。
中学生活も三年目に入りもう一ヶ月、クラス替えをして初めて話が合う人物。
彼女は良く言えば静かで、悪く言えばコミュニケーションが不得意な子だった。
だが、何故か噺とは話が合いよく喋るようになった。
話が合ったのは別として彼女にとって、噺の優しくおっとりとした喋り方が話安かったのかもしれない。
「明日はどんなことを話そうかな〜…。」
辺りを見渡す。
太陽は既に仕事を終えて月が登っていた。
……星が綺麗に見える、そんな日だった。
キラキラとした宝石を散りばめたような夜空。
「星が綺麗だな〜。ちょっと話し込んじゃったな。……送った方が良かったかも。」
今となっては後の祭り、考えても仕方ない。
そう割り切って、家への道を歩いた。
街灯が薄っすらとコンクリートの地面を照らす。
住宅街に入ったので、ガヤガヤとした煩さはなく。
代わりに、それぞれの家の子供の楽しそうな声や、晩御飯の美味しそうな匂いが漏れだしている。
無性に早く家に帰りたくなって、歩を進める。
数分程で家が見えて来た。
二階建ての一軒家。
4LDKで家族四人暮らし。
彼自身が誇れることではないが、噺の両親は稼ぎが良い。
父親と母親は二歳差で、父親のほうが歳上。
父親である浅井正は一般的なマナーやルールに厳しい人で、対照的に母親である緩和は自分の作ったマナーやルールを重視する人。
結婚できたのが未だに噺は理解ができない。
両親の他にも居るのは一歳下の妹。
彼と違って生真面目なタイプの人間で曲がったことが嫌い。
……見れば分かるとおり。
噺は母親似であり、妹の誠袈は父親似だ。
そんな話をしている間に、彼はようやく玄関の前に辿り着いた。
少し重い玄関のドアを開けて、家の中に入る。
「ただいま〜。」
間延びした声に答えたのは、誠袈だった。
ポニーテールに纏めた薄茶色の髪と、噺と同じ焦げ茶色の瞳。
顔の作りは噺と似ているが、キリッとした目が彼女の印象を鋭いものにする。
目をもう少し優しいものにすれば、怖い人だと勘違いされずに済むのに。
彼はそんな失礼なことを思いながら、誠袈と向き合う。
「兄さん?今、失礼なことを考えませんでしたか?」
「いいや、全然。ただ、もう少しだけ顔に力を入れない方が可愛いなぁと思ってさ。特に目。」
「うっ?!そ、それは今後の課題です!兎に角、もう夕御飯出来ていますから、早く来て下さい。兄さんが帰って来るのが遅かった所為で、お父さんもお母さんも待ってるんですからね。」
「それは悪いことしたな…。」
ゆったりとした口調が、本人が感じている罪悪感を表に出させない。
良い様に見えて案外困る喋り方だと、常々噺は思う。
玄関先での会話を終えて、誠袈と共にリビングに入る。
そこには、眼鏡を掛けて鋭い目付きの父・正と、おっとりとした表情で噺を出迎える母・緩和。
相変わらず両極端な二人だな〜と思いつつ、彼は二人にも『ただいま』と挨拶をした。
「ただいま。父さんに母さん、ごめんね遅くなって。ちょっとクラスメイトの子と話し込んじゃって。」
「あらあら、五月に入ってようやくお友達が出来たのね?お母さんにも紹介してくれると嬉しいわ〜。」
「…門限は特に言っていないが、遅くなり過ぎるのは感心しない。クラスメイトの子が女の子か男の子か知らないが、あまり遅くまで話し込むのは止めておけ。お前はスマートフォンを持っているだろう?それで電話でもしなさい。」
緩和の喜ぶような声とは対照的に、少し低い声で噺を注意する。
それに対して、噺も噛み付くことはない。
大人しく、『分かりました』と返事を返した。
その後は、夕御飯を食べてお風呂に入った。
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お風呂に入り終わった後、麦茶の入ったコップ片手にテレビを見る。
時刻は九時を回っており、そろそろ自室に戻ろう。
そう思った時、正がテレビの番組を変えた。
ニュース番組だ。
(ニュースかぁ…何か明日の話題になりそうなものがあるかも。)
ニュースなど、今時スマホでも見ることが出来るが、噺はどちらかと言うとこうやってテレビで見る方が好きだった。
立ち上がるのを止めて、次々と流れるニュースを見る。
その中で、一つだけ目に止まった。
火災の話……場所は噺の家から徒歩で十分圏内。
物騒だな……そう緩和が言葉を零した瞬間。
火災した住所を見て、彼は目を見開いた。
持っていたコップから麦茶を零して、テレビを食い入るように見つめる。
「噺?どうした?麦茶を零しているぞ?」
噺の様子に気付いた正が声を掛けるが、彼は気付いていない。
ポケットから慌ててスマホを取り出して、今日ようやく教えて貰った電話番号のメモを取り出して、スマホに入力していく。
(初めての電話がこんな要件になるなんて…。)
いつもの噺からは考えられない機敏な動きに、お風呂から上がったばかりの誠袈が口を大きく開けて驚いていた。
コール音が二回、三回と鳴っていくが相手が電話に出る気配がない。
察しがついた人も居るだろう……そう、少女の家の近くで火災が起きたのだ。
何回も電話をかけ直す……六回目にして繋がった電話から聞こえてきたのは少女の声ではなく……
『ただいま電話に出ることが出来ません。ピーと言う音に続いてお名前とご要件をお話下さい。』
何回か聞いたことがあるアナウンス。
噺はパジャマのまま、家を飛び出した。
三年生になって初めて出来た友達になれそうな人。
失いたくないし、居なくなって欲しくない。
スローペースな普段の動きとはかけ離れた全力疾走。
運動が得意ではない噺は途中で息が絶え絶えになりながらも、目的の場所を目指した。
まだ何度も行ったことはない。
何度かの中に入っているものの理由も、指して珍しいものではなく。
ただ、休んだ日のプリントを届けた程度。
たった数回程度しか来たことの無い道。
何度か転びそうになりながらも、必死に走った。
そして……
「はぁ……はぁ……。清水さん!」
まだ、彼女の家は先にあるはずなのにここに居る。
その事がどうにも不自然で、出したことも無い大声を出した。
ロングストレートで夜空のように暗い髪を揺らして、彼女は──清水淑すみは噺の方に振り向いた。
後ろ髪と同じで、長い髪の毛で左目が隠れている。
しかし、右目はしっかりと噺を見つめていた。
夜空色の髪に不釣り合いなくらい明るい琥珀色の瞳。
体付きは中の中で目立つところはないが、左半分の顔が隠れていても分かるほど良い顔立ち。
彼は一度だけ見せてもらったことがあるが、吸い込まれるような美しさがあった。
もう少し社交的な性格になれれば、スクールカーストの上位に君臨できる。
……少々話が脱線してしまったが、噺の声に反応した淑が振り返った後、彼女も声を漏らした。
「浅井くん…どうしてここに?」
「それ……は…ごめん…、ちょっと待って。」
「う、うん。」
絶え絶えになった息を何とか整える。
体がだるいし、もう動きたくないと心の言葉が口から出そうになるが、ギリギリの所で抑えた。
「……もう大丈夫。えっと、ここに来た理由だっけ。」
「うん。ここ、浅井くんの家からそこそこ距離あるから。」
「いやぁ、ニュース見てさ。清水さんの家の近くだな〜と思ったら、居てもたってもいられなくて…。」
「……そ、そっか。…ありがとう、心配してくれて……。」
頬をポリポリとかきながは言う噺に対し、淑は顔を伏せながら小さくお礼を言った。
どことなく居た堪れない状況の中、心配になって飛び出してきた理由のもう一つを話す。
「清水さんの安全が分かったのはいいけど、家の方は?」
「一応なんともないよ。火もすぐに鎮火できたみたいだし。大事に取り上げ過ぎなんだよ、きっと。」
「良かったぁ〜。」
心底安堵したように呟く噺を見て、淑はクスリと笑う。
学校で一緒にいる彼からは考えられない安堵の声だったから。
安全が分かったなら、ここにいる必要はない。
だけど、もうちょっとだけ淑と話していたい。
自分勝手だと思ったが、淑もそんな気分だったのか家に帰ろうとしない。
無言で二人して空を見上げた。
帰り道でも見た綺麗な星空。
星一つ一つが放つ輝きが、幻想的でもあり神秘的にも見える。
二人同時に、思ったことを言った。
「今日は星が綺麗だね。」
「今日は星が綺麗ですね。」
声が揃ったことに驚いて、二人して笑った。
十年来の友達と話している、そんな錯覚。
普段なら感じない感覚に戸惑いながらも、噺は来た道を戻るために振り返った。
そして、帰る前に頭だけ振り向かせて別れの挨拶を言う。
「さよなら、清水さん。」
「さよなら、浅井くん。」
何故か、その日は悶々として寝ることが出来なかった。
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