僕の初恋
オレンジ色の夕日が差し込む図書室で、僕は恋に落ちた。
決して恋してはいけない人。僕が好きになっては……いけない人に。
何故この人なんだ、と何度も僕は僕自身を責めた。
どうして、なんで、と何回も問いただした。
苦しい
息が出来ない
このまま深海へと沈むことが出来たら……どんなに幸せだろうか
黒く深い、静かで見た事のない世界が広がる……あの憧れの場所へ
◇
「美影、最近どうした?」
一年の僕に、三年の早坂先輩が話しかけてきた。
同じ図書委員の先輩で、背が高くてイケメンで……そして性格までイケメンという反則じみた完璧超人だ。
僕はそんな先輩に何故か気に入られ、放課後に遊びにいったりする仲だ。
同級生に友達が居ない僕にとって、早坂先輩は僕の親友……のような存在になっていた。
「いえ……別に……」
目を合わせられない。
言えるわけがない。あんなこと……
「おーっい、涼介、美影ーっ」
そこに……あの人がやってきた。早坂先輩の彼女である……あの人が。
まずい、このままではまずい、何がまずいって……
「あぁ、朋。今から帰るのか? 生徒会の仕事は終わったのか?」
「うん、一緒に帰ーろっ。ん? 美影? どしたー? なんか元気ない?」
顔を覗き込んで来る朋先輩。僕はこの二人より背がずっと小さい。
傍目から見れば弟と思われるかもしれない。
「べ、別に……ぼ、僕先に帰りますっ!」
そのまま駆けだし、高校を後にする。
言えるわけがない。
言っちゃいけないんだ。
僕が……朋先輩に恋してるなんて……
◇
逃げるように駆けだした僕は、いきつけの喫茶店に入りカウンターへ座る。
そのままマスターへとブラックコーヒーを注文。
「ブラック? どうした、何かあったのか?」
マスターは白い口髭を蓄えた爺ちゃん。
バーテン服を着ていて、いかにもジェントルメン、という感じのカッコイイ爺ちゃんだった。
「別に……」
「噓つけ。普段ココアばっかり飲んどるくせに……」
いいつつも、爺ちゃんは僕の前にブラックコーヒーを差し出してくる。
「いただきます……」とコーヒーカップを持ち、一口啜ると凄まじい苦みが口の中に広がった。
「うええ……苦っ……」
「だから言っただろうに……で? 何があったんだ?」
爺ちゃんはそっと砂糖を僕に差し出しながら質問してくる。
何があった……と言われても、何と言えばいいのか。
「そういえば涼介はどうした。いつも一緒だろ」
「あぁ、うん……えっと……」
僕は何となく愚痴りたくなった。
この敵わない想いを、誰かに言って聞かせたい。そしたら少しはスッキリするかもしれない。
「爺ちゃん……僕……その……好きになっちゃったんだ……」
「涼介をか? まあお前は見た目も女っぽいし……無理もない……」
「ちがっ! 違う! 僕は女の子っぽくなんかないし! 男だし! っていうか聞いて!」
はいはい、と爺ちゃんは腕を組みつつ、タバコに火をつけて吸い始めた。
コーヒーと煙草の香りが鼻をくすぐる。あぁ、喫茶店の匂いだ。
「実は……早坂先輩には彼女が居るんだけど……」
「あぁ、朋だろう? 時々二人で来るぞ」
え、マジで? と爺ちゃんを見る。
マジで、と頷く爺ちゃん。
「え、えっと……それで……その……」
「なんだ、男ならハッキリ言え。じゃないとメイド服着せて店に立たせるぞ」
それは勘弁願いたい。
というかメイド服って……僕は男だ!
再びコーヒーを一口飲みつつ、口に広がる苦い味を噛みしめながら……僕は爺ちゃんに語った。
ある日の図書室での出来事を……
◇
「ねえ美影、今度服買いに行くの付き合ってよ」
放課後の図書室、そんな事を朋先輩は言い出した。
何故僕が。そんなの、彼氏と一緒に行ってください。
「だって……あいつ分かってないんだもん、ファッション」
そんなの僕だって分からない。
寧ろ、僕が服を選んでほしいくらいだ。
「なんだ、じゃあ選んであげるよ。美影可愛いからぁ、一回着せ替えしたかったんだよねーっ」
ぼ、僕は男ですっ……と、本を仕舞うと校内放送が響き渡った。
校内に残っている部活以外の生徒は帰れ、という最終警告だ。
「帰ろっか。本の整理終わった?」
終わってますよ。貴方がムダに話しかけてきて遅れましたけど。
「ひっどーい。今の言葉で傷ついたから買い物付き合いなさいよ、先輩命令」
そういいながら戸締りを確認する朋先輩。
窓からはオレンジ色の夕日が差し込み、それに照らされる朋先輩を見た瞬間、僕は目を離せなくなった。
「よし……と、さあ帰るよ、美影っ」
振り向きざまに僕へと微笑む朋先輩。
その夕日に照らされる笑顔を見た瞬間、僕の中で何かが音を立てて崩れた。
そして新しい何かが熱と共に生まれてくる。
綺麗だ……
素直にそう思った。
普段は小うるさい姉のような人だと思ったけど……
本当に……本当に……綺麗だ……
◇
「で……一目惚れか。いやいや、見直したぞ、美影」
「な、なんで見直されなきゃ……最低だ……よりにもよって早坂先輩の彼女を好きになっちゃうなんて……」
そのままカウンターへオデコを擦りつけながら唸る。
なんであの人なんだ。
「それでブラックコーヒーか。いやいや、女みたいと言って悪かったな。お前は正真正銘の男だ、美影」
ポン、と肩に手を置き称賛してくる爺ちゃん。
なんで……こんなんで男性認定されなければならないのだ。
「まあそう腐るな。それで? どうするつもりなんだ」
「どうするって……それってまさか、朋先輩に告白するかしないかって事?」
「あぁ」と頷きながら煙草の火を消し、自分の分のコーヒーを煎れて飲みだす爺ちゃん。
告白って……そんなの出来るわけ無い。
僕は早坂先輩……朋先輩の彼氏を尊敬してるし、兄として、親友として慕っている。
そんな人の彼女に告白なんて……
下手したら、早坂先輩はもう二度と僕に口を聞いてくれないだろう。
そして絶対に朋先輩は僕に振り向きはしない、今の関係は完全に壊れる。
そうなったら……もう僕は……完全に一人だ……。
「まあ、言う言わないはお前の自由だがな。耐え忍んで女の幸せを願うのも……男の道だ。そしてその逆、勇気を出して朋に想いを伝えるのも……決して間違いではないぞ」
「そ、そんな事言われたって……」
爺ちゃんは俺の頭を撫でつつ、ブラックコーヒーの隣にココアを煎れて置いた。
「だがな、美影。後悔だけはするなよ。後ろを振り返る男は不細工に見えるぞ」
それだけ言って爺ちゃんは僕から少し離れ、備品の整理を始めた。
朋先輩に想いを伝える……?
そんな事、出来るわけがない。
でも……でも……酷く重い。
何がって心臓が。もっと言うと……心?
この想いは風化するんだろうか、いつか軽くなるんだろうか。
でももし、これを背負ったまま……これから一生過ごすことになったら……
なんか悔しい。
それはすごく悔しい。
あの二人の笑顔を思い出す度に、僕の心を黒い何かが侵食する。
別れちゃえばいいのに……
そんな事すら考えるようになっている。
なんて卑しい、なんて醜悪、なんて卑怯で惨めな……
「ぁ、やっぱりここに居たー」
と、その時カウベルの音と共に喫茶店へ入店してきたのは朋先輩。
思わず背筋を震わせ、冷や汗が滝のように流れる。
「マスター、アイスコーヒー。あとシュークリーム二つね」
「おぅ、朋一人か? 涼介はどうした」
朋先輩は僕の隣へと座りつつ、まるで男友達のように肩に手を回してきた。
ひ、ひぃ! な、なにするん?!
「なんか美影が元気無いから様子見て来いって言われて……で? なんかあったの?」
ぁ、爺ちゃん……必死に笑い堪えてる。
おのれ……覚えてろよ、いつかここのシュークリーム……全部なくなるまで食いつくしてやる。
「ねー、美影ったらー……どうしたの? そんなハムスターみたいな顔して……」
言いながら頬をつついてくる朋先輩。
ハムスターみたいな顔って……どんな顔だ。
「まあその辺にしてやれ、朋。男には男にしか分からん悩みがあるのだ。なあ、美影」
爺ちゃんが朋先輩の前にアイスコーヒーとシュークリームを持ってきた。
この店のシュークリームは密かに人気がある。パイ生地もクリームも婆ちゃんのお手製なのだ。
「はい美影、一個御裾分け」
「え? ぁ、はぃ……どうも……」
朋先輩からシュークリームを受け取り、頬張る。
むむ、この甘さならブラックコーヒー飲んでもイケるかもしれない、と一口飲んでみるが……
「うぁ……苦い……」
やっぱり苦い物は苦い。でもなんだろう、このなんとも言えない贅沢感。
すっかりシュークリームの甘さはリセット。再び頬張ると、その新鮮な甘さが再び訪れる。
うん……美味しい……。甘くて……美味しいシュークリーム……
「美影、クリーム」
えっ? と顔を向けると、人差し指で僕の口元に着いたクリームを拭い、そのまま舐める朋先輩。
瞬間、僕の心は燃やされた。
跡形もなく、何も考えれなくなる程に。
「爺ちゃん……ツケで……ごめん……っ」
そのまま逃げるように喫茶店から……いや、逃げるようにでは無い。
正真正銘……逃げてるんだ、僕は。
◇
海が見たくなった。
叫びたくなった。思い切り罵倒してやりたかった。
自分自身を。
「うっ……っく……」
目の前に広がる水平線。
靴の中に入る不快な砂の感触。
叫ぼうと思っても、言葉が出てこない。
「バカヤロー!」でいいのだろうか。
でも大声を出そうにも、まるで肺に穴が開いているように空気が抜けていく。
もうダメだ。
あぁ、そうだ。てっとり早い方法があるじゃないか。
こんな苦しいなら……終わらせてしまえばいい。
僕の人生……そのものを……そう、憧れの深海へ帰るんだ。
「美影?」
海へ一歩踏み出そうとした時、後ろから聞こえてくる優しい声。
僕が兄として……そして親友として慕っている先輩。
「何してんだ。風邪ひくぞ、もう11月だっていうのに……このクソ寒い中そんなトコで何を……」
「……別に……なんでもありません……」
あぁ、僕、また逃げるのか。
そうだ、逃げればいいじゃないか。
この人からも、朋先輩からも……
もう二度と二人と目も合わせなければいい、そうすれば……この想いだってきっと軽くなる。
「美影、お前……朋の事好きだろ」
去ろうとする僕の背中へ突き刺さる……先輩の声。
恐る恐る振り返ると、そこには優しいままの先輩の顔。
「何気使ってんだ。もしかしてお前……俺が怒って殴りかかってくるとでも思ったのか?」
「……だ、だって……」
あなたの彼女なのに……
なんで……なんでそんな優しい笑顔で……そんな事言えるんだ……
「よし、分かった。美影、お前が勝ったら……告白する権利をやろう」
いいながら上着を脱ぎ、砂浜に捨てる先輩。
ワイシャツの袖を捲り、僕に近づいてくる。
「え、先輩? 何……」
「歯ぁ食いしばれ」
そのまま先輩の拳が僕の頬に突き刺さった。
砂浜に転がる体。あぁ、空が綺麗……
「立て、美影」
言われてゆっくり立ち上がると、今度はボディブロー。
思わず嗚咽を漏らしながら後ずさり、滲み出た涙の味を噛みしめる。
「さあ、かかって……」
「お前に……何が分かるんだゴルァ!」
思いきり殴った。殴りかかった。
学校一、イケメンと噂される男、そして性格もイケメンとか言う反則級の男の顔面を。
「何が……何が勝ったら告白する権利だ! 僕は……俺はぁ……!」
再び思いきり殴り、倒れた先輩に馬乗りになって殴り続けた。
「俺は……朋先輩の事が好きだけど……でも……あんたの事だって好きなんだ!」
勘違いされそうな言い方だが気にしない。
胸倉をつかみ、頭突きを食らわせると、先輩は両手を広げて動かなくなった。
「はっ、あははははは! 何を言いだすかと思えば……っ!」
次の瞬間、勢いよく起き上がった先輩に突き飛ばされ、今度は僕が下に。
そのまま同じように胸倉をつかまれ、睨みつけられる。
「だったら俺に遠慮なんかすんなっつってんだ! 朋が好きなら好きって言えばいいだろうが! そんな事で俺がお前の事嫌うとでも思ってんのか!」
思わず涙が出た。
本気で怒る先輩を見て、本気で嬉しかった。
この人は……僕の兄で親友の、この先輩は……本気で僕に向き合ってくれてるんだ。
「だ、だって……僕……壊したくない……先輩と……朋先輩と……三人で、いつまでも一緒に……」
「だったら逃げんなよ……俺も朋もお前から逃げたりしねえよ……分かったらさっさと……」
「……ぁ、朋先輩……?」
いつのまにか、イケメンの背後に朋先輩が鬼の形相で立っていた。
そのまま、え? と振り向く早坂先輩の顔面をカバンで思いきり殴りつけて突き飛ばす朋先輩。
おおぅ、クリーンヒット……
「美影に何してんのよ! あぁ、もう……大丈夫? 美影……って、顔腫れて……ゴルァ! 涼介! あんた美影に……」
「朋先輩……」
再び早坂先輩をカバンで殴ろうとしてる朋先輩。
僕の声に反応して振り向き……
あぁ、あの時と同じだ
図書室で見た……あの光景と……
夕日で照らされる朋先輩が……とても綺麗で……
「朋先輩……僕は……」
この後……どうなったかは……
僕達だけの秘密だ
【この作品は《武 頼庵(藤谷 K介)様》主催「初恋」企画参加作品です】