補足 その後のアジアと中東
補足 その後のアジアと中東
ベトナム
日本がロシアに勝ったということでこの物語の舞台ベトナムではファン・ボイ・チャウという革命家に火をつけた。中部のゲアン省出身の彼は単身日本に渡航して当時の犬養毅や大隈重信に会い武器の供給以外の協力をとりつけた。ベトナムの独立運動のために250名の学者や学生を日本に送り出した。この運動を「東遊運動」といい、わずか40年で近代化を自国民の手で遂げて日清戦争、日露戦争と立て続けに大国を破った日本に学ぼうと言う運動であった。
ファン・ボイ・チャウの言葉である
「日露戦争というのは、世界史的な帝国主義時代の一現象であることは間違いない。が、その現象のなかで、日本側の立場は、追いつめられた者が、生きる力のぎりぎりのものをふりしぼろうとした防衛戦であったこともまぎれもない」
「明治初年の日本ほど小さな国はなかったであろう。産業といえば農業しかなく、人材といえば三百年の読書階級であった旧士族しかなかった。この小さな世界の田舎のような国が、はじめてヨーロッパ文明と血みどろの対決をして勝利したのが、日露戦争である」
中国
孫文の言葉である
「このほどの日露戦争はアジア人の欧州人に対する最初の戦いであり最初の勝利であった。この日本の勝利は等しくアジア全体に影響をおよぼし、全アジア人は非常に歓喜し、きわめて大きな希望を抱くに至り、大国の圧政に苦しむ諸民族に民族独立の覚醒を与え、ナショナリズムを急速に高めた」
インド
ネール元首相の言葉である
「世界一の陸軍国家をちっぽけな日本国がやぶった日露戦争を私は子供のときに聞いた。これ以降私は、インドのわれわれだって決意と努力しだいでは成し遂げることができると思うようになった。そのことが私の一生をインド独立に捧げることになった原因である。私にその決意をさせたのはほかでもない日本なのだ。」
独立家チャンドラ・ボースの言葉である
「私が小学校に行き始めたころ、小国日本が、世界の強大国のロシアと戦い、これを大敗させた。インド全国民はニュースでこれを知り、多くの大人たち旅順攻撃や奉天大会戦、日本海海戦の勇壮な話で持ちきりだった。私たちインドの子供たちは、東郷元帥や乃木大将の名前を記憶し尊敬した。」
イラン
イラン国内では日露戦争勝利後、日本とその中心にある天皇をたたえる本「ミカド・ナーメ(天皇一代記)」が出版された。
「東方からまたなんという太陽が昇ってくるのだろう。文明に夜明けが日本から拡がったとき、この昇る太陽で全世界が明るく照らし出された。どんなに困難であろうとも、日本の足跡を辿るならば、この地上から悲しみの汚点を消し去ることができる」
イランの詩人シーラーズの言葉である
「日本の足跡をたどるなら、間違いなくわれわれにも夜明けがくるだろう」
ミャンマー
バ・モー元ビルマ首相の言葉である
「日露戦争の勝利がアジア人の意識の底流に与えた影響は決して消えることはなかった。それはすべての虐げられた民衆に新しい夢を与える歴史的な夜明けだったのである。ビルマ人は英国の統治下に入って初めてアジアの一国民の偉大さについて聞いたのである。日本の勝利はわれわれに新しい誇りを与えてくれた。歴史的に見れば、日本の勝利は、アジアの目覚めの発端、またはその発端の出発点と呼べるものであった」
エジプト
「私は日本の乙女、銃を持って戦うあたわずも、砲火飛び散る戦いの最中に、身を挺して傷病兵に尽くすはわが努め」という「日本の乙女」という詩が作られた。これはエジプトだけでなく、レバノンの教科書にも掲載された。
なぜ、この詩がアラブ人に受けたかというと、当時、アラブ諸国がイギリスの支配下にあり、小国の日本が大国ロシアに勝ったことがアラブの人々に民族独立への希望と勇気を与えたからである。
また、エジプトの将校アフマド・ファドリーが桜井忠温の「肉弾」を翻訳した。これはアラビア語に翻訳された最初の日本の本だった。この本は日本ではほとんど注目されていないが「武士道」以上に世界に大きな影響を与えた。
ムスターファー・カミール(エジプト民族解放指導者)
「日本人こそは、ヨーロッパ列強国に身の程をわきまえさせてやった唯一の東洋人である」
イラク
イラクの代表詩人のマァルーフ・アッ=ルサーフィーが日本海海戦の劇的勝利を記憶するために「対馬沖海戦」を発表した。
トルコ
観戦武官のペルテヴ・パシャ大佐が戦記「日露戦争」と、講演録「日露戦争の物質的・精神的教訓と日本勝利の原因」を刊行し、「日本軍の勇敢さや国j明の一致団結を讃え、国家の命運は国民の自覚と愛国心で決するものであり、トルコの未来も日本を見習い近代化を進めるならば、決して悲観すべきではない。国家の命運は国民にあり」と訴え、それが近代化を推進する青年党の運動、ケマル・アタチュルクのトルコ革命へと連なっていった。
トルコでは「トーゴー通り」があり、「ノギ」という大きな靴販売店があり、「トーゴー」や「ノギ」という男の子の名前がたくさんつけられたのは有名である。
その他の国
ウィリアム・デ・ポイス(アフリカ開放の父)
「有色人種が先天的に劣っているという誤解を日本が打破してくれた。日本が有色人種を白色人種の奴隷から救ってくれるので、有色人種は日本を指導者として従い、われわれの夢を実現しなければならない」
デニス・ペギー、ウォナー夫妻(日露戦争全史の著者)
「苦力も主人となりうるし、主人たる西洋人も苦力に落ちぶれかねないことを示した戦争であった」




