前編
幻の国、アクアラグーン。
深い海の底を流れ渡る、美しい人魚達の王国。
光の届かない深海にも関わらず、国は光に溢れている。
国中を色とりどりの灯り海月が遊泳し、虹色貝が光を放ち、蛍珊瑚が光の粒子を振りまく。
場所も、生き物も、全てが美しい。
此処で美しくないものはただひとつ、『私』だけ。
私が泳ぐと皆が離れ、私が泳ぐと灯り海月も去っていく。
それが私、『魚人』の日常。
魚人というのは私のあだ名。
名前はあるのだけれど、家族以外には呼ばれたことはありません。
人魚の国に住む人魚の私が、どうして魚人と呼ばれているのかというと、それは私の見た目が『呪われた人魚の成れの果て』だと言われている『魚人』そのものだから。
人魚は、陸にいる人と同じ上半身に、下半身は魚。
魚人はその逆、魚の頭に、足は鱗の生えた二足のヒレがついた足。
私は魚人と同じ。
人からも、人魚からも化け物だと言われます。
父も母も評判の良い、美しい人魚です。
一緒に生まれた双子の妹も、身体は弱いけれど二人の血を感じる美しい人魚でした。
どうして私だけ、化け物なのだろう。
『身籠っている時に 呪われたんじゃないかい? あんな化け物を生んで気持ち悪かっただろう? 可哀想に』
近所の人に、母がそう言われていたのを聞いたことがあります。
……きっとそうなのでしょう。
呪われてしまったから、こんな化け物を生む事になってしまったのでしょう。
近所の人がいうように、母はとても哀れです。
父と母は優しい人で、私を疎むようなことはありませんでしたが、身体の弱い妹の世話で忙しく、私に時間を割く余裕はありませんでした。
その結果、私は言葉を覚えるのも遅かったし、泳ぎ方も上達しませんでした。
私が大きくなっても、上手に泳げないことに気づいた父が、慌てて泳ぎ方を教えてくれましたが、二本足の私と皆では泳ぎ方が違うので、あまり参考にならず、申し訳なかったです。
父と母は、私と妹の誕生日に同じものをくれます。
去年は真珠の首飾りでした。
首飾りをつけた妹は、まるで人魚の姫君のようにきらきらと輝いて綺麗でした。
私は、一度もつけたことがありません。
私の太い首に巻いても滑稽なだけだし、この醜い魚顔はいくら着飾っても所詮は魚です。
『お姉ちゃんも恥ずかしがってないで、つければいいじゃない』
『私は似合わないから』
身体は弱いが、気は強い妹に幾度か進められましたが、やっぱりつける気にはなれませんでした。
母は妹の髪を結うのが好きです。
父と同じ、黄金の長い髪を編み込み、珊瑚や宝石で飾ります。
私には髪はありません。
あるのは魚の背ビレのようなもの。
妹の艶やかな髪のように柔らかくもなく、飾る所もありません。
でも、母は私に気を使って、綺麗な珊瑚や宝石を贈ってくれます。
そして言うのです、『ごめんね』と。
何に対する謝罪なのかは分かりません。
『私がお姉ちゃんを綺麗にしてあげるわ』
『ありがとう、気持ちだけ貰っておくわ』
妹は、私を自分と『同じ』にしようとします。
それが好意なのは分かっています。
でも、どんなに着飾っても、私はあなたと同じにはなれないの。
鱗に覆われた胸が痛む。
父も母も、妹も優しいのに。
周りの人達は冷たいけれど、私は確かに恵まれています。
なのに、辛い――。
家族の優しさが、辛い。苦しい。
私は、心まで醜いのでしょうか。
* * *
ある日のこと。
いつも通り、私は『秘密の場所』を目指していました。
私が通ると消える、灯り海月の回廊を通り、珊瑚の森を潜り、真っ暗な岩場を抜けます。
そうして辿り着くのが、私の隠れ家。
元はただの空洞でした。
狭いけれど、身体を伸ばして漂えるくらいの広さが丁度良くて気に入り、色々持ち込んで飾りました。
灯りは、落ちていた不思議な光る石を集めて置きました。
少し暗いですが、これぐらいがちょうど良くて落ち着きます。
最近は一日の殆どを、ここで過ごしてました。
家にいても、息苦しく感じてしまうから。
人の目を気にしなくてもいいここは、唯一の心休まる場所です。
なにもせず、目を瞑ります。
ゆっくりと漂うのが気持ちいい。
このまま、水に溶けてしまいたい。
これも、いつものことです。
いつも考えること。
私はこのまま、この『醜い魚人』のまま一生を終えるのでしょうか。
この醜い姿は呪いで、呪いが解けたら妹のように美しくなれるのではないか、そんな希望が過ぎります。
……馬鹿馬鹿しい。
そんな都合の良いことが起こるはずがありません。
少し眠ろう、そう思ったところでした。
瞑っていた目に、違和感を感じました。
薄く目を開けると、あるはずの無い強い光が、どこからか放たれています。
何事かと身構えていると、見たことのない模様の赤い光が現れました。
その中に、黒いものが見え始め、大きくなって――。
「成功だ」
音が聞こえました。
良く見ると、黒いものから発せられた『声』だと分かりました。
「お前は、魔物か?」
それは、水の無い丸い球体の中にいました。
『人』、でした。
見たことはありませんでしたが、伝え聞いていた通りの姿をしていました。
声では、若い男性のように思えます。
『人』は、全身に黒い布を纏っていて顔は見えませんが、手には細かな装飾のついた木の棒を持っていました。
棒からは強い魔力を感じました。
醜い私を見て、魔物だと思い、攻撃しようとしているのかもしれません。
「魔物だなんて、あんまりです」
攻撃されるかもしれない状況に、恐怖を感じましたが、それ以上に悲しみで胸が痛みました。
やはり私は『人の目』からしても醜いのだと、思い知らされたからです。
「なんと、少女の声。それも、美しい清廉な声ではないか。これは失礼をしました」
人は謝り、頭を下げました。
驚きました。
でも、それよりも驚いたことがあります。
『美しい』。
この人は、私に対して美しいという言葉を放ったのです。
それは、容姿に対してではありません。
でも、とても嬉しかった……。
私にも『美しいもの』があった、そう思っていいのでしょうか。
「お嬢さん、お伺いしたいのですが。ここは人魚の国、アクアラグーンで間違いないでしょうか」
「あ……はい」
私の動揺に気づかない様子の『人』は、私に質問をしてきました。
質問されたことに肯定して返すと、『人』は喜んだような空気を纏いました。
「実は、探し物をしているのですが、どうやらこの国にあるようなのです」
「そうなのですか。一体何をお探しか、お伺いしても?」
「それは、『人魚の鱗』です」
「人魚の鱗、ですか。何に必要なのです?」
「私の主のご息女の病を治す薬に必要な材料なのです。重い病気で、治療薬に必要な素材も、希少なものばかりなのですが……。あと、人魚の鱗だけなのです。それさえあれば、お嬢様をお救いできるのです! ここで出会ったのも何かのご縁。どうか、お力をお貸しいただけませんか?」
困っているのなら、力を貸すことはやぶさかではありません。
自分に出来ることなら協力したいですが……。
自分の腕を見ます。
鱗がびっしりと生えています。
この鱗なら駄目なのでしょうか。
「私の鱗では駄目ですか」
「恐らく。私は『小さな人魚の鱗』が欲しいのです」
「『小さな人魚の鱗』、ですか?」
「ええ。人魚は幼少期の間は性別が決まっていないと聞きます」
「はい、その通りです」
人魚は中性で生まれ、育つに連れて性分化していく。
私も、魚人といわれるような姿ではありますが、同じように中性で生まれ、女になりました。
「まだ性別の分かれていない、幼少期の人魚の鱗が欲しいのです。どうすれば手に入れることができるでしょうか」
「それは……」
取ってきてあげられるものならば、協力したいと思いましたが、私では力になってあげられそうにありません。
色よい返事をしない私に、『人』は理由を尋ねてきました。
「私の知り合いに、幼少期の人魚はいません。いたとしても、忌み嫌われている私に譲ってくれるとは思いません」
「そうですか……。こんなことを聞いて失礼かと思いますが、どうして、貴方は忌み嫌われているのです?」
「それは、美しい人魚ばかりの国で、私が唯一人の醜い魚人だからです」
人は眉を顰めました。
「あなた一人、種族が違うということですか?」
「いいえ、私も皆と同じ人魚……のはずです。ですが、このように貴方様が魔物と見間違えてしまうほど、醜い容姿なのは私だけです」
「……先程は本当に失礼致しました。貴方の心を深く傷つけてしまったようで、申し訳ありませんでした」
辛そうに頭を下げる人を見て、私は自分の言葉の軽率さに気がつきました。
「いえ! 嫌味を言ったつもりはないのです。こちらこそ、ごめんなさい」
慌てて謝ると、顔は見えませんが、人が微笑んだような気がしました。
「嫌味などと受け取ったりはしていません。あなたがとても素直な性分だということは、この少しの時間でも分かりましたから。貴方は、容姿は他と異なっているかもしれません。ですが、私は貴方のその声、そして心根は、とても澄んでいて美しいものに感じましたよ」
「心にも無いことをいうのは止めてください」
「嘘ではありませんよ。私は、魔法使いです。言葉には魔力が宿ります。真でない言葉には穢れが生まれます。よって、私は偽りは語りません」
魔法使い。
人の中で魔法を使う者と聞いています。
きっと優秀な人なのでしょう。
その穏やかな語りと、暖かい人柄に胸が温かくなりました。
陸の『人』は、皆このように優しいのでしょうか。
世界は、とても広いのだということを感じました。
「ああ、すみません。鱗の話でした」
つい気がそれてしまいましたが、大事な話をしていたのでした。
「鱗は……私が人魚の方々に、直接お願いにあがっても、頂けないものなのでしょうか」
「アクアラグーンは『人』の立ち入りを許していません。ここは私しかいないので大丈夫ですが、外に出て誰かに見つかると、どんな目にあうか分かりませんよ」
「そうなのですか」
「私、探してみます。直接貰えなくても、何処かに落ちているかもしれません」
私は、この『人』の役に立ちたいと思っていました。
それにここで、繋がりが消えてしまうことも悲しく思えました。
「それは、私にとっては魅力的なお話ですが……、お言葉に甘えて宜しいのですか?」
「はい、やってみます。明日また、来て頂けますか」
「もちろんです」
人は、頭を下げて再び現れた赤い光と共に、姿を消しました。
人がいるところに手を伸ばすと、仄かに暖かくなっていました。
夢ではない、そう思いました。
また明日、人に会える。
今まで感じたことの無い高揚を覚えました。