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金曜日のバックアップ  作者: 希恵和
第二章 体育祭のノックアウト
22/31

ミステイク

 

前回のあらすじ。

『市原さんの弟さんの純潔を守った』

 

 それだけだったら、良かったのになあ。

 

 あの金曜日の放課後、私は全ての罪を一条くんになすりつけた。それも今は過去のことだが。

 これによって私の罪はそそがれ、市原さんにも味方アピールが出来たと思っていた……が、それは間違いだった。


 ――出来過ぎていたのだ。

 

 私は市原美香子を甘く見ていたのだ。


 あの事件の翌日、つまり土曜日。

 10時に駅前に向かった彼女を待ち構えていたのは、市原美香子だとは思いたくない市原さんだった。


「てへ」

 と茶目っ気たっぷりの甘え声で、市原さんが彼女の腕にまとわりついてきた。

 おいおいおーーい。出会い頭にすることだろうか。というかこの前、昨日のアンタはどこに行ったのだろうか。あの冷酷非情なクラスの女帝が何をしているのだろうか。というか、胸が当たって、恐いです。弾力が自分の物とは桁違いなのですが、これは何だ、ってか、彼女は?



 この現状に、もちろんうちの主人格の『彼女』は終始困惑していた。

 「えっ」とか「あぅう」とか言うしか無かったらしい。


 そりゃあそうだ。詰め込みパッキンの私でもドン引きする。

 でもって、図書館に向かう途中もやけに馴れ馴れしく話しかけてくれる。

 流行りのパンケーキ屋の話とか、雑貨やさんの話とか。リア充砕け散れって殴り飛ばしそうになった。はっ……これ、普通の女のコってそういうものなのだろうか。私が梱包材であるために失くした知識はもしかしたらこういうものなのだろうか。かわいこちゃんの常識を知らない私のせいで彼女がいじめられたらどうしよう。やばい、夏に向けて有名なかき氷店をチェックしないと。


 ちなみに彼女は困惑を通り過ぎていた。

 一言で言うと『気絶』していた。口を開けて、目はうつろ。泡吹いていなかっただけまだましだった。


 おそらく気が付かなかったのは市原さんだけだろう。


 私は傍目で見ておいたわしいとしか思えなかった。まあ、二重人格なので、彼女の危機は自分の危機でもあるのだが。

 こればかりは他人事にしたくなった。


 さらに、左腕に当たる市原さんの胸は、尋常じゃない大きさで見ているこっちも驚くしか無かった。

 

 というか、市原さんの手が右肩に乗っかっていることにも気がついた。何擦り寄っているのだろうか。手で何かを探っているようにも思えた。


 もしや、彼女のブラジャーの肩紐を探しているのだろうか。


 何故にだ、市原美香子。

 つーか何をする気だ、市原美香子。


 やばい、生きる美の化身というか化物、市原美香子は彼女に対して笑顔を向ける。

 やっていることはエロいのに、気味の悪さ一切排除されたような鮮麗さだった。

 

 内心照れている自分の方がオカシイのではなかろうか。


 違う、絶対に何かが間違っている。

 市原さんの目は彼女の方を見ている。潤った、黒目の大きい目が。見つめてきていた。


 まるで、『恋でもしている』かのような目だ。

 すごく嫌な予感がした。なんか違う扉でも開いたような気がした。一条くんが開いたのと別方向のドアが開く。でもって自動ドアなので、近づくたびに誘ってくる。ダメ、絶対。そっちは行かない。彼女は一条くんが大好きな、恋愛対象が男だ、というか平凡な女子高生なのだ。そういうのは、双方の気持ちが非常に大事なのでいろいろ考えてから行った方が良いと思いますのでお願いですから私と彼女を巻き込まないでください。


 私の中にある『親心』的にはいますぐ助け出したいのはやまやまだった。が、金曜日以外が傍観者の私にはどうすることも出来ない。

 彼女の脳内で歯を食いしばることしか出来なかった。 


 

 図書館に着いてから、人目を気にした市原さんが手を離した。

 その直後、彼女の意識が回復した。


 それ以降はさすがに公共施設では羽目を外さないようにしているのか、いつも通りの市原さんだった。 

 腕組んで来ない。よかった助かったよ彼女。このままなんとかにげきれ彼女。そうやって、心の中で応援した。

 

 世界遺産関連の資料を探す市原さんは、さすがクラス委員長。

 頼りがいがあった。どうやら日本の十進分類法をそらで覚えているらしく、三桁の大まかな数字しか表記されていない棚に向かった瞬間、2、3冊引っ張りだして手渡してくれた。


「293がこの一列にあるみたいね。この本ならイタリアの添乗員の解説も有ると思うわ、どう」

 

 その圧倒的なスタイルに彼女はおののく。その三桁が何を意味するのかも分からない。

 彼女の手の上に乗った本の重さが、彼女の心の乗った重圧にそっくりで、見ている私も耐えられない。


 また、冷たくされたらどうしよう。彼女の気持ちがわかる気がした。ふいに襲ってきた不安が、押し寄せて彼女の身を引きちぎろうとする。低気圧でもないのに、気が滅入りそうになった。


 だけれども、彼女はそんな程度では負けたりなんかしないのだから。

 彼女は勇気を出して渡された本を開いた。


 硬い厚紙の上に色鮮やかな写真が載っていた。

 夕陽の差し込む角度が船員や、人々を照らしていた。

 

 船の上から見える景色が、初めてみるものだった。

 真っ青な空を背景に赤いレンガが敷き詰められている世界が、太陽が海に抱かれているような大らかな物語に見えた。


 その町の伝統が積み重ねていく何かを、煌めきのなかに見出した気さえした。


「――綺麗だね」

 初めて彼女が言葉らしいものを言えていた。


 それを聞いて市原さんはくすくす笑い出した。

「そんな、大真面目に言わなくてもいいのに」

 どこがツボに入ったのだろう。市原さんは微笑みながらそう告げた。


 市原さんは私のクラスメイトだ。しかし、今の今まで自分はあまり市原さんのことを分かっていなかったようだ。本を選ぶ時の市原さんがこんなに真剣な目をすることも、普通の女のコみたいに軽快に笑えることも。


 市原美香子はもっとかけ離れた存在だと思っていた自分が、オカシイと思った。

 市原さんはそんな恐い人じゃないと思えた。

 本当は優しい人なのだ。弟思いの優しいお姉さん。


 しかし、彼女は唐突に言い出した。

「昔付き合った人が貴方みたいな人だったわ。ずっと誰かを愛していないと気が済まない人。そういう人だったわ。今は違うみたいだけど」


 人を愛していないと気が済まないって。彼女はそういう人間では無いんだけれどなあ。

 

 勘違いしてるなあ市原さん。というかそれはどっちかというと私だと思う。

 

 主人格のことを愛すために生まれた心の梱包材って……それもなんか違う気がした。うーん分からん。


 しかも、せっかく人が考えを改めている時にその意味深な発言は何なのだろう。勘ぐってしまう。

 

 いや、やめるんだ私、これ以上考えるな私。

 これからも彼女の梱包材でいたいのなら、まず彼女のハートが市原さんの並々ならぬ思いで破壊されないように、保護することが先決だ。


 私は金曜日の梱包材なのだ。発泡スチロールは己の仕事を真っ当しろ、決して彼女を傷つけてはならない。彼女は大事な私の世界の創造主なのだから、世界にたった一人の私の愛する人なのだから。

 


 なんて思ったけれども、当の本人こと彼女は思いつく言葉が無いのか「あ、はい」「へぇえ」しか言えていなかった。

 

 ならいいか。


 いや良くねえよ。


 何故ここで過去の恋愛の話をするのかだけは議論しておくべきだろう私め。

 もしや本当に彼女に対して市原さんが性愛の……いや、それは無いよ。仮にも市原さんのハートを射止めた人。きっと凄い美形か御曹司、とにかく大物だろうな。私の世界からは殆ど程遠い。


 だから、安心してくれ彼女。

 お前の思っているような事態にはなっていないと。

 

「じゃあ、とりあえずその本だけ借りて帰りましょ。手続きしてくるわね」

 彼女の手から本を奪い取って、市原美香子は黒髪をひるがえした。


 市原さんの踏み込む姿が、勇ましくも見えた。


 屋内でも目を張るような真っ白な肌が少し赤みを差していた。

 クラス委員長は彼女の一歩先を歩いて、彼女の方向からは市原さんの髪の隙間から目だけが透けて見えた。


 その目はまっすぐ何かを見ているようだった。

 でも、本当は遠い目をしていたことに、この時の私はまだ気がついていなかった。



「って、聞こえているといいんだけれども」

 市原さんがつぶやいたその言葉だけが聞き取れなかった。


 

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