取り違えた争点
――君は、まだ何もわかっていないのさ。
この世界の闇も、底なしの絶望も。出典、人の皮を被った獣。
――例えばの話をするとしよう。
人体を切り刻む場合、どこが一番致命傷になるだろうか。
頭を切れば、意識はなくなるだろう。
首を切れば、息が出来なくなる。
足を切れば、逃げられないだろう。
それだと、どこを切ったって結局みんな死んでしまうんじゃないか。
正解は、僕も知らない。
僕はその問いの答えを北側に求めた。
「――心臓」
簡潔に述べられた解は鮮明な血のように、傷口からこぼれて垂れて、赤い光を放つ。ドクドクと鼓動が伝わるような気がした。鮮やかな赤色の中に夕日の光が混ざってきらめいて。
でも、その光景を実際に見たら、美しいと思うのだろうか。僕は思えないだろう。
酸素と触れ合って、黒くよどんでいった血の末路を知っているから。
「心臓は銃で打たれたら死ぬだろ。誰だって知っていることだろうが」
北側はさも当たり前のように答えた。本物の銃など見たこともないのに、それを常識のように言うのだ。
「何でそんなことを聞くんだ。それが木島の背中に何も無いこととどう繋がるんだ」
北側はそういった。それが繋がって来るんだよ。
――因果だから。
僕が思うに心臓なんて的確な回答をするところ、
北側秋津という人間は知恵が回る人間だ。
あの変態と違って、不必要なくらい意識を張り巡らせているわけでも、僕みたいに大事な時には知恵の回らないバカでもないわけだ。
はっ、下らない。この問答さえ下らない。
きっと僕らは、傍から見れば滑稽な踊りをしているのだろう。
それを上から見ている人がいるとしても、それは誰だ――神様なんてかけ離れたものでも魔法使いみたいな御伽噺のエッセンスでもない。
それは僕らのそばにいて、切っても切れずにそこにある。
永遠にはびこり、居座り続けるものなのだ。
僕はため息をついた。そして、続きの言葉を加えた。
「――じゃあその心臓の反対にあるものは何だ」
いや、反対どころか前にあるものかもしれないが、それは何だ。
「肋骨?」
それは僕の求めてる答えじゃない。
「僕の言い方が悪かった。もっと大まかなもの、というかお前の得意なものだ」
ここまではさすがに言いすぎか。得意とでも言っておけばおおよその予想はつくだろう。さすがに、これで分からないやつは居ないだろうからな。
北側はそれを聞いて、はっとした。そして、おそるおそる口を開いた。
「――背中……か」
納得したような顔をした。
そもそも背中と言う部位はアバウトだと思う。
というのも背中自体は筋肉の塊のようなものだからだ。
ど真ん中に鎮座している僧帽筋。
その中をもぐりこむように肩甲下筋、広背筋、三角筋……面倒だ。エトセトラ。
僕は北側の言葉に続けるように、こう言う。
「そう。背中になる。心臓の裏側には人間の後部、背中が来るんだよ」
心臓と背中の関連性。
近くにあるということ――――人間の表と裏を司る。
「つまり、心臓と背中は表裏一体ってことだ」
僕は結局それが言いたいだけだった。それがこの一連の事件の象徴だったからだ。
――心臓、つまり『こころ』の話。
前置きしたと思うが一応言っておく――――僕と木島奈々には接点と言うものは何も無い。話しかけたことも掛けられたこともなかった。
ただ、共通点はあったのだ。というかさっき、教えてもらってきた。
北側はただうなづいた。
「その二つがワンセットってことか」
「ワンセットって言うには、背中の方が重量オーバーだけどな」
心臓と違って、背中は一つの臓器じゃなく、部位だ。
つりあいはなってない。あくまで、一つのくくりとでも言うべきだ。ここまででおさらいは出来ただろう。肩慣らしくらいにはなっただろう。
――じゃあ、此処で本題に入ろう。
僕らのこの不可思議な探索の結果発表を。残酷な、不可思議の皮を被った『ごく普通の当たり前』の物語を。
「そこで僕は一つの仮説を立てた」
僕は指を三本立てた。そして、それを眺めるように言った。
「背中と心臓。そして、お前の能力のことを」
――前提、『北側秋津には背中の文字が見える』
それは超能力と言うべき代物だ。ファンタジーの領域に踏み込んでいる、歯止めの聞かないトンデモ設定。それに対して能力発現の条件なんか考えても無駄なのかもしれない。
それでも、僕は勝手に説だけ立てた。そうでないと、北側の疑問は解決できなかったからだ。
北側は見えない背中の文字を見たがった。今までにあったことの無い、『背中の見えない相手』のことを思った。
でも、それは抱いてはいけない感情だった。
決して開けてはならない記憶の箱のふただった。
「お前が見ているのは本当は背中の文字なんかじゃない」
「背中を透かして知覚していたんだ。お前がみていたのは正確には心臓だったんだ。心臓という臓器に浮かんだ『概念』だ」
背中から離れたら答えは簡単だった。心の臓が犯人だ。
犯人さえ分かれば動機はおのずと浮かび上がる。探偵ものの決まりだ。
「――ひとはそれを『ココロ』とかいうし、『感情』ともいう」
人の心が見える。なんてすばらしいことだろう。
誰もが憧れていた能力をこいつは手にしているのだから。
――喜んでもいいはずなのに、北側は何故か青ざめていた。
理由は分かっていた。分からない人がいれば、仕方が無いが、ヒントを与える。この後に続く僕のセリフをよく聞くことだな。
「だから、心が空洞の人間なんかに会った場合、お前の言う『背中の文字』は見えないってことだ。元々、空だからな」
それが彼女の孤独だった。
――永遠に埋まらない傷。彼女が負ったそれを北側は自身の力で覗き込んだ。
木島奈々みたいな、感情の無い人間を、こいつは今まで見たことがなかったのだ。
それが勘違いの始まり。ドッペルゲンガーなんて馬鹿げた幻想の種。ああ、分かってしまえば夢も希望もなかった。
でもそんなものか。日常ってそういう残酷なものだ。
「こころが無いとか、ありえないだろ。人形じゃあるまいし」
北側はぼそっと告げる。
僕は答えた。
「北側、それはお前が知らないだけだ。感情の歯車が狂った人間なんかどこにでもいるだろうが」
ごく普通だ。当たり前だ。日常だ。
日常でなかったのはお前の中でだけなんだよ北側。
付け加えしておくが、僕だってそうだ。
「現に僕だって、精神の病気だしな」
――二重人格は正確には『解離性同一性障害』という精神疾患だ。多少の差異はあれど、精神疾患なんてどこにでもあるからな。
要するに、『木島奈々に心は無い』
そういう結論にしかならなかった。
「それが回答だ。北側」
僕は証明を終了したつもりだった。
「じゃあ、ドッペルゲンガーは」
北側の問いは、僕の簡潔な解でふたした。
「――お前の見た間違いだ」「水面が見たのも」
それも理由は分かってる。
「――間違いだ。僕がみすった」今はこういうべきだろう。
「じゃあ、木島奈々は」
北側は何かを言いたがった、が、そこまでいって、北側はくちごもった。
だんだん、僕の口の中が渇きを叫びだした時、北側が最終の問いをした。
「――木島奈々は何者なんだ」
僕の手がじんわり熱くなった。
窓から差し込む橙の光が皮膚に触れていたことに今、気がついた。
僕は話に夢中すぎて自分が教室にいることを忘れていた。立っている感覚さえなかった。触覚が鈍っている。意識だって、若干疲労気味だった。
北側の方は、疲労感はなさそうだった。ただ、僕のことを見つめる真剣なまなざしだけ。それを見て、ふと『ああ、輝いているな』とか思う分、僕は愚かだ。
木島奈々だって、この場にいればきっとそう思うだろう。
だれだって、北側のような人間の率直さを羨ましいと思う。が、それは嫉妬でしかない……皮肉だがそういうものだ。
「――普通に、被害者だよ」
どこにでもいるだろ。
学校にも、会社にも、どこにでも。町を歩くといたるところに、いるだろ。
だって、この世界は優しくなんか無いのだから。




