職場見学
赤い葉が舞った。風が髪の毛を梳くようカエデの葉を落とす。舞い散った葉は地面に広がった。温暖化と言われ百五十年。環境は変化しても四季はくる。私はカエデの葉のゆらめきが好きで鑑賞していた。
「R。R。R、いないのか」と呼ぶ声がした。
一枚の葉が落ちていく。葉の行く先を見ず私は振り返った。
「います」駆け足で列に戻った。
「さっさと返事せんか」私を呼んだ安全先生に強い口調で言われた。
「すみませんでした」小さな声で謝った。
謝る気などなかった。よく怒られるのでつい謝ってしまう。安全とは相性が良くない。やることなすこと遅い私とせっかちな安全とでは、共有する時間のズレが摩擦を生むのだ。安全は右足をバタバタしつつ生徒を呼び続けた。
「T」
「「はい」」
「……弟は返事せんでよい」
「はあい」
出たよ、毎度の混乱。T兄弟を呼ぶ度、安全は怒る。呼び方が混乱を招くのに変えない。名前の頭文字だけで生徒を呼ぶのだ。誕生日が一緒で顔や性格が似すぎなT兄弟、区別するのは難しい。遠くから見たら私もたまに間違える。
私の横に居るT兄が囁く。
「RIOまただ。いい加減やめて欲しいぜ」
「またやらかしてくれたね。TOMOも疲れるな」
「だろ」
「半年以上担任受け持って、学習しないのは困るよね」
「半年だぜ。弟も安全の呼び方にイラついてる。けどさ、近ごろ弟が安全対策を閃いたんだよ。毎回、俺から呼ぶことを逆なでに元気よく返事して、安全がうざく感じるまでするんだって。そしたら安全も呼び方を改めるだろうてさ」
おもわず吹いてしまった。多少仲良しのT兄と安全の悪口を言うのが好きだ。ただこの時間もあと五か月しかないのが寂しい。友達がいない私と仲良くしてくれるT兄は心底貴重な存在だ。
点呼後、安全は職場見学の注意事項を生徒に吹き込んできた。
「お世話になるエレクトロニクイさんは、家電メーカーなので、電波類の機器を使われるとひじょ~に困る。機械が壊れる可能性があるからな。T、絶対イタズラするな」
「はあい」
「………」安全はT兄弟を睨む。
「兄も返事せんか」
「はい」
怒られたT兄は不満な顔を私に向けた。前は一緒に返事するなと言ったのに、今度は返事しろってどっちなんだよと言ってきた。迷惑な安全だ。続けてT兄は安全の日頃不満がある所を論う。汗臭い、生徒の扱いが雑、心が通じないなど。私も同情してT兄と安全の悪口で盛り上がった。その後の注意事項は耳に入るはずがなかった。
2.
時刻は午前九時を過ぎていた。安全の話は一時間も続いていた。あの話は真実のようだ。他のクラスの生徒が言っていた。職場見学何て待ち時間が長いだけでだらけると。たぶん会社の準備があるのだろう。通常の業務に、うるさい学生のお付き合いをしてくれるのだ。しょうがないと言えばしょうがないだろう。とは言え、待ち時間が長いと思うと少しサボりたくなる。
「先生。準備が整いました」と会社の中から着なれた黒のスーツ、ばっちり化粧の女性が現れた。その女性は会社の案内人で、三年P組を安全の話より救い出してくれた。
「三年P組の皆さんどうぞ」案内人の声で私たちは会社の中へ通された。
いよいよ職場見学と意気込んだ。一四年生きて初の職場見学。意気込みは初の経験だからではない。将来仕事に就く参考になればと考えていた。なのに、案内の女性は期待を裏切り会社の歴史、製品、会社の信条を説明してくれた。働く参考にはならない知識。ただ聞くしかない。みるみる私は記憶した。
エレクトロニクイは新興家電メーカーで、中小企業のちょい上の会社らしい。創業は二二世紀に入ってからだそうだ。新興!と突っ込みたくなる五十年以上存続している会社だ。製品は白物家電を売っているらしい。年間何かを十万台売っている。そこは聞き流してしまった。別に覚えなくても将来には関係ない。信条も覚えなくても将来に関係ないが、私は覚えた。ニクイ製品を作れ。ニクイ仲間を作れ。ニクイ客を掴めとちょっと笑えた。ニクイって。憎いと漢字で書いたら恐ろしいだろ。たぶん、このにくいねご両人とか言う、悪い意味を良い意味に捉えているのかもしれない。
ようやく案内人に連れられ職場へ向かう。その途中T兄が、
「古。ここの建物鉄筋コンクリートだぜ。いつの時代だよ。まるで世界遺産だな」と囁いてきた。
「そうだね」とT兄に嫌われたくないので軽く話を合わせた。正直言うとこの古るぼけた感がある建物が好きだ。昔の建物は心が込められてるから。十四年しか生きていない私が言うのも変だ。しかし、赤子から見たら私は中古なのだ。
3.
見学場所の部屋に着いた。十人の従業員が三年P組を待っていた。拍手と笑顔で「ようこそ設計部門へ」と歓迎を受けた。照れくさい。大人、そうじゃない社会人に歓迎されると。普段、大人はこうは接してくれない。周りの大人はもっと私を雑に扱った。免疫のなさが照れくささを演出しているのだ。照れて他の生徒も熱が出て湯気が薄ら見える気がした。
全員が部屋に入ると、設計部門の首に黒いシールを張っているおじさんが声を出した。
「設計部門チーフリーダーの生造と言います。今日は設計部門の案内を担当します。よろしくお願いします」
生造さんの音声が乱れた。マイクロマイクの調子が悪いのだろう。首にシール(マイクロマイク)を張り喉の震えを感知し音を発する。ただ欠点があってシールの粘着が落ちると、取れやすい。使っている人は珍しい。生造さんは相当な家電マニアかもしれない。好きでなければ十年前、製造中止になった物など誰が使うのだ。古い家電を使う生造さんに親近感が湧いた。
生造さんは仕事の話をしてくれた。
「設計部門では、イメージから家電の設計図を作ります。こういう家電があったら便利というイメージから家電を生み出す仕事なのです。とりあえず作業風景を見てもらいましょうか。小畑頼むぞ」
蒼黒スーツの若い男の従業員が、はいと返事してヘルメット被り出した。さながらバイクに乗る若者だ。ヘルメットを被る小畑さんは手を三回叩いた。すると生造さんの後ろに映像が出てきた。小畑さんは神社で拝むように頭を三回下げる。生造さんの後ろの映像が動き出した。起動方法はこの国で一番採用されている方式を使用しているようだ。
国よっては、十字架を描いたり、地面に頭を付ける行為で起動する方式もある。機械は進化しても、人間の根本はけっこう変わらない。そこが謎だ。その謎が解けない私が将来、大人に進化できるか不安だ。
「イメージしまーす」不安な私を差し置き小畑さんは明るく声を出す。
画面に四角立方体が現れた。立方体はいろんな形に変化していき、五分後には白い立方体を形成した。
白く綺麗に塗られていたが、単なる箱にしか見えなかった。あれだけ伸び縮みしたのにがっかりだ。もっと変形型のロボットを想像していた。
「この家電は何でしょう」箱について生造さんが質問してきた。みんな静かになる。すぐには答えが出ないようだ。私も分析するが答えは箱だ。単なる箱だ。想像がその領域を超えて行かない。
「解析できました」と私の想像を超える生徒がいた。
「縦横五十センチの形、デザイン、この家電が動きをシュミレーションした結果、九十九パーセントで、こちらの製品の冷蔵庫と判明しました」クラスで一番優秀なY君が答えた。いちいち理屈ぽっい話し方は好きになれなかった。
「少し説明が長いですが正解です。正解したえ~とYAMA君には電池をプレゼントします」
笑顔で生造さんはY君に電池を渡した。家電メーカーらしいプレゼントだ。もう一捻り思いつかなかったのだろうか?小型モーターとかどうだろう。私ならそっちの方が嬉しい。
「この冷蔵庫は一つ前の型です。小畑、家電動かしてくれるか」空中で小畑さんが手を動かす。画面上に人参や玉ねぎじゃがいも、牛肉が現れた。冷蔵庫が動き出し、その野菜と肉を食べていった。まるでアニメ動画だ。動画を見ながら生造が情熱を込めて話す。
「入れる容量で冷蔵庫の大きさが変わります。大きさが違うことでエネルギーコストを下げ、省エネを実現しています。それに食品の買ったデーターがあれば、端末で冷蔵庫の中が分かります。食品を出すのは声一つで冷蔵庫が吐きます。無駄に開けなくて済むモデルです」家電への思いが伝わってきた。相当仕事が好きなんだと生造がかっこよく見えた。
将来、あんな情熱を持って仕事に就けたらかっこいいかも。とぼ~としてたら、質問コーナーに移っていた。みんながみんな手を挙げていた。何てやる気があるんだ内のクラスは。毎回そうだ。行事になると三年P組はやたらやる気になる。純粋で優秀なのが揃っているのだ。皮肉屋のT兄弟もやる気を出すのだ。私だけやる気はないのだが、クラスの勢いに負け参加してしまう。
「じゃあ。君」
「はっはい」ほら参加してしまった。
質問もないのに手を挙げた結末は悲惨の一言だ。何も思いつかない。思いつくとしたら、三年P組への不満。みんなどんな質問があると言うのだ。
安全がとろとろしている私を睨みつける。早くせんかでしょ。分かっています。それに引き替え生造の温かい眼差し。冷房(安全の冷たい目)と暖房(生造の暖かい目)を両方受けているようだ。
なま暖かさに耐えきれず、
「家電をイメージする時、雑念はどうしているのですか。修行したりして雑念を取り除くのですか?」あほな質問をしてしまった。
部屋中に笑いが起きる。生造さんまでも少し笑っている。笑いが起きるのも無理はない。雑念は機械が遮断することは常識なのだ。家庭でも似た機械があるからみんな知っている。私も知っていた。修行などしなくていい。するなら質問の修行をした方がよかった。
「雑念がイメージに反映されたら大変だよな、小畑」
「先輩。誤解されるようなこと言わないでください」
どっと笑いが起きる。みんな私の質問を忘れ笑っている。生造さん、小畑さん、冗談で紛らわしてくれて助かりました。私の中の恥ずかしさが飛んでいった。
私の質問後、三年P組は生造さんに次々に質問を飛ばした。生造さんもたじたじになるほど。時間の都合か二十分で質問は締め切られ、最後に生造さんの閉めの言葉が待っていた。
「設計は黙々と作業するイメージだと思われたかもしれませんが違います。今見たのはほんの一部の作業です。実際は多くの人と話イメージを膨らませていきます。一人の力では家電が出来ないと知って帰ってください。多くの人がヘルメットを被っている姿は滑稽ですよ」
十人がメットを被り、ゲームでもしているイメージが湧いた。いい大人が真面目にメットを被って話し合う姿は笑える。
冗談を言っていた生造が真面目な顔になった。
「働き方の判断する材料にしてください。将来を考えるうえで、ここの見学が役立つことを願います」
きっちりと閉める生造に尊敬の念を抱いていた。
4.
T兄と生造さんの仕事ぶりについて、話しつつ次の職場に向かった。そこはエレクトロニクイ製造部門。ベルトコンベアーに製品が流れ、多くの機械が動いている。人もモニターを見て作業していた。雑多の音が入り混じる。ぴっ、ばん、がん、規則正しく重苦しい音だった。設計部門とは別次元に来たようだ。案内人が一人のおばさを紹介してくれた。
「こんにちは。製造部門人事監督の飛葉です。ひばちゃんと呼んでね」小太りで作業服を着た、どこにでもいそうなおばちゃんだ。ひばちゃんと呼ばすのはやめてほしい。
「はい。ひばちゃんよろしくお願いします」と三年P組は純粋に言うことを聞いてしまう。そう言う私も言っていた。悲しいクラスの性だ。
ひばちゃんは製造部門の仕事について説明してくれた。が、頭に入ってこなかった。それよりも機械に興味があって見ていた。あの動きはすごい、私にはできない超次元の動き。くるくる回る。体操の選手の動きに見えた。俺もくるくる回って見たかった。どのような景色が見えるか想像した。
「年間十万台出荷しています」気付いた時には説明が一通り終わっていた。
「それでは、どうやって冷房機が作られているか見て行きましょう」とひばちゃんが歩き出した。
大きな四角い機械の前に案内された。
「設計部門で作られた設計を具現化する機械で~す。データより家電の部品を作ります。素材別に部品を作るので、十台が常時動きます」
ひばちゃん若い添乗員のつもりかそのま~すはやめてくれ。ずらーと同じ機械が横付けしていた。
「あちらから。樹脂君。虫ちゃん。変幻自在な原子三兄弟……」一台、一台に名前があるようだ。全部聞くきにはなれなかった。
「動きますよ。一分お待ちくださ~い」
一分後。機械から部品が誕生した。一度に冷蔵庫三台が完成する部品が出来るそうだ。部品を見て変な感情が生まれた。まるで動物の赤ちゃんが生まれるように見えた。部品はコンベアーに生み落とされていく。すぐに子離れだ。悲しいではないか?生まれ落ちた折には親はいないのだから。
三年P組は赤ちゃんを追った。行く末が心配で、ひばちゃんの後を必死に付いて行った。歩くのが遅い私にしては早く歩いた。
「ここで合体します」千手観音のように千本はありそうな手型機械が並んでいた。
「この角度が絶景ポイントです」ひばちゃんの言葉で千手観音の前方に全員が位置に着く。赤ちゃんがどうなるのか三年P組は見守った。
奥より赤ちゃんがコンベアーを流れてきた。すーと数秒の出来事。
私は凄い物を見た。奥から波上に手が赤ちゃんに触れていき、手前に来た時には大人になっていた。数秒で人生劇場を鑑賞したようだ。三年P組は全員が拍手して機械を称えた。
「でしょ。感動するでしょう。数秒で冷蔵庫が完成するんだから」ひばちゃんも興奮して、全員で感動を共有した。
次の感動を求めてひばちゃんと三年P組は行ってしまう。ただ私はこの感動をまだ味わいたかった。みんなが居なくなっても見ていた。
この子は数秒で大人になるんだ。何も言わずに。何も行動を起こさず。普通に大人になるんだ。流れに身を任せていいな。
「早くこい」安全が呼びに戻ってきた。
安全はせっかちで困る。私は真剣に将来を考え、見学しているのに邪魔をする。それは安全が、仕事に就いているので関係ないかもしれない。けど、私にとっては大事なことだ。
名残惜しく去った。後ろを見つつ前に進んだ。
十歩進んだとこで、どんと衝撃が走った。何か当たったようだ。前を見ると作業服を着た若い男が尻餅を付いていた。
「すみません。怪我はありませんか。骨など折れてませんか」焦って声が乱れた。
過去の苦い経験がそうさせた。二年前、近所で起きた出来事。五歳の男の子と私は衝突し怪我をさせたのだ。私はソラを眺めていたらあっちからぶつかって来たのだが……。男の子は鼻を骨折していた。後日、家族と一緒に男の子の家に謝りに行き大変な目にあった。それから家族には、大木とあだ名をつけられた。背が高く、いつもぼーとしているから。大木になってからは家族の態度が冷たくなり、距離が離れていった。
従業員を抱え起こした。
「怪我はありませんか?人を呼びましょうか?」と従業員に声を掛けた。しかし、従業員の男は何も言わずに歩き出した。
「あの~」怒っているのか?痛くて声がでないのか?分からなかった。男はただ前に歩いて行く。追っかけて、男の進路の前に立って声を掛けた。
「誰か人を呼びましょうか」私を無視して男は前に歩いて行く。顔を見ると目は真直ぐ見ている。私が視界に入っていないようだ。男の顔の前で手を振っても反応がなかった。
明らかにおかしい。頭でも打って朦朧としているのかもしれない。誰か呼ばないといけない。
声を出そうとすると、
「早くこい!」逆に安全が呼びに戻ってきた。
助かった。身振り手振りで安全に訴えた。
「うじうじ何をいっとる。早くこい!」無理やり連れて行かれた。
幾度も説明した。なのに安全は聞き入れてくれなかった。生徒に一切配慮がないのだ。もうこれ以上言ってもダメと悟った。尻餅ついた男は大丈夫と強引に思うことにした。それにしてもあの男の表情は怖かった。ずーと無表情で、まるでゾンビのようだった。
全員が待っていた。私が列に戻ると、
「どうした、何かのトラブル」T兄が気にして声を掛けて来てくれた。
「ううん。ちょっと組み立て機械を見てた」
「ぼーとしてたんだ。とろいなRは。安全に怒られたろ」
「まあね。だいぶ怒られたよ」T兄にはゾンビの話をしなかった。言っても笑われるだけで信じてくれないだろう。
気持ちを切り替え見学した。周りを見ると、コンベアーに組み立てられた製品が流れて来た。四角い箱型機械を通っている。ぴっと、箱型機械より音が流れていた。ここには二十名くらい人もいた。箱を通過した製品を取っては、分解し、組み立て、コンベアーに戻す作業をしている。たまに作業台のモニター映像を見ていた。
「最終点検をしていま~す。不備があるかセンサー機が確認し、不備があると人の手で直しま~す」
ひばちゃんの説明を納得しながら職場を眺めていたら、変な感じがした。時間と共に違和感が大きくなり気付いた。従業員が変なのだ。無駄のない速さで製品を直している。モニターを見る目も瞬きが極端に少ない。まるで私に衝突した男のようだ。無表情でゾンビのように気力を感じない。ゾンビではないのかもしれない、機械の一部だと思えてきた。従業員は一切休まず、寸分違わず同じ行動を繰り返していた。
「気持ち悪」と生徒から声が上がった。
他の生徒も異様な光景に気付いたようだ。その声を皮切りに、いろんな揶揄が飛んだ。私も不気味がったが、声には出さなかった。体に衝突した男のことを考えていたから。
生徒が騒いでいると、
「いっちゃいけません。一生懸命働いているのよ」
「静かにせい。迷惑かけるんじゃない」ひばちゃんと安全に注意され生徒は黙った。
ひばちゃんは真剣な顔で話し出す。
「気味悪く見えるけど、従業員はストレスフリーを付けてるからああなちゃうんです。ストレスフリーに作業プログラムを入力し、無駄な動きを排除して作業するからしょうがないのよ」
ストレスフリーの実態を聞いて絶句した。見学前に配られたストレスフリーの資料にそのように書かれていた。だが実際見るのとは感覚がまるで違った。
「それでは、従業員にストレスフリーについて聞いてみましょうか?」
ひばちゃんは作業中の中年男の所へ行った。肩に手を掛けていた。中年男は肩に手を掛けられると、魔法が解けたように無駄に首を動かした。その男はひばちゃんに頭を下げだす。何が起きているのだろう。気になって、地獄耳なY君に聞いた。
「男の人は流船さんと言うみたいだ。何か揉めてるね。……どうやら流船さんが生徒に話すのを渋っているようだ。……ひばちゃんが怒ってますね。……流船さん説得されたみたいだ」Y君は本当に優秀だ。
ひばちゃんが流船さんを連れてきた。流船さんは背が小さく、きょろきょろと周りを見て挙動不審だ。ひばちゃんに紹介される間も、流船さんは下を向く。紹介を受け話そうとするが、何度も流船さんは頭を下げた。
「失礼します。え~とですね」やたら汗が噴き出す流船さん。まるで小動物のように見える。前歯が出て、リスに見えるからだろう。どこか応援したくなる。
「ストレスフリーはですね。仕事中は記憶がないんです。記憶が戻るのは仕事が終わった後でして。…え~と。数秒の出来事のように感じるんです。とてもありがたいんです。苦しいことが数秒で済むんです。え~と。え~と体はものすごく疲れるんです。でもいいんです。精神の負担は軽いんです。え~と。え~と。飛葉さん以上で」
「流船さんにしては頑張ってくれましたね。帰っていいですよ」
ひばちゃんは流船さんの肩を三度手で叩き「頑張ってください」と囁いた。
魔法に掛かったように流船さんは機械に変わり、仕事に戻っていった。あれでありがたいのだろうか?
「少し付け加えますね。ストレスフリーは生産性の向上と職場環境改善のために政府が推進しました。私たちの会社も生産数が五万台から十万台になり、製品の不具合もかなり減りました。ちなみにひばちゃんはストレスフリーは付けていません」
ひばちゃんは冗談を言ったつもりだろうが笑えない。誰も笑ってなかった。将来を考えみんな気が重いのだろう。
5.
ひばちゃんに別れを告げ職場見学は終わった。体を動かしたわけではないのにかなり疲れた。会社を出ると設計部門の人が待っていた。帰り際、生徒に電池を配っていた。
全員に一個、一個手渡しで、
「またきてね」と言葉を添えてだ。
笑顔で渡す姿に重くなった気持ちが軽く癒された。私も手を伸ばし電池を貰おうとした。なんやかんや言っても、タダで貰える物はうれしい。
「質問よかったよ」電池を渡してくれたのは生造さんだった。私は照れくさそうに電池を受け取った。
「疑問を持つのはいいことだよ。疑問から新しい物が生まれるんだ。多くの疑問を持つんだ、将来役に立つはずだから。それではまた来てください」
自然な笑顔と言葉に私は職場見学を忘れないだろう。かっこよく仕事する生造さんをまっ先に思い出すはずだ。ついでに、機械のような人間も思い出してしまうだろう。思い出したくないが。そういえば製造部門の人は来ていないのか?周りを見渡したが、ひばちゃんしか来ていなかった。なんだか残念。この綺麗なカエデの葉を、あの人たちにも見て欲しかった。ただ漠然とだが。
エレクトロニクイの従業員に見送られ、三年P組は貸切バスで学校へ向かった。車内では職場見学の話で盛り上がっていた。けどそう盛り上がりも続かなかった。安全の言葉が生徒に重く突き刺さったからだ。
「学校に帰ったら、ストレスフリーを使うか使わないか決めてもらう。よ~く考えて決断しろ。将来が決まるからな」
そうなのだ。職場見学に行ったのもストレスフリーがどう使われるか見に行くのが目的だった。政府が十四年生きたものは大人としたのだ。仕事に就くにはストレスフリーを埋め込むかの答えを出したものだけ働けた。言わば大人への洗礼だ。今日の職場見学と事前の資料で判断するしかなかった。家族や周りの大人に聞きたかったが、大木と呼ばれてからは大人を信用できない。だから判断基準が分からなかった。基準が欲しかった。誰かに聞きたかった。それは大人ではない同級生しか選択がなかった。
「ストレスフリーつけるの」T兄に聞いてみた。
「う~んつけるかな。ちょと不気味だけどよ」
「怖いって分かってるのにつけるの」
「だってよ。俺、生造さんのように働けないしさ。疲れそうじゃん。それよか、仕事は仕事で割り切ってさあ、疲れる思いは数秒で、遊ぶ時間は長く感じたい。もっと遊びたい。もっと自由を満喫したいんだ」
遊び重視で仕事をね。
「RIOはどうなんだよ。弟もストレスフリーつけるって言ってるぜ」
「……まだ迷ってる」
「らしいな。でも早く決めとけよ。また安全にどやされるぞ」
何をしても遅い私だけど、ストレスフリーの話は遅くてもいい気がする。将来が掛かっているんだ。ストレスフリーを付ければ嫌な人間関係がなくて済むかもしれない。ただ喜びも犠牲にすると思えた。
こういう考え方もあるのかと参考にはなった。しかし、ストレスフリーをつけるのには抵抗があった。
T兄弟だけ参考にするのもダメだろう。彼らの育った環境がひどいから遊び重視なのだろう。あそこのおやじは酒を飲んでは彼らをこき使う。奴隷のように自由時間を与えないのだ。私も大木になってからは似た境遇だから気持ちは分かる。けど、T兄の働き方は好きになれなかった。
優秀な前の席に居るY君にも聞いた。
「必要ありませんね。ストレスフリーは仕事の効率と精神の補助が目的に作られていますので、優秀な私には必要ないのです」
逆にY君にはストレスフリーが必要な気がする。人間関係で苦労しそうだから。つけたらどうと言いたかったけどやめた。とやかく言われるのは嫌なはず。私も変な助言は受けたくない。それで気付いた。
考え方を聞いても、最後には私が決めるんだ。話を聞くのをやめ、働くイメージを浮かべていた。
教室に帰ると、机に取り付けられた映像表示機に映像が出ていた。ストレスフリーを使いますか?はい、いいえと将来が決まる二択表示。
「質問に答えてから休憩しろ」安全が言って教室を出ていた。みんな机上の映像と睨めっこしていた。誰も笑わない。将来を決める決断だけあって、みんな躊躇していた。
そういう私も他の生徒の様子が気になっていた。バスで他の影響を受けず決めるつもりだったが、気になる。気になって決断が下せなかった。
「ぴっ」と機械音がどこからかした。
その音が一度なると、続くように同じ音が教室に流れた。音と共に生徒が立って教室を出て行く。将来を決めたのだ。機械音は映像をタッチした音だった。
周りを見ていたが、将来を決めろと駆り立てられた。正面を向き映像の文字を見た。一字一句読んで、集中しようとした。どんどん将来を決める音が鳴った。音が鳴るたび集中力を掻き乱された。焦った。競争と言うわけではない。ただ将来を決めた生徒が雑談したり、じゃれあったりしていた。みんなテストが終わって解放されたように笑顔なのだ。私はいつの間にか、映像ではなく外を見ていた。
どうにかして決断を先延ばしにしたかった。決めれないのだ。
「まだ決めないの。もうRIOだけだぜ」T兄が声を掛けてきた。
「うそ!」教室にいるのは私だけ、驚いた顔をになる。
「気付かなかったの。安全が決めろって言って、三十分経ってるぜ」T兄が時間経過を教えてくれた。
そんなに時間が経っていることに焦りの顔へと戻った。
「とろいなRIOは。あと三十分で安全がきちゃうぜ」
回答期限を告げT兄は私から離れていった。気を遣ってくれたのかもしれない。
全員が外で話している。教室の私と外の生徒。少しいる場所の違いで、大人と子供の違いを意識せざるえなかった。
外に出たい、あっちの世界へ。指を震わし映像にタッチしようとした。はいといいえの選択の映像上を、指が上下した。決断できなかった。大人みたいに都合が悪いと先延ばしにするなんて、一四年間考えもしなかった。家族、先生、世間、何でもはい、はいと答えたじゃないか。決断は遅くとも答えを先延ばすことはなかった。
大人の考え方になっている。だから、この変化は喜ばしいのかもしれない。もしかしたらこの答えを出す行為自体、大人になるには大事なのかも。
「決まったかあ」安全が大声で教室にずかずかと入って来た。
教室内を見渡して、私の方を見てきた。
「R~。まだ決めてないのか。早く決めんか」
「ぴっ」安全が私の将来を決めた。
6.
一年後、私は職に就いた。ベルトコンベアーが動くスクラップ工場。何十社と面接を受けたが、希望する仕事には就けなかった。流れ流れて、スクラップ工場で働くことになった。コンベアーに流れて来るいらない物の中から使える物を処理する仕事だ。
最初の二か月はいつもやめたかった。しかし、やめずにすんでいる。二十代の浅黒男の先輩、阿武内さんがいたからだ。仕事中は厳しいが休憩になるとおもしろい話をしてくれた。私の知らない世界を教えてくれる。コンピュータでは分からない世界だ。三カ月ぐらいで嫌だった仕事にも慣れた。ただ嫌なこともある。たまに同級生が職場に来るのだ。
「あっ。来た」と声を出して仕事場から逃げたくなる。
「逃げるなRー14756IO」正式名で阿武内さんに怒られる。つらいけど叱咤を受け対面するしかなかった。
一年も経てば誰が来ても大丈夫だ。仕事を通じて自信がついたのかもしれない。
「RIO。流すぞ」
「はい。準備できてます」
コンベアーにいらない物が今日も流れて来る。
「こい。こい。あっ。きやがった」執事型のT兄弟と同じ顔が流れて来る。
もしかしたらT兄弟かもしれないと思うのは数秒。私の超、超合金の手は素早くいる物だけ抜き取る。本当にいらなくなった顔のパーツが高炉に流れて行った。真っ赤な高炉内は年中熱い季節だった。
読んでいただきありがとうございます。ブラックユーモアの要素で書いてみました。