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日露戦争

日露戦争


1904年2月9日12時20分、韓国の仁川湾内で停泊中の日本の戦艦浅間がロシア艦艇に仕掛けた先制攻撃によって始まった日露戦争。

当時経済、軍事とも日本の10倍強の大国に対して日本は無謀にも開戦を決めた。

この物語の1800年代はまさに「力を持つ国」が「力の無い国」に対しての容赦ない蚕食の時代であったと言い切れる。

現在の社会のような平和的に話し合いで解決する国連などの国際組織も無く、国家間の対話が決裂した後は文字通り「腕づく」で決着をつける時代でもあった。しかし戦争行為は違法ではなくあくまで外交の最終手段であり合法である。この考え方は現在も変わらない。

1840年イギリスはアヘン戦争によってすでに香港の割譲を終えており、またポルトガルもマカオを割譲してまさに欧米諸国はアジアに対して情け容赦のない収奪が始まっていたのである。

日本にもその触手は伸びてきており現にフランスは江戸幕府に対して甘い汁をちらつかせながら接近をしてきていた。日本は四方を海に囲まれていたがゆえに地政学的には侵略を受けにくい有利性があった。加えて250年以上の歴史で組織化された武士団による戦闘力と勝海舟、小栗上野介などの知恵を持った幕僚のおかげですんでのところで虎口を脱したのである。

1868年、内戦もおこらず大政奉還という世界史上稀有な方法によって政権交代が行われた日本は伊藤博文等からなる欧米使節団を派遣した。伊藤らは帰国した後「富国強兵」のスローガンのもとに、養蚕などの産業の発展を促進して軍備を備えいかに欧米列強の侵攻から防ぐかに心血を注いだ。

また伊藤は欧米視察を通じていかに現在の日本の立ち居地が危なく風前の灯かという現実を直視したのである。つまり自分の家はかろうじて守りきっているが強盗団が隣家に押し入ってきたのである。明治新政府は日本海という襖一枚隔てた隣の部屋に強盗団がいるという現実に対して否が応でも対処せざるを得なかった。

隣の部屋には当時1392年に起源をもつ朝鮮の李王朝が治めていたが当時その内部は揉めに揉めていた。常に『事大主義』をとる朝鮮は今までの大国、清国の属国をもって是としていた。しかし1873年に王女である閔妃の一属がクーデターを起こし父親である元首大院君を退け、清国との距離を置いた。そして対清国用として日本に軍事顧問としての軍隊の派遣を要請してきたのである。

しかし1984年に金王均らによる開化派のクーデターを清国の袁世凱の軍隊が鎮圧した。ここに漢城(現 ソウル)には日本と清国の2つの軍隊が駐留することになったのである。

1994年この2つの軍隊の戦闘で始まった日清戦争は日本の勝利によって終わる。しかし閔妃は今度は宗主国をロシアとして親露政策をとり始めた。日本としてはロシアが朝鮮を支配するということは欧米の植民地化という匕首で喉下をつかれたような危険な状況になる。また下関条約で清国から移譲した遼東半島をロシア、ドイツ、フランスの干渉により返却を余儀なくされたのでロシアという国名は当時の日本人にとって恐怖と憤りで忘れられないものとなった。


しかし迫りくるロシアの脅威に抗うだけの経済力と軍事力は日清戦争で疲弊していた当時の日本にはなかった。ここに日本国民の「臥薪嘗胆」というスローガンが生まれる。国民全員がこの危機を理解して毎日の国民生活を切り詰めて生産力を上げて軍備の増強に充てたのである。このあたりが太平洋戦争の前とはまったく違った国民感情の発露であり興味深い。

むしろ陸軍大将の桂太郎首相を含む政府のほうが非戦論であり、当時の財政を考えるととてもではないが経済力10倍のロシアとの開戦はありえないという意見が大半であった。また経済界も同じ意見で渋沢栄一を筆頭に軍事費の捻出や大陸への輸送船の確保など無理難題が山積みされていることを理解していたので開戦などとは微塵にも考えていなかった。

1903年日露戦争の前年には東京帝国大学木戸教授を含む7人の博士が桂太郎総理に対して「今、満州と朝鮮を失えば日本の防御線が危なくなる、こんなときに軍部は一体何をしているのか。」という意見を新聞各紙に掲載して日本国政府の弱腰を誹謗した。

元老の伊藤はこの意見書に対して「我々政府は諸博士方の高説ではなく大砲の数と話をしているのだ。」と取り合わなかったがこの記事によって国民感情だけはますます主戦論に向かっていったことは間違いない。

ここに政財界のこの考えを一変させた一人の男が登場する

「児玉源太郎」

長州徳山藩出身のこの男は当時台湾総督と内務大臣を務めていたが、陸軍の参謀総長大山巌から召集がかかり内務大臣を辞して降格してまで参謀本部次長に就任していた。余談ではあるが太平洋戦争が終わるまでの長い日本帝国陸軍の歴史の中で降格人事はただこの一例だけである。


伊藤博文の同郷出身でもありよき軍事顧問でもあった児玉は戊辰戦争以来、軍人としても優秀であったが行政官としての能力もずば抜けていた。当時の彼の台湾における政策がいかに人心を捉えて的を得たものかは今の時代の台湾人の日本好きに現れていることで理解できよう。

児玉は非戦派であった政府と財界に談判することに決めた。自分以外にこの難しい仕事ができる人物は国内でいないと思ったからである。

当時の政界のドンであった伊藤とは旧知の仲であったし盟友でもあるので腹を割って話すことができた。

「児玉君、軍人としての君にまず率直に聞く、日露が開戦して勝てるか?」

「伊藤閣下、まずは五分五分です。うまく知略を使ってよくて六分四分です。しかしこれはあくあくまでも今の数字で、時間が経てば経つほどシベリア鉄道が完成して満州へ送られてくるロシア兵力は増強されてしまい1年後にはもはや五分五分も夢の話になります。今ならまだ間に合います、どうかご判断を!」

と膝詰めで答える児玉に

「わかった彼我の戦力を知り尽くした君が言うことだ。不本意ではあるが開戦に踏み切ろう。今日の結論は元老会議の総意ということで桂総理に伝える。あとは陛下の採決を待つのみだ。」

と応じた

政界の許可を取り付けて一方、財界の重鎮といわれた渋沢栄一のところに出向き

「渋沢さん、今ロシアと戦わないと日本の未来はない。大国ロシアは弱小国日本がまさか戦争に打って出るとは思っていない。われわれを侮っている今が最後のチャンスだ」

と説いた

「児玉さん今、日本中の金庫をさらってもそれだけの戦費は出ない。金がなければ戦争は勝てないことは貴方が一番よく知っているだろう」

と無碍も泣く突っぱねたのであった

梃子でも動かない渋沢のもとを辞した児玉は決してあきらめなかった。次に財界ナンバー2の日本郵船社長の近藤廉平のところに行き同じことを説いた後、彼に満州視察旅行をさせたのであった。

しばらくして視察から帰った近藤廉平は渋沢栄一に

「渋沢さん、実際にこの目で見てきましたが満州はロシアの鉄の色一色に染まっていました。児玉君が言うようにこのままでは数年のうちに日本はロシア軍によって滅びるしかないでしょう」

と満州で見たままを語ったのである。同じ言葉でも軍人が言うのと経済人が言うのでは意味が全く違う。近藤の言葉を真摯に受け止めた渋沢はもう一度児玉と時間をとって会合をもった

「児玉さん、日本郵船の近藤君から満州の様子は聞きました。とんでもない状況だと彼は言っていました。ところで仮に開戦したとして勝つ見込みはいかがですか?」

「渋沢さん、とうてい勝つまではいきません。総力をあげ、なんとか戦いを優勢に持ち込み、あとは外交によって戦を終わらせるのがやっというところです。しかし日本軍が作戦の妙を得、将士が死力を尽くせば、今ならなんとかやれる。近藤さんが満州で見たとおり日本はここで決断して国運を賭して戦う以外に道はない。どうか財界のご決断を!」


感極まり泣きながら説得する児玉に渋沢は

「わかった児玉君、私もそのときには一兵卒として戦場に出るよ。開戦に備えてこの身を挺してでも資金調達をしましょう」

と涙ながらに答えたのであった。

ここに政界、財界の了承が揃ったのであった。児玉は日本人を代表して反対派に主戦論を説き、その後は軍服に着替えて満州へ作戦指導へと赴くのであった。今にしてみると児玉源太郎という個人無しではこのタイミングでの日露の開戦はありえなかったであろうし、乃木将軍を助けた旅順の攻略戦もなかったと考える。

参考までに当時の日露両軍の開戦時の陸軍の戦力比較を記す。

左ロシア・右日本

歩兵 66万 対 13万

騎兵 13万 対 1万

砲撃支援部隊 16万 対 1万5000

工兵と後方支援部隊 4万4000 対 1万5000

予備部隊 400万 対 46万

海軍戦力比は前述のとおり

3 対 1

よく勝てたものである。



いずれにしても1904年2月4日、伊藤らの元老会議で決定した対ロ開戦に対して御前会議にて明治天皇の裁可が下り5日後の仁川港の砲声によって日本とロシアは戦闘状態に入った。



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