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金曜日のバックアップ  作者: 希恵和
第二章 体育祭のノックアウト
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レベレーション

おしゃれメガネの熱弁。

 私は絶句する。


「この本はあなたを主人と呼んでおりません。確かに本を大事にしない方であれば、そのような事態は起こり得ます。愛情が欠損しているなどで、本が持ち主に敬意を払わず、まともな言動を為さらないこともしばしば。しかし、この本は自らの主の名を分かっています。確かに自分の持ち主は嶺さんだとおっしゃっています」


 途中で腑に落ちない言語が大発生だよこんちきしょー。聞き取れたのは呼ぶとか言動とか本とは関係ない語ばかり。『読む』の間違いではないのか。もしやこれは本の話なのか。


「本が呼ぶってなんですか。貴方は本とお話ができるとでも言いたいんですか」

 つい馬鹿にしたような口調で言い放ってしまった。さすがにそれは無いだろう。冗談にもほどがある。


 すると、おしゃれメガネさんは間髪入れずに。


「――そのように解釈していただいて結構です」


 それを聞いたとたん、私は地にもぐるような深いため息をついてしまった。

 ああ、またトラブルに巻き込まれてしまった。


 自信満々に。本が言っている? 馬鹿馬鹿しい。んなわけあるか。人間様は紙媒体とぺらぺら喋れるわけがないだろうに。そんなヤツは宇宙のかなたの異空間電波だってフライングキャッチできるわい! 


 この人はきっと真面目な方なのだ。高校三年生で図書委員。きっと受験勉強、もうすぐ始まる体育祭の準備でお疲れなのだ。気の休まらないようなストレス現代社会が悪い。そうに決まっている。


 けれども、私もまともに構っている気にはなれない。


「だから私が嶺です。指紋確認でも何でもしてください」


その本は彼女の愛読書だ。私も彼女がその本を読む姿を何度も確認済み。

 おそらく紙の端に小麦粉でも振りたくれば指の跡でも出てくるのではなかろうか。


「いいえ、彼女は繊細な方です。貴方のように無粋な人間ではございません」


 初対面の人に無粋って言われた。褒め言葉だと思いたいが、私の大脳はそこまでポジティブでもなかった。条件反射で殴らなくてよかった。それだと先週の二の舞でまた一条君を犯人にしたてあげないとならないからね。

 そう言えば一条君はもう学校に来ているのだろうか。教室の方を見た。

 話題の一条君はしっかり登校してきていた。

 一人窓際の席に座って本を読んでいる。一体何の本だろう。面白かったら今度貸してほしいなとか思った。

 そういう状況ではないと分かっていてもむしろ逃げたいこの空気。

 助けて一条君。君の冤罪を濯ぐ手伝いでも何でもいたします。

 お願いですからこっちを向いて今すぐこの場から救ってくださらないかなあ。


「本は全てを語ります。さあ、嶺さんをお呼び下さい」


 メガネさんは止まらない。確かに彼女にも同情の余地はある。

 委員だからと遣わされ、私がいいんだと言っているのに反抗して疲れるようなことを……あれ自業自得では。

 不必要な抵抗をするそちらさまの方が悪いじゃないか。

 なんだ、気にして損した。馬鹿馬鹿しい。全く話しにならない。


 そう思った時、メガネさんは唐突にこう提案してきた。


「では、嶺さんしか知らないようなことをお伝えすればよいのですか?」

 はあ? できるもんならやってみろって。


「じゃあ早速」

 そういってメガネさんは本の上に手をかざし、ページを数回めくる。


 そろそろ朝のショートホームルームが始まる時間なのだが、この問答時間かかるなら一旦帰ってもらおうかな。かといって後回しにして本を返してもらえないのは問題か。

 いや、月曜に『彼女』が取りに行くのもありだ。そうすればもう少し穏便に済みそうな気がする。まあ、この勘違いメガネ様に対応できるような能を彼女が持っているとも思えないが。

 彼女はそこまで賢くないからな。メガネさんに圧倒されて数秒で逃げ腰になるのが目に浮かぶ。


 メガネさんは本を閉じ、表紙を凝視した後、こう告げてきた。



「――三ヶ月前、嶺さんは事故に合いましたね。トラック事故ですか。現場は此処から近い駅前の交差点。土砂降りの雨の中、視界が不安定であったためにトラックの運転手が赤信号に気が付かず、横断中の彼女を轢いてしまった。不幸中の幸いか運転手が直前にブレーキをかけていたため、彼女は軽傷で済んだ。といったところでしょうか。間違いはありませんね」



 事件のあらましをつらつらと並べたてられた。

 三ヶ月前。もうあれからそれほどたっていたのか。


 今から三ヶ月前。つまり二月の真ん中。雨降る日に彼女はトラックに轢かれた。


 一時意識不明だったらしいが、なんとか持ち越した。

 春休み明けには登校も出来るくらいに回復して今に至る。

 が、そんなものクラスメイトには周知の事実である。また知らずとも調べるのは簡単だ。そんなものは本人しか知らないレア情報でもなんでもない。


 けれども、メガネさんが知っているのはそれだけではなかった。

 あれだけの大口を叩いていたのだから、それだけで済むはずがなかった。


 メガネさんは本物だった。

 おかげで、彼女の秘密がむき出しにされてしまったのだ。

 このように朝っぱらの教室のドアの前で暴露された。



「――その際、事故の直前の記憶を丸ごと一年分、つまり『高校二年生の間の出来事すべてに関する記憶』を失くされたのですね」



 な……。

 振り返った。教室の人間は話に夢中で誰も聞いていない。聞き耳を立てているものもいない。

 いや、いないと思わせてください。

 クラスメイトにも誰にも知られたくない。

 こんなの恥じ晒しじゃないか。

 私の主人格彼女がここにいれば同じような反応をするだろう。


 だって、それは彼女が隠したいことだ。

 記憶が無いことは、傷口がひらきっぱなしの怪我のようなもの。

 ささいなことであふれ出す血液は彼女には毒でしかなかった。

 彼女はそのことを受け入れられなかった。

 そして、他人に知られたくない一身で、心を傷つけられたくないという強い思いから。



 ―――私を作った。梱包財で心を埋めた。



 私は襲い掛かるように、メガネさんの口を両手で覆う。

 邪魔な口を塞ぎたかった。彼女に害をもたらす全てに一矢報いたかった。

 いや一矢だけじゃなく何十の矢を突き刺してやりたかった。


「なんで、何でそんなこと此処で言いやがった」

 私は勢いで教室の外に押し込み、廊下の端にまでその図書委員を追い込んだ。

 メガネさんはもがく。が、私のほうが背は勝っており、簡単には逃げ出せない状況だった。


 止めろ。

 彼女をこれ以上傷つけるな。

 だって彼女は、私の彼女だ。

 私の大切な大切な人。

 愛すべき人格。

 私は彼女を世界で一番愛してる。


 こんな馬鹿に狂わされたくない。

 そんな感情で頭がいっぱいになる。


 暑い。

 廊下の日差しが熱い。

 照りつけた陽の光が何から何まで燃やしつくして、消えていく。


 メガネさんは、自分の口を押さえつける手を舐めた。

 その気味悪さに私は手を離した。


「し、親しいご友人にしかそのこと告げていないようですが、貴方は彼女の気持ちをご存知なのですか」


 お前の唾液が右の手の平について気持ちが悪い。

 が、何だよそれ。お前は何が言いたい。


「記憶を失った彼女には頼れるものなど殆どありません。それは失くしたたった一年の記憶が事件前の彼女の全てだったからです」

 見知ったような口を聞くなよ。

 お前は何なんだよ。

 彼女の何でも無いくせにいい気になるな。


 そうしてメガネさんは一息溜めてから、こう告げた。


「――空欄だらけの世界を彼女は生きているのです。もっと嶺さんに優しくしてあげてください。彼女は今愛情を求めています。誰かに支えてもらわないと、壊れてしまいますよ」


 そんなこと言われなくても分かっている。

 彼女が今世界で一番脆い存在だって、私だけが真の意味でわかっている。


 ちょうどその時、始業前の予鈴が鳴った。


 結局、本は返してもらえなかった。


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