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交渉 1

午後8時


桟橋には補給が終わって空になった給炭船が3隻泊まっていた。


銃を持った兵士に背中をつつかれながら30名の上級将校たちがこのうちの1隻に入っていった。


この異様な風景は各艦から見えたのですべての艦では異変に気づいた。


「こんな汚い船に我々を乗せてどうするつもりだ!」

イワノフ艦長の質問に


「今から大切な交渉が始まります。イワノフ艦長、あなたはロジェストウエンスキー中将と懇意の仲です。彼との交渉役を買って欲しい。おい、船を戦艦スワロフに向けて発進させろ」


「了解しました」


その声とともに人質を乗せた給炭船が桟橋を離れて沖に停泊している戦艦スワロフの巨体に近づいていく。


湾内のすべての艦艇からこの謀反に気づいたのであろう一斉にサーチライトの筋が給炭船に向けて集まった。


「少尉、各艦のスポットライトが点きました、なんだか一躍スター気分ですね」

嬉々として給炭船を操縦する部下の声に


「ああ、みんないよいよ舞台の幕が上がるぞ!主役はおれたちだ」


「ドッドッドッ」


と給炭船の重いエンジンの音だけが湾内に響く。


この謀反に気づいたのであろう他の艦艇では夜間に行う給炭作業も一時中止したようだ。


「どうやら共演者が来たようだ」


その声とともにベトナムの木製の漁船が10隻ほど現れて給炭船の周りを囲みながらスワロフの停泊地に近づいていく。


スワロフの艦上ではあわただしく銃を持った水兵たちが甲板に並んで彼らを待った。


「ウイーン、ガチャン」


小口径の副砲も一斉に給炭船に照準を合わせた。


彼我の距離が100メートルほどの距離になったところで人質を乗せた船団は停止した。サーチライトを四方から浴びてその姿は各艦艇から見える位置である。


「さあ、イワノフ艦長お待たせしました、出番です」


ロマノフはマイクをイワノフに渡す、イワノフは先ほどまでの酔いもすっかりさめたようでマイクを握った。


「ロジェストウエンスキー閣下、私ですイワノフです。不覚を取りました」


戦艦スワロフのスピーカーからロジェストウエンスキーの声がする。


「イワノフ艦長、どうやら無事のようだな。各艦長たちも無事か?」


「はい、全員無事です」


「しかし無様なことになったようだが仕方があるまい。彼らの要求はなんだ?」


「反乱者の我々に対しての要求は次の3つです

1つ 艦隊はロシアに引き返す事

2つ われわれはここに残り亡命を希望する

3つ フランス政府にわれわれの身柄の引渡しを要求しない事

以上です」


「ふむ、どれもふざけた要求だな。蹴れないのかね?」


「蹴りたいのですがわれわれは銃を突き付けられている状況です」


各艦艇の甲板はこのやりとりで水兵が鈴なりになってこの成り行きを見守っていた。


「ところで今回の首謀者は一体誰なのだ?」


「長官の親衛隊長のあのロマノフ少尉です」


「なに?わが親衛隊のロマノフか!まさか彼が謀反を起こすとは・・・」





「タン、本当にこれを登るのか?まるでトラの口の中に手を突っ込むようなものだ」


「ああ、今はむこうで声が聞こえるだろ?反対側で盛大にショーをやっている、誰もこちら側には気にも留めてないはずだ。お前らしくないな、心配するな」


戦艦スワロフの反対舷ではタンの船が密かに横付けされた。


今夜の湾内は波がおだやかである。

タンは手馴れた作業で鉤のついたロープをスワロフの甲板に投げて固定されたことを確認して登っていく。


「おい、カー思ったとおり誰もいないぜ、登って来い!タイと他の連中はおれたちがじいさんを救ったあと合図するから登ってこい、それまでは船の中で待機していろ」


その声に巨体のカーがロープを伝って甲板に上がってきた。


「タンあいつらやっぱ、馬鹿だな!おれならここに見張りを立てるがな」


「ああ、一刻も早くじいさんを連れ出そう。勝手知ったるスワロフだ、だいたいの居場所の検討がついている」


スワロフ艦上には足場のないくらい先日のベトナム人たちの労働によって石炭が積まれていた。


その石炭の山を縫うようにして2つの大きな影が移動していく。


反対側からロジェストウエンスキーの声がスピーカーを通して聞こえてくる。


「ロマノフ少尉、話はわかった。しかしまさか君がこんな謀反をするとは心外だ。私と君の父上とは懇意の仲だ、今なら後戻りはできる、よく考え直せ」


「閣下、子供のころは大変お世話になりました。しかし懇意の父を閣下は法廷で簡単に切り捨てたではありませんか?今はおかげさまでシベリア生活です」


「あのときは事情がいろいろあった。父上も理解してもらっているだろう。そんなことよりわが艦の砲口の照準はすでにきみの船団に合わせてある、それでも要求をとおすつもりかな?」


「いえ、ドッガーバンクの漁船のようにはなりたくありません」


「そうだろう、そう思うならあきらめろ」


「いえ、こちらには閣下の懇意な各艦長を含む30名の人質がいます。まさか一緒に撃つつもりですか?」





タンとカーは甲板を縫ってスワロフの艦橋に忍び込んだ。


警備上大切な艦橋の入り口の見張りもすべて甲板上でのショー見物で出払っているようだ。


「タン、あてはあるのか?」


「ロマノフの言葉どおりならチャノフの部屋だ。ここで働いてたときにやつの部屋は確認している。この先だ」


2人はチャノフの部屋の前に着いた。


部屋の中からは悠長なベトナム民謡を歌う声がする。


「~牛を追う人、人に追われる牛、どちらも同じ命に変わりはない~」


「ちっ、じいさんの例のわけのわからねえ牛の歌だ、こんな時に暢気なもんだぜ」


「まったくだ、味方としては頼もしい限りだぜ。さあ入るぜ!」


「バンッ」


重たいドアを開けた。


突然開いたドアに、正面に立っていた衛兵が驚いた顔をしたが銃を構えるより先にカーの一発が顔面に食い込んだ。

衛兵は何が起こったかを理解しないまま気絶した。


「カー、やっぱおまえとだけは喧嘩はしたくねえな」


「おお、タンとカーか!よく来てくれた。なんかさっきから外が騒がしいようじゃが・・・」


「話はあとだ、じいさん急げおれの背中に乗れ!」


気絶している衛兵の腹を蹴って銃を取り上げたカーがあとにつづく。


「へへっ、おれ一度銃を撃ってみたかったんだ」


「そんなことを言っておまえにそいつが扱えるのか?」


「わからん、しかしマカロフにはこの銃弾を叩き込んでやりてえ。ミハエルの弔い合戦だ」


「ああ、楽しみはとっておけ。今はじいさん救助を優先だ」


「わかってるって」


ズンを救出した2人は走ってスワロフの舷側にやってきた。眼下に漂うベトナム船に向かってじいさんの救出完了の合図を送った。


「ようし、じいさんは救出した。作戦完了だ。こんな所に長居は無用だ、とっととずらかるぜ」


「ああ、意外と簡単に救助できたな」


「ああ、なによりじゃて」


背中にズンを背負ったタンとカーはロープを伝って下のベトナム船に降りようとした。



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