2.既知なる未知との遭遇
顔面からオトナの威厳をぽろぽろ落としながら、すっかり見慣れた一本道を気分よく歩く。右手に感じる幸せの重み。中に「さーみ」さんの初単行本が入っていると思うと、見慣れた青いビニール袋も今日ばかりは黄金と遜色ない。
よもやヒールをカツカツと鳴らすイケてる女(自称)が美少年本を買っているとは思うまい。外見に騙された善良な通行人を想定してほくそえんでみたが、そもそも夜は誰もこの道を通らない。おぼろげな月の他に目立った明かりはないし、この時間帯私以外の人を見かけたこともない。
つまり私がいくら妄想を膨らませて帰っていても、誰も気味悪がる者はいないのだ。これは最&高。
自宅であるマンションは駅から徒歩十五分のところにある。職場近辺とは違いひっそりとしており商業施設などもない。マンション自体は最近建てられたばかりだし、田んぼと山ばかりに囲まれた村で育った私には十分都会に感じるが、先日うちに遊びに来た友人曰く「危ない、ありえない」とのことだ。
私にはいまいち友人の怒っている意味が分からなかった。だって不審者とクマなら遭遇して死ぬ確率が高いのは明らかに後者だし、何よりもうそこまで若くない私にちょっかい出す人なんて…おっと、これ以上はやめておこう。胸に秘められたガラスのハートが軋む音がする。
そういえば、小さいとき実家の隣に住んでいたお姉さん元気かな…。
「さんじゅっさいだからおばさん!」なんてひどい言葉、何度も投げつけてしまった。相手を思いやる気持ちなど微塵もなかった私は、お姉さんをどれだけ傷つけちゃったんだろう。いつも優しいお姉さんがあのときばかりは顔を真っ赤にして怒ったね。そりゃ当然だよね。
「二度と来ないで」って泣いてた。速攻締め出された。当時の私は腹を立てたけど、どう考えても私が悪いし百発は殴られていいレベル。むしろ言葉だけで済ませたお姉さんは菩薩かな?
あのあとすぐ引っ越しちゃったから、謝れなかったことずっと後悔してる。
お姉さんと同じ年になってみてよーーく分かったよ。今まで若い若いとちやほやされてきたのに、大台を踏んだ瞬間おばさん扱い。後輩からはババアと馬鹿にされ、目上のおばさま(笑)には「まだまだ若いでしょ、私なんて昔は…」と自分をダシに過去の苦労話を延々聞かされる。しかも「いきおくれ」という不名誉な称号まで手にしてしまった。
ただでさえ急激な環境変化に戸惑っているときによりにもよって若さの塊から「おばさん」って笑われたらそりゃどんな聖人も怒るわ。お姉さんごめんなさい。
古傷を自らで抉って涙ながらに悶えていると視界の端に何かが映った。もしかして本当に通行人?てか今の私完全に怪しい奴じゃん。一度昂りかけた気持ちを世間体という名の暴力で押さえつけ、愛想笑いで前を向いてみる。しかし誰もいない。
おかしいなと思ったが、よく見るとうちのマンションの入り口に黒いものが落ちている。サイズは寝転がった大型犬ほどで、小刻みに震えているようにも見えた。
人に寄行を見られたわけじゃないことにほっとしつつも、すぐに別の疑問が浮かぶ。
じゃあ一体あれは何なの?ゴミ…にしてはでかすぎるし。警戒はするものの好奇心が抑えきれず、いくらか歩み寄ってみる。
真っ黒の塊かと思ったが、端から白銀の糸のようなものが月明りを反射して佇んでいた。反対側からは、乳白色の棒状のものが布から突き出ている。
……もしかして。
考えるより先に足が進みだした。パンプスのため腰と膝が曲がった不格好な走り方になるが、そんなことを気にかける暇はない。
「ちょっと君! 大丈夫!?」
傍に来て確信する。これは人だ。真っ黒に見えたのは着てる服のせいだ。
肩を少しゆすってみるが起きる気配はない。触れた個所もずいぶんと冷たく、人のぬくもりというものからかけ離れていた。
いつからここにいたんだろう、そう考えて背筋が凍った。とにかく、保護しなきゃ!
呼吸を確かめるため焦って震える手で顔を覆っていた大きめのフードをどけると、布の下から子供の顔が現れた。中性的で性別はよくわからない。整った顔立ちではあるが、やせこけた姿があまりにも痛々しい。鼻のあたりに手を持っていくとかすかだが息が当たった。
よかった。とりあえず最悪の事態は免れたと胸をなでおろす。
早くあっためてあげなきゃ。しかし綺麗な顔してるなー。
端から覗いていた白銀の毛髪。長く美しい睫毛。血の気を失った頬と対照的な桜色の唇。そして猫耳。
あれ、なんかおかしいぞ。普通絶対ないものがあったんだけど。
頭から生えた二つのモフモフをじっと見つめてみる。頬を勢いよくつねっても痛いだけで視界に変化はない。
ねこみみ?
にんげんの、あたまに、ねこみみ?
いやいや、そんな、まさか。
……。
「えーーーーーーーーーーーーー!?」
うそやん。