変わること 変わらないこと
“倉庫”の様子は変わらない。もちろん、机の配置やその上に載っているものは来るごとに変わっているけれど、その部屋が「乱雑」という概念で過不足なく表現できるという点では何一つ変化しない。まるで「無常」を具現化したような空間だ。そうであってほしいと願っているだけかもしれない。そこでは、新しいものが放置されるたび、古色を帯びる前に、次のどこかへ持っていかれる。僕が初めてここに訪れた時から変わらないのは、ボロボロに塗装が剥げた床と、壁に残る古い落書きぐらいのものだった。もはやそれらは、古き良き時代の遺産と化している。そして、全く思い入れのないはずのそういうものにさえ、まるで自分が、それらの歴史にずっと立ち会ってきたかのような懐かしさを感じる。人の記憶は案外適当に作られているのだろうか。いや、違う。あるいは、それは僕が残したものなのだ。いつの間にか心のどこかにそれらの存在を刻み込んだ時、例えば僕と壁の落書き(相合傘の柄を挟んで、シュンヤとアキナという名前があり、その下に「史上最高のカップル誕生!!!」と書いてある)の間には、僕の見ている本筋とは別な物語が生じているのだろう。その物語の中では、その落書きを残すのも僕だし、その遺物を見て鼻で笑っているのも僕だ。そして、今、その落書きを目に留めてやけに懐かしい気分になっているのも、“その”僕だ。これはきっと、そういう物語の中の一つなのであり、また、そうでしかないのかもしれない。あるいは、そうではってほしいだけかもしれない。
「遅かったね。待ってたよ、カズ」
倉庫の戸を開けると、その声が僕を出迎えた。声の主は、窓の方を向いて座っていた机から立ち上がり、こちらへ振り返る。僕は倉庫の鍵が開いていることにも、そう言われたことにも驚きはしなかったが、しかし、どういうわけか面食らってしまった。うん、確かに、そうだった気はする。いや、きっとそうだ。そこにいるべきなのは、セーラー服を着て、茶色がかった長髪の……
「ごめん。すっかり忘れてた」
少し気後れした気分でそう言いながら、僕は部屋の中へ入る。明かりのついていない部屋の中は、昼下りの日差しに照らされて明るいが、その光が取りこぼしたものも、そこかしこの隅っこに深く蟠っている。
「え、ひどい」
彼女は顔を膨らましてみせるが、目は微笑んでいた。あまり怒っていはいないらしい。僕はいくらか胸を撫で下ろした。
「許してよ。こっちにもいろいろあったんだ」
「いろいろって?」
「そうだね、たとえば、ある意味で言葉責めに遭ったり、卒業証書を教室に忘れて取りに帰ったり。あと、まだ何かあった気がするけど、忘れちゃった。とにかく、いろいろだよ」
僕は、のっそりと部屋の中を歩いて、自分の指定席に腰掛ける。アルバムと証書が入った鞄は膝の上に乗せた。それから、じきに僕らの顔は向い合って、えらく親しみのこもった笑みを交わしたりした。しかし、身体と顔が勝手にそう動くものの、僕にはそこはかとない違和感があった。
僕は、たいした考えもなしに、鞄からアルバムを取り出し、手間取りながらカバーを外して、それを開いた。窓からの光が艶のある紙面に反射して、きらきらとページの中央を眩しく塗りつぶす。
「何か載ってる?」
彼女は立ち上がって、上半身を曲げ、真上から僕のアルバムを覗きこんだ。彼女が立ちはだかったおかげで、アルバムのてかりが隅へ追いやられる。どうだろう、と僕は呟きながら、気ままにページをめくっていく。すると、部活動の集合写真のところで手が止まった。右のページの中段に、小説同好会のが載っていた。これも、こんな写真を撮ったという自覚はかけらもないが、現にこれは存在している。そこに映っているのは、倉庫の窓の前に立っている僕と、その横でピースをカメラに向けて突き出している少女と、その横でどこか居心地悪そうに直立している顧問の先生一人。いかにもド文系というような冴えない顔をした僕と彼女には、やはり冴えない笑顔が浮かんでいる。今これだけ近くに頭があっても、互いに別段何も思うところのないような顔である。いや、それは僕らがそれぞれを見慣れているだけなのかもしれない。いつ彼女を見慣れたのか、僕には一向に分からないけれど。
「本当にいろいろあったね」
彼女は言う。
「そうらしいね」
「もう、他人ごとみたいに言わないでよ」
「ごめん。でも、自分のことだとは思えないんだ」
「そうかもね。なんだかんだであっという間だったから」
「うん、少し目をつぶってる間に、何もかも終わっちゃったみたいだ」
僕は言った。実際、僕に残っているのは記憶だけだった。ただの知識と言った方が正確かもしれない。そこには、自分にとっての特別な重みとか、そういうものが感じられないのだった。
僕はアルバムを閉じた。




